魔難の中で内に向けて探し、党文化を取り除く
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年9月18日】最近、私の修煉状態は良いとはいえず、心の中ではくよくよして気が晴れず、孤独で寂しく、体も深刻な病業に妨害されていました。片足は象の足のように腫れ、普段歩くのも大変で、夜、眠っていてもよく痛みで目が覚めてしまいました。法を学ぶ時も、煉功する時も、正念を発する時も、いつもぼうっとして頭がすっきりしませんでした。

 師父は「一部の学習者は長い間、執着を抱いているままで、気付いていません。真相を伝えることや大法の仕事で忙しいかもしれないので、自分自身のことを真剣にじっくり考えたことはありません。問題が深刻になり、旧勢力があなたを見逃さなくなったとき、問題が表面化するのです。ですから、これらのことにくれぐれも気をつけてください。邪悪がいくらはびこっていても、あなたに問題がなければ、あなたに手を出すことができません」[1]と説かれました。

 師父のお言葉は私に警鐘を鳴らして下さいました。師父は法の中で私の修煉の問題点を明確に指摘して下さいました。私が執着心を抱いていたため、長い間その人心に気づかず、旧勢力に弱みを握られてしまいました。そのため、旧勢力に妨害され、体に病業の仮相が現れました。

 師父の法に照らして、内に向けて探しました。「最も自分に影響を及ぼしている人心はいったいなんだろうか?」と思った時、それは「長い間注ぎ込まれた党文化の洗脳ではないか」と思いつきました。幼い頃から成人するまで、常に無神論、進化論、闘争哲学、階級闘争、暴力革命の理論を注ぎ込まれ、洗脳され、私の一言一行、一挙一動のすべてが党文化によって自然に形成され、それが自分の考えだと思い込んでいました。

 そのため、私は何事も外に向けて探し、いつも人の長所が見えず、他人の欠点ばかりを見ていました。他の人が自分より劣っているのを見ると、その人を軽視し、自分より優れていると納得しません。私は話し方がきつく、自己中心的で、目立ちたがり屋で、自分を実証しようとしました。文化大革命当時の人と全体、人と人とが闘う、伝統と文化に反して、自然と闘うようなマイナス要素が頭の中に根強く、今でも記憶に新しいのです。

 私は2007年から法を暗唱し始めました。自分は人より法を多く覚えていて、法理をはっきりと理解していると思い込み、普段、いつも同修と交流したくて仕方ありませんでした。同修が法理についてあまり話せない場合、同修に法に則って悟るように手伝いたくなり、集団学法の時、よく1人でぺらぺら喋り、止めどもなく喋り、話を中断されると機嫌が悪くなりました。一部の同修は私の振る舞いにとても反感を持ち、「少し喋るのをやめて、法を学んでもっと確実に行動で示しなさい。長年、あなたはずっとぺらぺら喋っているだけじゃないか」と言われました。

 同修は私の話を聞きたくなく、私は悔しくなりました。「年配の同修はほとんどインターネットを利用せず、同修の交流文章をあまり読んでいません。同修達は人心をもって邪悪の迫害と常人のことを見ている」と思い、私は焦り、そして党文化の独断的な考え方で、居丈高になって人を威圧し、自分が悟ったものを押し付け、説教しました。強い闘争心をもっていたため、その結果、同修を助けるどころか、かえって同修を押し出し、逆効果になり、極端に走ってしまいました。

 刑務所から出所したばかりの同修が集団学法にやって来ました。この同修は地元の大法弟子の中でとても影響力があり、大法のことに対してとても熱心で、三つのことを積極的に行っていました。地元では、皆が協調して全体を形成するには、この同修の力がぜひとも必要でした。私もこの同修にとても期待し歓迎しました。しかし、嫉妬心と自説を固持する執着心により、私はこの同修に「急いで行動せず、すべてを一手に引き受けないで、まずしっかりと法を学び、そして内に向けて探した方が良い」と言いました。

 この同修は二度刑務所に拘禁され、合わせて7年間、迫害されました。私は彼に「どうして何度も迫害されたのか、その原因を探しなさい」と言いました。しかし、その口調はとても厳しく、よくない話し方で、そのため、その同修は引っ込みがつかなくなり、その後、再び学法に来ることはありませんでした。しばらくして、この同修は旧勢力に肉体を奪われ、地元の法を正す情勢に大きな損失をもたらしました。

 長年修煉してきましたが、しかし、自分には慈悲の心がまだ修煉できていないと感じ、そして、宇宙の真・善・忍の特性に対する認識が未だに人間のレベルに留まり、考え方も党文化のままでした。そのため、私は性格がきつく、いつも威張っていて、自分の考え方に合致すれば、相手の話を聞き、そうでなければ、相手と言い争い、弁解し、怒りました。その結果、一部の同修は私を避けようとして、同修の間に隔たりができ、全体の修煉に影響を及ぼしてしまいました。

 私に対する同修からの指摘を思い出しながら、大法に照らして内に向けて探しました。そして、「中国共産党の邪霊によって注ぎ込まれた党文化は後天に形成したもので、本当の自分ではない、このマイナス要因は自分が欲したものではない」と認識しました。そして、「私がほしいのは正道に復帰し、人間の様々な執着心と後天に形成した観念を修めて取り除き、返本帰真し、自分の先天の本性に戻ることだ」と分かりました。

 法を学ぶことによって、修煉は極めて厳粛なことだと改めて思いました。「自分は修煉の道で失敗ばかりをしてきたが、しかし、修煉はまだ終わっていない。決して旧勢力に隙きに乗じさせることはできない」、「私は師父の大法弟子で、すべて師父のおっしゃる通りに行い、修煉の中で転んでも立ち上がって再び修煉します」、「師父がいらっしゃり、法があり、師と法を信じていれば、どんな魔難でも、私の家に帰る道を遮ることはできない」と思いました。

 内に向けて探している中、足の腫れも引いていきました。師父の慈悲なるご加護に感謝します。同修達の無私な支援に感謝します。

 合掌!

 注:
 [1]  李洪志師父の経文:『大法伝出二十五周年ニューヨーク法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/9/9/353513.html)
 
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