修煉における強靭な意志に対して悟ったこと
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 【明慧日本2017年7月17日】私と妻は共に修煉して20年以上の古い大法弟子です。ここ数年、同修と一緒に、毎日大法の真相を伝えに出かけています。しかし、この1、2年、妻のせいで、私達はよく待ち合わせ時間に遅刻していました。のろのろと支度する妻に度々注意しましたが、なかなか効果がありません。そこで、「あんたはいつも時間が守れず、皆を待たせて、これは人を救うことを邪魔しているんじゃないか? 妨害しているんじゃないか? ・・・」と妻を責めました。しかし、妻は依然として変わろうとしません。毎回、同修達を待たせているのを見て、私は心の中で本当に申し訳ないと思っていました。

 私はとても悩みました。テキパキ行動する私は、妻ののろのろとした様子を見ると焦って仕方ありませんでした。よく「なんでこんなに鈍い人と結婚したのか」と思ったりもして、そして、妻を見下し、責め、きつい言葉で説教もしました。時には、「自分にも問題があるのではないか」と思いましたが、しかし、あくまでも表面だけの是か非かに留まり、「きっと妻が間違っている」、「彼女は他人のことを考えていない、利己的だ」、そして「人を救うことを邪魔している」とばかり思っていました。

 このような考え方は「無条件に内に向けて探す」ことを著しく妨害し、自分の問題にまったく目を向けず、とにかく、妻が悪いと思い、妻を責めまくりました。約1年間、妻に対して100回以上叱責したりしました。しだいに、私達夫婦の間に隔たりができ、時々喧嘩もしました。今から考えれば、100回以上師父が与えて下さった向上の機会を逃してしまっていたのです。

 明慧ネットの文章『嫉妬心に対する再認識』を読んで、自分に照らし合わせてみると、「妻を見下すことは嫉妬心によるものだ」とはじめて分かりました。そして、自分の法に対する理解で人に要求することも、人を見下すことも嫉妬心の現れで、そうした場合、言った言葉はとても人を傷つけるものだと分かりました。

 さらに、この中には、党文化の他、苛立ち、言葉の暴力、魔性の放任、他人の感情への無視、そして優しさや包容力のなさがあります。そして、自分の気持ちがおおらかにならないのは、これらの執着心や情が取り除かれていないからだと分かりました。また、そのような行いは本当の自分ではなく、観念によるもので、観念に合わなければ、その観念が怒り出し、そのため、本来あるべき慈悲心が現れてこなくなるのです。

 これらのことを悟ってから心がぱっと開いて明るくなりました。『轉法輪』を何度も何度も学びましたが、なぜ照らし合わせて実行しなかったのかと恥ずかしく思いました。この嫉妬心や党文化は他の空間でよくないものと対応しており、それらは一掃されるのを恐れて、私が内に向けて探すことを懸命に拒んでいたのです。しかし、このような結果を招いたのは、自分の主意識が弱く、正念と修煉に対する意識が強くなく、普段、遭遇したトラブルに対して、真剣に対応せず、それは自らを高めるための階段だと認識していなかったからです。

 法を学ぶことは理論的な学習ではありません。実践の中で主意識を強め、正念を強固にして、着実に修め、常に法に照らし合わせて行動しなければなりません。また、生活の中の些細なことを常人のこととみなすことはできません。師父が私達に与えて下さった向上するチャンスを逃してはなりません。

 幸いなことに、私は悟りました。妻も自分の問題点に気づき、私達は必ず協力しようと約束しました。しかし、数日後、私はまた同じ失敗を繰り返し、それに、何度も繰り返しました。「どうして心性が守れないのだろうか?」と私はとても悩みました。

 師父は「一人の修煉者として、あなたがもし強靭な意志をもたなければ、自分を制御できなくなり、ここまで達するのはなかなか難しいのです」[1]と説かれました。この法に対して、最近、新たに分かったことがあります。なるほど、自分には、修煉に対する強靭な意志が足らなかったのです。我々は大法に同化するためにこの世にきています。強靭な意志を持っていれば、われわれは理性的になり、正念が強くなり、自分の体をしっかり管理することができます。すべてが向上するチャンスを把握し、すべての不純なものを取り除くことができます。そして、最後の残り少ない時間の中で、全力で誓約を果たし、着実に法を正す師に手伝うことができるようになるのです。

 ここで、明慧ネットに投稿する同修と明慧ネットで編集する同修に感謝します。そして、まだ明慧ネットにアクセスしていない同修に呼びかけたいと思います。ぜひとも困難を克服して、明慧ネットにアクセスしましょう。この特別な時期に師父が私達に与えて下さった交流の機会を大切にして、励まし合い、できるだけ早く向上し、誓約を果たし、師父に安心していただくようにしましょう。

 よく修めた同修と比べると、まだまだ差が大きいと強く感じています。文章の中に不適切な所があれば、ぜひとも同修達の慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/7/10/350875.html)
 
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