競争心を取り除こう
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文/海外の大法弟子

 【明慧日本2016年10月17日】師父は『轉法輪』の中でこうおっしゃっています。「修煉はきわめて苦しく、非常に厳粛なことです。ちょっとでも油断すれば、堕ちてしまい、長い間の努力が一瞬にして台無しになるかも知れないのです。ですから心を必ず正しくもたなければなりません」。修煉の中で、法に符合しないいかなる人心も、邪悪に利用される可能性があり、しっかりと見つけ出し、取り除かなければなりません。

 修煉以来、自分にはこんなに競争心があるとは気づきませんでした。今回、交流文章を書くきっかけで真面目に内に向けて探してみると、多くの人心を見つけました。一部の小さなことがまさに競争心の現れです。大したことではないように見えますが、修煉者にとっては一大事です。普段、私は着実に修煉してこなくて、生活の中で起きる些細(ささい)なことにも注意せず、結局これらの人心が深く隠されていました。今回、これらの人心の根源まで掘り下げて、きれいに取り除いていきたいと思います。

 競争心は非常に気づきにくく、言動から現われてくるときは察しやすいのですが、察しがたい時も多くあります。以下は小さな出来事において自分が気づいた競争心の現れです。 

 その一 毎日、私はネットワークを通じて同修たちと一緒に学法しています。孫娘の面倒を見なければならないので、一日に一講しか学ぶことができません。多くの時間を学法に割いている同修を見て、羨ましくてなりませんでした。ある日、孫娘の面倒を見ながらパソコンをつけました。そこに多くの同修が学法しているのを見て、羨ましい気持ちが瞬時に出てきました。「これは何の心だろう」と自問しました。他人が多く学法していることを羨望するのは、一見、何ともないのですが、修煉者にとっては競争心ではありませんか? この中に、よく見ると嫉妬心もあります。

 その二 ある日、まだ話せない孫娘を抱っこして街に散歩に出ました。孫娘は他人の子供用三輪車を指さしました。私は独り言で、「うちの車はもっといいよ。四輪だもの!」と彼女に言いました。言葉を口に出した途端、私は違和感を感じました。これはまたもやあの競争心ではありませんか。深く探して見ると、顕示心、虚栄心、メンツを重んじる心、嫉妬心などなど、気軽に話した一言に多くの人心が隠されていました。

 その三 ある日、ネットで同修たちと一緒に学法していた時、同修のAさんは自分の読み上げる順番になると、いつも他人に気付かせてもらわなければならず、しかも読むスピードが遅く、読み間違いも多くありました。私はイライラして、またも競争心が出てきました。学法を終えて、同修のBさんはAさんに「もし時間があれば、もうちょっと一緒に学法しませんか?」と声かけしました。それを聞いて、私はすぐに修煉における自分とBさんの差を感じ、恥ずかしく思いました。同修のBさんはAさんの修煉状態に問題があると気づき、正念を持って対処し、学法を通じてAさんを助けようとしました。しかし、私はAさんより優れていると思い、焦燥感に駆られたり、Aさんを見下したり、独りよがりでした。

 その四 大法を広める活動に参加する際、西洋人修煉者の煉功の動作が標準に比べて微妙に違い、発正念の手の姿勢も微妙に違い、積極的に真相資料を配らないことをみて、心の中でまたも彼らと比較し、競争心が出てきました。その時、なぜそれが自分に見えたのかと内に向けて探さず、自分は彼らより優れているとばかり考え、歓喜心までも出てきたのです。

 上記のように比較して、競争する心が出てくる事例は多くあります。たとえば、「自分に比べて西洋人同修は、あまり修煉のことがよく分からず、中国人に出会っても面と向かって真相を伝えることができない」、「同修の身に付けている服装が場に相応しいかどうか」、「法を暗記する際同修より早く、正確に暗記できているかどうか」、「家の中で、家族より自分は多くの家事をしたかどうか」などなど、常に比較していました。

 自分の競争心はどのようにして形成されるのでしょうか?

 成長の過程において、学生時代に同級生と成績を比較し、良ければ喜び、悪ければ不安に思っていました。就職してからは同僚と実績を競い合い、もっと早く昇進したいと思っていました。家庭を持つようになってからは、友人よりも大きくて立地がよく、立派に装飾された家を持ちたい、子供が一流大学に入ったかどうか、留学経験があるかどうかなども一々比較し、心の中で競争していました。とにかく、自分の名利を満足させ、いわゆる幸せな生活を追求するために他人と比較しながら自分の虚栄心を満足させて、常人の中で様々な物を追いかけて苦しく生きてきました。他人と競い合って初めて人生の努力の目標が見えて、努力する動力が得られると誤解していました。

 実際、常人社会という大きな染窯の中で、互いに競い合う環境の影響を受け、自分も知らず知らずのうちに汚染され、良くない観念を形成してしまいました。学法を通じて悟ったのですが、競争心を取り除かなければ、修煉者には非常に恐ろしい結果を招いてしまいます。ある方面において自分は他人より優れている際、歓喜心が生じやすく、独りよがりになりがちで、しまいには自分の心より魔が生じるかもしれません。

 また、自分が他人より劣っていたり、他人よりもっと多くの犠牲を払ったと感じた時、焦燥感や不平不満、恐れる心、そして嫉妬心も容易に生まれます。

 自分の過去と比較し、大きな進歩を遂げたと感じた時、現状に満足してしまい、精進する原動力を失い、安逸心も生まれ、修煉も停滞してしまうのです。

 今回、深く内に向けて探した結果、競争心とその背後に隠されている嫉妬心、顕示心、歓喜心、卑屈心、独りよがり、恐れる心などを見つけました。これらの心は複雑に入り込み、互いに補助しながら牽制し、根源的には利己心から生じたものだと思います。これらの心を徹底的に取り除きたければ、師と法を信じ、随時に自分を正して法に同化し、少しの油断も許されません。競争心は非常に気付きにくいもので、小さく見えても危害が極めて大きいのです。修煉の過程で細かいことに気を配り、自分の考えや念の一つずつを注意深く観察し、随時に法に照らし合わせて見つけ出さなければなりません。

 次元の限りがありますので、妥当でない部分があれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/10/8/336022.html )
 
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