「不機嫌」に対しての悟り
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2015年12月9日】ここ数年間、私の修煉状態は良くありませんでした。朝起きるのがつらく、3時50分の煉功もできませんでしたし、睡眠の質を保つために、午前零時の正念を発しませんでした。全世界同時の4回の発正念のうち、1、2回しかできませんでした。真相を伝える時も、人に馬鹿にされるのは嫌だ、打撃を受けたくないなどといつも消極的に思っていました。実は、このような問題は「私心」のためであり、安逸心だということは分かっていましたが、今まで、突破することはできませんでした。

 つい最近、私は法を学ぶことを通してこの難関を乗り越えたところ、自分の観念が天地をひっくり返したかのように変わりました。

 普段の生活の中で、人に何か良くないことをされた時には、ずっと気になります。仕返しをする機会を探るようなことはしませんが、恨みを持って、断固として絶交します。自分の心にかなわなければ、気に入らない、自分の観念に合わない、自分の好みに合わないと、すぐ機嫌が悪くなります。これらの「私心」のために生じた観念は自分の精進する道を阻み、世の人々を救い済度することを邪魔してしまいます。この方面から見れば、自分はまったく堅実に修めておらず、法に基づいていないことが分かりました。世の中の恩と恨みには因縁関係があり、人に嫌なことをされても、借りを返しただけであり、苦しみに耐えることは業を消していることになります。

 以前にもこのような理は知っていましたが、今のように、自分は本当に変わっている、大法に同化していると実感したことはありません。自分の心理状態も前と異なっています。堅実に修めた、その素晴らしさを身をもって体験しました。これからは、苦しみや悲しいことに遭遇しても、私はきっと喜んで受け入れます。自分の利益を守るような執着心を取り除きます。修煉の過程は苦を味わい、執着と人心を放下し、後天に形成した観念を変え、大法に同化することです。そうしてようやく、法を正す基準に達することができると思います。

 師父は『大法弟子は必ず法を勉強しなければならない』の中で「大法弟子として自分の修煉を緩めてはならず、自分をしっかり修めることに励むのみであり、乱れれば乱れるほど、乱れている中で自分を修めることができ、魔難や不愉快なことに遭えば遭うほど、『このすべては私の修煉と向上のための階段だ』と逆の角度から問題を見るようにすべきです」と説かれています。

 これまでは法理が分かっていても、本当に自分を変えることができませんでした。今の私は、法に従い、堅実に修めることができます。以前の私とはまるで別人のように生まれ変わりました。今まで、すべての批判に対して、私は受け入れられませんでした。人に言われたら、すぐ爆発してしまいました。現在は、誰に何を言われても、全然気にしません、恨みません。穏やかな気持ちで法に基づいて物事を判断します。私も海のような広い心を持つようになり、皆さんのアドバイスを受け入れることができるようになりました。

 適当でないところがあれば、皆さんの慈悲なるご指摘をお願いします。合掌!

 
(中国語:http://big5.minghui.org/mh/articles/2015/4/21/307685.html)
 
関連文章