明慧法会|協調と協力(一)
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文/中国の大法弟子 紫菂

 【明慧日本2015年2月4日】(次の文へ

 尊敬なる師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!

 師父のご加護の下で私は18年間の風雨の道を経験して、利己的でわがままな女の子から日に日に成熟する大法弟子に変わり、しっかりと法を正す道を歩んでいます。

 明慧法会という貴重な大法弟子の盛会の場を借りて、慈悲で偉大な師父にご挨拶をします! 師父、お疲れ様でした! 師父を想うたびに涙が目を濡らします。しっかり精進して師父に朗報を贈れるように頑張っていきたいと思います。

 一、協調の体験:内に向けて自分を修める、外に向けて相手の不足を探すではない

 ここ7、8年、現地の協調人との接触が多くなるにつれて、私も時々協調のことをしていました。協調することは即ち内に向けて自分を修めることで、決して外に向けて相手の不足を探すわけではないという道理が分かったのは、私の最大の体得といえるでしょう。下記に2例を挙げて説明します。

 数年前のある日、私は真相資料をある学法チームに届けた時、突然、年配の同修Aさんは怖い顔をして、どうして他のところに『明慧週刊』を届けたのに、自分だけにくれないのかと私に問い詰めてきて、私はぽかんとなりました。そしてAさんは長々と文句を言い出して、聞いたらすべて我々に対する誤解です。Aさんは「大法のものを以って、お母さん(母も大法弟子)のチームをえこひいきするのはなぜだ、大法はあなた達の私物なのか」と言った時、これは私の人心を取り除く試練だと分かりました。私はとても落ち着いていて、弁解したい気は少しもありませんでした。内に向けて探したら、協調する中で同修たちに褒めてもらいたい心、トラブルを避けたい安逸心、型通りに公務を行うように協調の仕事をしていて誠意が足りない、などの執着が見つかりました。私はもし真心を持って同修たちに接すれば、同修は私に対してかんしゃくを起こすはずがありません。また、Aさんが持っている長所が自分にはすべて備わっていないことも発見しました。Aさんは大法をかたく信じて、晴雨にかかわらず出かけて真相を伝えて、逆境の中で驚きもせず恐れもせず、順境の時には姿勢が低く自慢げにしたことはありません。ここまで思い付いたら、私は心の底からAさんにお詫びの気持ちと敬意が生じました。

 それも私が協調の仕事をして以来、トラブルに遭う時に「どのように相手を助けてあげるか」、あるいは「どのように全体を形成するか」というような考え方をはじめて捨てることができ、純粋に自分を探すことを実現したのです。その時、私はとても玄妙な体験をして、「慈悲」の意味を理解しました。即ち、相手の不足を全く見ずに、ただ自分に過ちがあると考えます。慈悲というのは、他人に対して内心からの寛容と尊重です。

 翌日の朝、なんとAさんはお土産を持って私に謝りに来ました。「私は間違った。昨日のけんかはすべて私の闘争心、嫉妬心のせいだ。私はお母さんに不満を抱えているが、娘であるあなたに八つ当たりしてうっぷんを晴らすなんて、とても大法弟子らしくないね」と言いました。私は「探してみたら、すべて私自身の問題です」と言ったら、Aさんは涙を流しました。

 それから、私は良い方法で母とAさんに仲直りをさせて、2人は再会する時に手をぎっしり握り合って涙を流しました。師父のご加持の下で、私とAさんは旧勢力の妨害を徹底的に解体しました! その出来事を通じて、どんなことに遭っても百パーセント内に向けて自分を探すのだ、と私はいっそう固く思いました。

 もう一つ印象深いことがあります。それは3年前に、現地の学習者BさんとCさんがよく陰で人の悪口を言っているのが私の耳に入りました。この2人は全体を妨害しているのだと私はまず思って、嫌な気持ちになりました。すぐにでも彼女たちと話したいと思ったのですが、冷静になったらやはりまず内に向けて自分を探そうと思いました。そして、自分には善をやり遂げていない、自惚れる、相手を見下す、自分の基準で相手を測って、時には心の中で気の向くままに他人のいわゆる不足を品評しながら、わざと自分を高く評価する、などの不足が見つかりました。もしもその時に私はまた「全体のために」、「BさんとCさんのために」という口実で、BさんとCさんにいわゆる交流を要請すると、全く法理に叶わないばかりか、きっとBさんとCさんを傷つけます。BさんとCさんが良く修めていないのではなく、私自身が持っている「外に向けて探す」という物質が本当に良くない物質なのだと分かりました。そういう良くない物質を一掃しなければならないと決心しました。

 数ヵ月かけて、やっと正しい心構えになれたと思った時、私は控えめな態度で誠意を込めてBさんとCさんと交流しました。2人とも感動の涙を流して、これまで悪口を言ったことを後悔しました。その日に私たち3人は慈悲たる場に溶け込んで、互いの心に少しも隔たりがなく、一緒にいる時間を心から大切にし、勇猛精進しようという正念と決心で胸いっぱいです。これらの事を通じて、内に向けて探すことは修煉にとって最も有効な方法だと、新たに認識できました。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/11/8/299612.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/11/9/146775.html)
 
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