明慧法会|妻も息子も衆生の一員(一)
■ 印刷版
 

文/内モンゴルの大法弟子

 【明慧日本2015年2月5日】尊敬なる師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!

 私は大法を修煉してから、かつて不幸だった家庭が、枯れ木に花が咲いたように円満になりました。私の家庭を救ってくださったのは師父と大法にほかなりません。

 振り返ると心が痛くなる過去の日々

 我が家は内モンゴルの小さい町にあって、私の仕事は安定して収入も悪くなく、地元の生活水準からみると我が家は悪くない生活を送っていました。しかし夫婦げんかは日常茶飯事でした。妻は強い性格の持ち主で、何事も自分の思うとおりに運ばないと気が済まない人で、私もけんかしたらちっとも譲らない人で、そのように性格の強い二人がけんかする時に皿やお碗を投げるのはよくある事です。毎回けんかした後に、私は何日も元気がなくて息苦しくて、数日ぷんぷんと横たわります。

 息子は大きくなってからゲームにはまって、よく不登校になりました。家でゲームをやるだけでは満足できなくて、とうとうネットカフェにふけて、連日家に帰らないこともしばしばありました。仕事が終わった後、妻は町のネットカフェを一軒ずつ回って息子を探して、見つかったら息子を罵倒し、見つからなかったら私を罵倒します。時には妻は道端に座って大泣きをします。息子の教育のために我々夫婦は無数のけんかをしました。妻が放ったきつい言葉は殺傷力が大きく、ものすごく私の心を傷つけました。

 私を最も悲しませたのは、息子が家からお金を盗んでいるのを発見した時です。私は手を出して息子を殴りました。聞けばその日が初めてではないことが分かって、数十元から百元まで(1000円~2000円程度)、もう何回も盗んでいました。私は全身の力が抜け、思わずソファに倒れ込んで、「まるで我が家は泥棒を育てているのではないか」と思って涙を流しました。

 その時、私は生きることの楽しさを感じず、精神的な負担がますます重くなり、人生はどうしてこんなに苦しいのかと考えても答えは見つかりません。このような妻が妻らしくない、息子が息子らしくない生活をいつまで送らないといけないでしょうか?

 毎回、戦火を交えた後、二人とも「離婚だ! 断固として離婚する」と叫びます。しかし毎回、親戚たちに「子供もこんなに大きくなったのになぜ離婚するのか、離婚して再婚してもうまくいくとは限らないよ。我慢しよう、年を取ったら夫婦仲が良くなるよ」と説得され阻止されました。それで、私はそっと貯金をして、万が一離婚したら金がないと困る、貯金が足りるようになったら直ちに離婚してやる、と思いました。私の「計画」を見破った妻も家の預金通帳を隠したり、金品などを独り占めにしたりしていました。

 私たちの生活の質は急落しました。仕事が終わった後、二人は誰もご飯を作らず、お腹がとても空いたら昼の残りを適当に口に入れて、心の中は鬱憤でいっぱいになります。30歳未満の私は、頭痛、息苦しい、腸炎、胃潰瘍……を患って、体重は50キロもなく、顔色は真っ青でした。自殺も考えましたが、実行する勇気がなく、いつか奇跡が起きたら良いなと期待もしていました。

 師父は私の人生を軌道に乗せてくださった

 1996年の夏、幸運にも私は法輪大法の修煉を始めました。体は日ごとに健康になって、気持ちも軽やかで幸せで、自転車に乗る時でも「今回こそ私は救われた」と叫びたくなりました。人生の最も幸せな時期は、あの頃から始まったのです。毎日、私に最も充実感を感じさせることは学法煉功です。

 修煉してから私はせっかちな気性をだいぶ直しましたが、しかし妻はよく私を叱責します。職場から帰宅したら、妻は「私も一日仕事をして疲れたのに、どうして私がご飯を作らないといけないのか」と言って、私はすぐに「あなたは休んで良い、私が作る」と言います。しかしやっと食事が出来たら、妻はまた「キッチンをこんなに汚したの? あんたはまるで豚のようだね」と皮肉を言います。このような状態が長く続きました。ある日やっと私は悟りました。そのように言われたのは、私がキッチンを汚したからでなく、妻が私の修煉に手伝って、罵倒されても心が動じないように私を鍛えているからです。修煉する前は私は闘争心がとても強くて、その闘争心があったからこそ妻はずっとあのような態度だったのです。今、妻はそれを取り除くように手伝ってくれているので、それは良い事ではありませんか? 法理が分かっていても我慢できない時もあって、多くの場合、私は大法が要求している「修煉者の忍」の境地に達せません。そのため家庭内の関もずっと絶えませんでした。

 ある日、私は好物の豚肉の角煮を買ってきましたが、食事の時に、角煮は姿を消しました。妻に尋ねると妻は「角煮? あんたに食べさせる物はない」と言いました。見てみると、妻は角煮をゴミ箱に捨てていたのです。私は「角煮は安くないが、どうして捨てたのか」と言ったら、「あんな安物は貧乏人しか食べないのよ」と妻は言い返しました。「安物」なんかは言い訳で、妻はただ私を懲らしめたがるだけなのだと私も分かっています。「この関を私は必ず乗り越えるぞ」と自分に言い聞かせて、私は何も言わずに微笑みました。魔難がやって来る時はまるで山が倒れるような勢いですが、難関を突破できるか否かは、数秒間の間に決まります。その数秒間は本当に骨身に沁みるほど痛いのですが、乗り越えてから見ると、その魔難は何でもありません。

 修煉する前、私は食べ物に対する嗜好や執着がありました。そのため、よく妻に懲らしめられました。妻が作ったご飯はとても簡単で、よく前回の残りを適当に加熱して食卓に出します。私は「まるでロバに草を食わせるようだね」と言ったら、妻は「残念ながら、あんたはそれでも修煉者なのか」と言い返します。毎回妻の話を聞いたら私はミラレパの修煉の物語りを思い出します。ミラレパはほとんど食べる物も飲む物もない状況下で修煉を続けて、修煉に対してどれほど固い決心を持って、はじめてそこまでできたのだろう! 彼に比べれば私は幸せもので、毎日冷めたご飯を食べても、ミラレパより何百倍も良い生活を送っています。ミラレパが残した修煉の物語りは私の心を深く打って、私はミラレパを見習って食べ物に対する執着を取り除こうと決心し、食事をする度に私は「お腹を満たすだけで良い」と自分に言い聞かせます。

 小さい時は家が貧乏だったため、賑やかで美味しい物をいっぱい食べられる旧正月を私はとても楽しみにしていました。しかし、結婚してから毎年の旧正月の喜びも妻のせいで台無しになっています。何か小さいことで責められて、私の気持ちが一気に暗くなった年もあって、妻とけんかして互いに罵倒し合う年もありました。

 ある年の旧正月に父が田舎から我が家に来て、私は熱心に掃除や皿洗いをして、妻に「今年の旧正月こそ父がいるので、二人は絶対言い争ったりしないで、無事平穏に新年を祝おう」と言いました。妻は「いつもあんたがけんかを売ってきたんでしょう」と言って、私は不本意に「はい、私が悪かった」と答えました。しかし、会話しているうちになぜか妻はまた怒り出し、正月のごちそうも作らずに、ベッドへ横たわってテレビを見始めました。父は涙を流して「嫁は、俺が来るのが嫌だったではないか」と聞きました。私は「いいえ、彼女はああいう気性だから」と答えました。もしも私は修煉をしていないのなら、その日の不愉快な気分をどのように収めるかも分かりません。辛い中でも、妻の言動は私に旧正月や祭日などを盛んに祝いたい執着心を取り除くためだと分かっています。分かっていながらその執着心をなかなか放下したくなくて、長い間を経て、今はやっと放下しました。

 家でよく遭遇するのは、私が学法や煉功をする時に限って、妻があれこれと家事の指図をしてくることです。しかもどのように頑張って家事をしても妻は気に入りません。私は師父に線香を立てると、妻は「煙が部屋を黒くした」と言って、私が師父に叩頭すると、妻は小声で「迷信」と呟き、何回も私のお尻を蹴りました。私は師父に果物を供えると妻は直ちに持って行って食べます。私が大法の真相と輪廻について話すと、妻は「黙れ! 誰が成就してもあんただけは成就できないだろう」と言います。「どうして」と聞いたら、妻は「あんたは魔性が強くて、情緒不安定だ」と答えます。「それは過去のことだよ」と言ったら、「今のあんたもあまり変わっていない」と妻が言います。私が今の次元に留まって長い間向上していないのを見て、師父は妻の口を使って私を注意しているのだ、と私は思っています。

 息子の魔性は妻に少しも劣っていません。20歳にもなっていないのに次々とガールフレンドを変えて、不良少年たちと群れています。一日中ネットカフェに浸かって、夜中にやっと帰って来て、午前11時まで寝坊して、ちょっとご飯を口にしてからまたネットカフェに行きます。私に会っても挨拶もしません。一家3人が揃ってご飯を食べる時も珍しいです。

 ある日、夜9時過ぎても息子はまだ帰って来ていませんでした。妻はいらいらして、「あんたは本ばかり読んで、息子を探そうともしない」と言いました。私は「探しても無駄だ、帰って来てもまた出ていくではないか」と言ったら、妻は「あんたは、父親らしいことを何かしたの? 息子のために何をしたと言うの? 自分のことばかり考えて、家のことは一体何をしたの?」と言いました。私は「妻の言った通りだ、それは私心ではないか。いや、私は向上しないと」と考えて、息子を探しに出かけました。

 小雨の中、私は突然走ってきたバイクにはねられて、足はとても痛かったのですが、私は「きっと大丈夫だ、大丈夫だ」と発正念しました。そして歯を食いしばって立ち上がって、足も見ずに10数メートル離れたバイクに向かって歩きました。運転手はしゃがんで両手で頭を囲んで、「頭が痛い、もう駄目だ」と芝居しました。私は「起き上がってください。私は法輪大法を修煉しているので、大丈夫です。もう行っていいですよ」と言いました。彼はすうっと立ち上がって、「本当に大丈夫ですか」と喜んで言って、私は「大丈夫です。私はもし法輪大法を修煉していなかったら、今日きっと怪我をして入院するでしょう。法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしいと覚えていてください」と言いました。彼は「今日は幸運にも良い人に出会いました。お兄さん、ありがとう」と言って、跪きました。私は彼を止めて、「家族や親戚に『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』と教えてくださいね」と言いました。彼は大きな声で「法輪大法が素晴しい、真・善・忍が素晴しい」と叫んで、雨の夜中に姿を消しました……

 家に帰って、ずっと痛い左足を見てみると、すでに広い面積が黒紫色になって、ズボンは上着も破れました。息子はすでに帰宅して、私の姿を見て「誰が探せと頼んだのか? 俺が自分で帰れないとでも思っているのか」と怒って、妻はテレビを見ながら「はねられたんだって? 大の男なのに何をやっても無能だね」と私を責めました。私は今日起きたことの原因を分かっているので、穏やかな気持ちを保つことができ、すぐ座禅を組んで両手を合掌して、さっきの事故から命を守ってくださった師父に感謝しました。心の中で、感謝の気持ちが湧き出てきました。

 (続く)

 (明慧ネット第11回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/11/12/299779.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/11/14/146847.html)
 
関連文章