明慧法会|妻も息子も衆生の一員(二)
■ 印刷版
 

 【明慧日本2015年2月6日】前の文へ

 妻子に大法の素晴らしさを分かってもらう

 1999年に迫害が始まってから、妻は「煉功するのなら家でやりなさい。私に災いを招くようことを一切やってはいけない。外の同修とも接触しないように」と私に警告しました。同修が家に来ると妻は外へ追い払います。ある日、私が外で大法の真相を伝えていることを妻に知られました。妻は家に置いている大法の本とビデオテープを地面に投げつけました。今回私は本当に怒り出して、「離婚しても良いが、私は断固として大法を放棄しない」と固い態度で宣言しました。私の盤石のように揺るぎない態度が妻を震え上がらせました。その後、妻は私の修煉に何も口出しをしなくなり、同修が家に来る時も外へ追い払わなくなりました。

 旧勢力が家庭生活において修煉者を下へと引っ張ることは、とても簡単なことです。もし大法の威力がないと、当事者に正念がなければきっと旧勢力に完敗します。最も難しい時にも、「妻子が私を変えるのではなくて私が妻子を変えるのだ。家の環境の中で私は主役で、私は最高責任者だ。金を全部妻に渡しても良いが、私は家の主人で、私が家庭の環境を変えて妻子と一つになるのだ。旧勢力が家族を操って私の修煉を妨げることを決して認めない。心を広くして我慢するのが大法弟子の境地だが、良い人は決して弱虫になって虐められる人ではない」と私はかたく思いました。

 毎回発正念の時に、私は「徹底的に旧勢力の按排を否定して、妻と息子の空間場にある邪悪を一掃しよう! 妻と息子は大法のために来たので、素晴らしい未来を持つべきだ。私は妻と息子とこんなに大きい縁があるため、私は必ず彼らを変えて済度する。私は心性をしっかり守って、家庭の魔難をしっかり乗り越える」 と念じます。心の中に大法があれば、難関を突破する時に方向がしっかり分かっており、迷ったりしません。

 私は師父が『米国中部法会での説法』でおっしゃった言葉、「私たちは心性を守らなければなりません。相手が間違っても良いのですが、私たちは間違ってはい けません。もし、心性を守ることができれば、しばらくすると、これらのことが過ぎてしまいます。長く続くことはありません。最後に、彼はきっとわたし達の修煉の次元の突破によって変化するのです。きっとそうなります」をしっかり覚えています。いつか私の家庭はきっと変化すると信じています。私の肉親は最も優秀な生命であり、最低限、彼らは新世紀において大法を修煉するに違いありません。

 一時、どうすれば妻と息子に大法の素晴らしさを分かってもらえるか、私はとても焦っていました。私が大法の良さをどんなに言っても、彼らはよく中国共産党の理論を口にしています。師父は『精進要旨』で私たちに「内を修めて外を安定させる」という道理を教えてくださいました。自分が持つ正の場、正の行為はきっと周囲の環境に影響を与えられると私は信じています。私は法理が分かって向上すれば、多くの執着心を切り捨てられます。そうすると妻と息子もきっと変化を見せてくれます。

 家庭は情の所在の場所で、情の糸は人間の心をしっかり縛っています。常人が情に翻弄されるのは当然ですが、正念が固くない修煉者でも同じく情に引きずられて疲れ果てます。修煉する前、私は情がとても重くて、修煉してからも情に傷つけられていました。とても長い間、私は妻と息子に対してあんなに優しくしているのに、彼らはどうして私を再三に傷つけるのか、家庭のために私は多くの犠牲を払ったのに、彼らはまた……と不平不満に思っていました。

 師父は『ヒューストン法会での説法』で、「皆さんが一つの家庭に転生するのも、この世にやってくるのも、旅館に泊まるようなものです。ただ一晩泊まって、翌日には別れてしまい、来世には誰が誰かを覚えているのでしょうか。あなたの周囲にもあなたがかつて愛した夫やほかの身内の人がいますが、あなたは覚えていますか? その人たちはあなたを覚えていますか?」とおっしゃいました。その部分を私は数え切れないほど読み、それが「大きい天機」だと感じています。人間は生死輪廻の中で往来して、集まってから分かれて、分かれてから集まります。表面から見ると、自分と縁があって愛、恨みや情のために笑ったり泣いたりしていますが、実は、すべて前世の恩を返し、前世の債務を弁済するために過ぎません。みんなは旅館で一時的に集まって、互いの恩と讐を返済してから輪廻を繰り返すのです。もしもこれらのことを師父が私たちに教えてくださらなければ、茫々たる苦界に溺れた私は彼岸が見つかるでしょうか? そう考えると、私の心は楽になって、家族に対する情もだいぶ放下しました。

 息子に対する執着を放下すればするほど、彼の変化が大きくて、息子の短所を見ずに長所ばかりを見れば、心の中から彼に対して好感が生じます。息子も衆生の中の一員です。前生に彼は誰だったか、来世に彼はまた誰になるか分かりませんが、私は父親の責任を果たしてできるだけ彼を正します。しかし、私は彼の代わりにはなれず、彼の人生の軌道を変えることもできなくて、彼の由来と将来は私が見抜けるものでもなければ、私の言う通りになれるものでもありません。現世、息子との出会いは因縁関係がそうさせたに過ぎず、万能の佛法の力以外に、人間を向上させ、変えられるものは何一つとしてありません。

 以前、お粥をめぐって夫婦げんかが勃発したことがあります。息子はご飯を好んであまりお粥が好きではないので、ある日の食事にお粥が出されて、息子は不機嫌になりました。息子を溺愛する妻は「では、お母さんがご飯をすぐ炊くからね」と言ったので、私は「いつも彼のわがままに付き合って溺愛してはいけない」と反対したら、妻は息子の味方になって、「あんたはそれでも煉功者なの? 息子がやっと帰ってきて一緒に食事をしてくれるのに」と言いました。息子は二人の口論を見て、箸を置いて出て行きました。息子の後ろ姿を見て妻もカチンときて、私に罵声を浴びさせてから箸を投げました。やっと3人揃った食事は、このように不愉快に終わりました。

 私は間違ったのか、どこが間違ったのでしょうか? 法理に沿って考えた結果、やはり自分は間違いました。師父は『轉法輪』で「何かをする時にはいつも他人のことを考え、問題が起きた時はいつも 他人がそれに耐えられるかどうか、他人を傷つけることはないかを考えていれば、何の問題も起こりません」と私たちに教えてくださいました。そうですね、自分の観念を 変えなければなりません。たかが一回の食事に過ぎないではありませんか? 角度をかえて問題を見て、息子に対する観念を少し変えれば、対立の態度を取らなければすべては調和がとれるのではありませんか?

 私は息子に対する見方を根本から変えた後に慈悲心も生じて、彼のために考えることもできるようになりました。私は息子の日常生活の面倒を見はじめて、例えば、 彼の汚い服を洗ったり、寒い時に厚着をしてねと注意したりします。私の心性が向上さえすれば、息子の変化も明らかなものです。またお粥を食べるある日に、私は息子に「お父さんがチャーハンを作ってあげようか、少し待ってね」と言ったら、息子も調子に乗って遠慮せずに座って待っていました。何回も同じことがあってから、息子は変わりました。「お父さん、作らなくていいよ。僕は父さんと母さんと同じものを食べればいいから」と言ってくれるようになりました。私は「いいえ、粥を食べない我が子のお腹をなんとか満たさなくてはね」と微笑んで、妻はそばで「うん、これでやっと少し修煉者らしくなっ たね」と頷きました。

 今、我が家で私はいつも妻と息子に、春の風を浴びるような良い気分にさせています。私は大法弟子が作った歌を歌って、私は煉功をして、私は彼らに輪廻の物語や大法の真相を話します。今、彼らは受け入れられるようになって、時々質問もしたりします。知らず知らずのうちに彼らは感化されて変わっています。更に重要なことに、修煉とは絶えず人心を捨て神の状態に近づき、もっと近づき、基準に達すれば円満成就できることを、私は心から理解しています。

 息子は何かに遭ったら私と相談するようになりました。息子が失恋した時、何も食べずに横たわって、涙をこぼす時期がありました。情に苦しめられる息子を見て、私は微笑んで「おまえはそれほど彼女を大切に思っていたが、しかし彼女にフラれた。それは情というものは当てにならないからだよ」と説明します。そして、私は息子に大法の法理、人間としてどう身を処するべきか、失恋のことにどう対処すべきかを話しました。それにより、息子の気分は楽になりました。

 どのように息子をしつければ良いかについて、長い間、私は最も良い方法を探しても見つかりませんでした。強い態度に出ると息子は私よりも強くなって、怒ると息子は私よりもぷんぷん怒ります。しかしどんなに難しくても、私はきっとその「最も良い方法」が見つかると信じていました。師父は『轉法輪』の中で「子供をしつける時にも、ひどく怒り、かんかんになる人がいますが、しつけはそこまでしなくてもいいはずで、本気で怒ったりせず、理性的に教育して、はじめて本当に良い子供を育てることができます。小さなことも乗り越えられず、かんしゃくを起こしたりしていて、功を伸ばせるとでも思っているのですか」と我々に教えてくださいました。師父は「理性的に教育して」とおっしゃったので、私は「理性的」になっているかと自分に問いかけました。いいえ、私の教育方法は荒々しいものです。考えてみたら、私はやはり結果ばかりを重視してしまったのです。教育する過程は私が自分を修める過程でもあり、それこそ結果よりも重要なのです! その過程で理性と知恵、落ち着いた心理状態が必要で、慈悲のある態度で話すと、息子もむしゃくしゃせず聞いてくれます。

 ある日、息子は遊んで2日間も家に帰ってきませんでした。妻が電話をかけてもつながらなくて、腹が立った妻は私に八つ当たりしました。私は「怒らないで、次は私の出番だ」と言って、電話をかける前に、私は「息子の教育を妨害するすべての要素を解体します! 息子が直ちに電話に出て帰ってくるように。決して息子に動じられたりはしない」と強い一念を出しました。そこで私がかけた電話はつながって、私は「すでに2日間も家に帰ってきていないので、ご飯を届けに行こうか」と聞きました。息子は感謝して「いえいえ」と答えて、私が「すぐに帰ってくるんだぞ」と言うと、息子は「もう少し遊ばせて」と言いました。私は「では、お父さんがタクシーを拾って迎えに行こうか。父さんと母さんの気持ちも少し考えてくれるかな」と言ったら、息子は「そうだね」と言って、すぐに帰って来ました。私は「もしも将来、きみにも息子がいて、その息子が一日中ネットカフェに溺れて帰ってこないと、おまえはどんな気持ちになるだろうか。遊びに溺れるなんて、正しい生き方ではないだろう」と言って、息子は「ああ、確かに」と答えました。その光景をちょうど私の友人が見ていました。彼は「あなたは息子にこんなにも優しい話し方をするのか、驚いた。でも感心した。私ならばとっくにあいつに平打ちを食らわしてやる。我が子にこんなに優しく話しかけるなんて・・・」と言いました。

 親として、誰もが我が子に大きな期待をして、我が子が将来立派な人間になるようにと望んでいます。修煉者として、そのような期待を放下しましょう。我が子が将来どれほど優秀になるか、どれほど素晴らしく出世するかなどの期待を放下しましょう。たとえ我が子は本当に立派に出世したとしても、それは彼の運命なので、運命の中に出世の幸運がなければ親がいくら望んでいくら一生懸命に育てても無駄です。我が子は生々世々どこから来たのか、またどこに行くのかは親に関係なく、我が家に転生してくるのも一時的なことで、数十年間に過ぎないことです。もしも我が子が本当に成功したとしても、それは親の功労でも何でもなく、すべて神の按排です。親は我が子のおかげで「良く教育したね」と称賛を浴びますが、死に分かれたら何もかも終焉し、来世になると、対面しても互いに知らない他人同士になります

 以前、私が外で大法の真相を伝えると、妻はいつも阻止していました。特に、地元の同修が逮捕されたと聞いた時、妻は「あなたは他の人に伝えないでね。警察に知られたら我が家は崩壊してしまう」と言いました。 私は「私も危険だと知っているが、友人や知人が災難に遭った時、真相を知っていれば救われるんだ。伝えないわけにはいかない」と答えました。阻止しても無駄だと分かった妻は「では、今後あなたが真相を伝える時に私も手伝うわ。誰にも捕まるもんですか」と言いました。それ以来、家に大法の真相資料がある時、妻は密かに配ってくれて、私が真相が書かれた紙幣を家に持ってきた時、妻は率先して買い物に使って、私が真相を伝えて「三退」を勧める時、妻はそばで「脱退しよう、脱退しよう、中国共産党はどこが良いのか」と口添えしてくれました。

 師父は『二〇〇三年元宵節での説法』で、「相手の良くないところを見るのではなく、いつもその人の良いところを見るべきです」とおっしゃいました。ここ数年、私はできるだけ妻と息子の良いところを見て、常人レベルの良し悪しを追及したりしませんでした。家庭内のことやトラブル、家事など、所詮それぐらいに限られていて、人間の一生も所詮これぐらいの出来事に過ぎなくて、追及したり言い争ったりする価値があるでしょうか? 自分の念が正しい時には、周囲の環境も本当に変わります。修煉者が笑ったら周囲も一面に晴れて、修煉者が深刻な表情をすると周囲も暗い雲に覆われるようです。自分の持つ空間場が正しければ、周囲の環境も徐々に変わっていき、私たちの存在は衆生の救われる希望にほかなりません

 一時、私はご飯を作る時にいつも『洪吟三・人生は何のため』の詩を歌詞にした歌を歌っていました。歌詞に感動して胸が熱くなり、歌いながらよく涙を流しました。「人生 百年、誰のために忙しい 名利、肉親への情によって腸を断つ 曲が終わり、芝居の観客が去れば、誰が私か 蒼天は無言、どちらも迷う 大法が身近で洪く伝わり 真相を知れば迷いの航路が示される 衆生を呼び覚まし善悪を明らかにし 自我を取り戻して天国に返る」

 妻は「この歌詞は本当にいいわね。あなた、書き写してくれる? 私も覚えて歌いたいわ」と言いました。そこで、私は書き写してキッチンの壁に貼って、妻は何度も何度も暗記をしました。私と妻が買い物をしていたある日、妻はある買い物客に「あなたにある歌の歌詞を聞かせましょう。『人生百年、誰のために忙しい 名利、肉親への情によって 腸を断つ 曲が終わり、芝居の観客が去れば、誰が私か 蒼天は無言、どちらも迷う』」と暗唱しました。その女性は「お姉さん、あなたは詩も書けるの」と驚きました。私が「これは法輪大法の歌詞です、どう? 良いでしょう」と言うと、女性は「いいね、いいですね」と答えました。妻は引き続き「大法が身近で洪く伝わり 真相を知れば迷いの航路が示される 衆生を呼び覚まし善悪を明らかにし 自我を取り戻して天国に返る」と暗唱すると、女性は「あなたたちご夫婦は、本当に幸せそうですね」と言いました。私と妻は協力してその女性に「三退」をさせてから、仲良く買い物をして帰宅しました。

 妻は毎回、出張する前に恭しく師父にお線香を焚き、口の中でなにやら呟きます。私が「何を呟いているの」と聞いたら、妻は「私が出張する時の安全と、我が家が大金を儲けるようにと李師父に願っているのよ」と言いました。

 「佛様は金儲けの面倒を見ないよ」

 「いいえ、佛様は何でも面倒を見てくれると思うわ。あなたは修煉する前に誰の意見も聞き入れられなかったけど、李師父だけがあなたを変えることができたでしょう」

 「では、私の修煉は成就できると思うか」

 「できる、間違いなく成就できるわ! でも、あなたが成就したら私はどうしよう」

 「おまえも同じく修煉するんだ。人間が世に生まれてきたのは実は修煉のためだ。これは天機だがほとんどの人は知らない。修煉のほかに、未来へ導く道はないよ。おまえはいつも常人の些細なものを掴んで放下しないだろう」

 「でも、修煉しようとしても、私は足を組めないわ」

 「それは大したことじゃない、学法をして心を修めることが根本だ」と、妻と話し合いました。

 また、息子には「『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』と、すべての友達に教えてあげるんだ。彼らは信じさえすれば救われるだろう」と言いました。息子は 「そうだね」と言いました。ある日、私が息子に電話をかけて早く帰宅するように催促すると、息子は「今、友達と一緒にいて、彼らに法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしいと教えているよ」と言いました。

 また、息子は何度か、慌てて家に走ってきて、「お父さん、早く本を隠そう。友達によると、ここ数日、お父さんたちの仲間が捕まったそうだ。この数日間はもう真相を伝えないで、父さんはもうたくさん伝えたから、少し休もう」と言いました。私は「休むわけにはいかない、これは私の使命だ」と答えまし た。

 もしも師父がおられなければ、もしも私は大法を修煉していなければ、この息子は息子らしくいられただろうか、私の家庭は幸せだっただろうか、私自身も健康で元気にいられただろうか、と私は考えました。

 後書き

 同じ家庭ですが、私の修煉の前後は雲泥の差です。家庭の魔難を乗り越えてこられたのは、すべて師父の慈悲なるご加持のおかげです。師父がおられなければ私のすべてはあり得ません。師父の慈悲と偉大さは言葉を尽くしても表現できないものです。法を正すことはすでに最後の時期まできたので、私は必ず日々精進 して、必ず大法の基準に達して円満成就します!

 師父に感謝します! 同修の皆さんに感謝します!

 (完)

 (明慧ネット第11回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/11/12/299779.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/11/14/146847.html)
 
関連文章