文/中国の大法弟子 明亮
【明慧日本2015年2月14日】(次の文へ)
師父、こんにちは。同修の皆さん、こんにちは。
私は1994年に法輪大法を学び始めた古い弟子です。私は特に幸運な事に師父が自ら主催された学習班に参加しました。そして以前はこの地区の煉功点の指導員でした。
当初、私は気功などに興味があまりなく、大法を学び始めたきっかけは李洪志師父の説かれたこの法の内涵がとても大きく、純正、慈悲であり、そして法輪大法は佛を修め、師父は法輪大法が宇宙の大法であることを明確に指され、私を驚かせたことでした。私はすぐ大法を学び始め、一心に法を勉強し、煉功も苦労して出来るようになりました。
病気治療のための大法修煉ではなかったのですが、煉功するようになってからは、私の身体の変化はとても大きいものでした。過去には体調が悪く、偏頭痛や自律神経失調症や関節炎や子宮内膜症などを患い、まだ若いのに家政婦を雇い、なにかあったらすぐ入院し、大変身体が弱かったのです。修煉をしばらくしてからは、これらの病が治り、そしてすべての家事もできるようになりました。
1999年7.20の後間もなく、私は同修と一緒に省政府、市政府に訪ね、大法と師父が誹謗中傷されていることを訴えました。そのため、私は派出所に連行されました。2000年、私と現地の学習者は北京に行き、国家責任者たちに法輪功を知ってもらい、迫害を停止するように求め、天安門広場で横断幕を開き、同修と一斉に「法輪大法は素晴らしい。法輪大法は正法です」と叫び、再び天安門派出所に連行されました。帰ってきた後、私は現地の邪悪に「重要人物」としてマークされました。
十数年間、私は多くの魔難を経て、現在すでに60歳に近くなりました。私の身体はますます健康になり、白髪がなく、肌もきめこまかく、満面つやつやで、人々に30代の人だと言われ、息子と一緒にいる時、姉弟と見られました。
修煉を初志貫徹する
十数年の中で受けた中国共産党の各種の虐待と暴力については後にし、まず先に私のこの数年の大法修煉の向上と感想を述べます。
最後に拘束された労働教養所から出たとき、私が切に望んでいたことは学法でした。家にあった大法書籍は邪悪に取られていました。しばらくして、ある同修が命がけですべての大法書籍を送ってくださいました。私は急いで仕事を探す事はせず、毎日多くの時間を費やして静かに法を勉強しました。学法を通し、旧勢力の存在の実質と目的、そしてこの迫害は師父がまったく認められていないことが分かりました。
法理が分かると、この数年いつも旧勢力の迫害を抜け出せなかった自分の原因も見つかりました。それは自分の生命の深いところに旧宇宙の修煉の観念と痕跡がまだ残っているからで、試練の中で魔難を受けることが多ければ、業力を滅するのが速く、功の伸びも速くなると思い込んでいました。実際、これは旧勢力の迫害を黙々と認め、旧勢力が按排した道を歩んでいるのです。自分の考えを速く修正するため、私は毎日正念を発し、自分の空間場にある大法および大法弟子を迫害するすべての邪悪要素を取り除き、旧勢力のすべての迫害の口実を認めませんでした。610弁公室の人は毎日私を尾行し、よく私に「一緒にお茶をする」ことを誘い、「あまり活躍しないよう」にと要求しました。これは私が真相を伝える事を妨害し、止めようとしていたのです。私は正念を発し、彼らに大法弟子を迫害する利害関係をはっきり説明しました。それからは尾行されたりすることやお茶の誘いが無くなりました。
師父は数回の説法の中で「修煉は初志貫徹することができれば、必ず円満成就します」[1]という法理を説かれました。そして師父はこう説かれました。「終始一貫して、絶えず精進することこそ本当の精進なのです。このように話していますが、行うことは本当に難しいのです。ですから、初心を忘れずに修煉していけば、必ず正果を得ることができると言われています」[2]。外部の環境がいくら複雑でも、修煉の道がいくら歩み辛くでも、私は元気を持って完全に師を信じ、法を信じます。千万年待ち望んでいたのは今日のためではないでしょうか。緩んではいけません。
集団学法、集団煉功、法会での交流は師父が私たちに按排された、精進し真に修める形式です。私は一部の古い学習者に連絡し、学法グループを作ることを提案しました。しかし、ある学習者は私がスパイかもしれないと言ったり、ある学習者は私が厳しく監視されているから、私に敢えて会う人がいないと言ったりしました。私が思うには、これらの考えは旧勢力が学習者の人心を利用し、混乱と間隔を作ったのです。私は法を勉強し、毎日正念を発し、旧勢力に作られた他空間の間隔を取り除き、師父の加持を求め、必ず学法グループを作ることにしました。徐々に古い学習者が交流に来て、私が彼らに学法グループを作ることを話すと、彼らはすぐ賛同しました。
私たちの地域では相次いで学法グループが立ち上がりました。私たちは毎週4~5日、集団学法に参加し、定年になった年配大法弟子は午前に全体学法し、午後に全体煉功し、一緒に集まることがみな嬉しいようで、1999年7.20以前の幸せな雰囲気に戻ったような感じがしました。
学法グループが出来て、エネルギー場が強くなりました。皆は励まし合い、恐怖心がある一部の学習者も徐々に恐怖心が無くなり、正々堂々と外に出て真相を伝えました。皆は自分に何ができるかを考え、自分の特長によってそれぞれ大法の仕事をしました。一つ一つのチームは毎日数百部の資料を配り、数十人に三退を勧めました。ときには、皆で一緒に高層マンションに行き、一日数百部の資料を配りました。
師父が法を正すことの進展につれ、新しい学習者が続々と入り、古い学習者は新しい学習者を連れて一緒に法を勉強し、外に出て真相を伝え、お互いに協力し、その効果はとても良かったのです。学法グループは学法の場でもあり、情報交流の場でもあります。資料の制作では協調して、若い同修は年配同修を助け、役割を分担し、真相DVDを作成したり、小冊子を印刷したり、真相ラッパを作ったり、お守りを作ったりして、誰が協調人であるかを問わず、みな積極的に協力し合いました。
誰かが病に妨害されると、一部の学習者はすぐその同修の家に行き、正念を発したり、法を勉強したりして、その関を乗り越えることを助けましたし、他の同修は自分の家でその同修のために正念を発したりしました。また誰かが邪悪に迫害されると、学習者は同じように正念を発したり、その同修の家族の正念を樹立することを助けたり、邪悪な拘置所に行って釈放を求めたり、あるいは正義感の強い弁護士に依頼して法律を用いて救出したりしました。このような良い修煉環境の中で、忙しくて疲れても、心がとても落ち着き、充実していると感じました。ときには、衆生を救い済度するプロジェクトのために徹夜で資料を作成しました。しかし翌日変わらずに会社に行きましたが、まったく眠くなりませんでした。
大法弟子は三つのことをしっかりやっている中で、自分の心性を高め、昇華していきます。同修たちは毎日一緒に各プロジェクトを行って大法を実証しました。ときには、同修の間にトラブルが現れ、ある同修は私に「仕事が多ければ多いほどトラブルが多くなる」と言いました。数名の同修は異なる意見を受けいれられず、資料チームを離れました。私はこれが正しくないと思います。
この数年、私は三つのことをやることが多くなりました。ある同修は私に文句をいうことが多くなり、私はこのことで自分の執着心が暴露されたので良い事だと思いました。私は、自分の事を「良い星の下に生まれた」と冗談をよく言いますが、これらのトラブルがなく、みな仲良しであれば、私はどのように向上するでしょうか。この数年、私は三つのことをやっている中で、自分がいつも正しいと思う心、人に指摘されることを許さない心、仕事にかまける心、歓喜心、顕示心などを徐々に取り除きました。今、これを口にすると軽く感じますが、当時関を乗り越える時は大変でした。このように比して学び、比して修め、精進している良い環境の中で、学法グループ全員の心性がある程度まで向上した事は、一石二鳥ならぬ一石多鳥の予想外に大きな良いことでした。
(続く)
注:
[1]李洪志師父の経文:『二〇一三年大ニューヨーク地区法会での説法』
[2]李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二〇〇九年大ニューヨーク国際法会での説法」
(明慧ネット11回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/11/19/146931.html)