ゆったりした環境下で 精進して執着を取り除く
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2015年6月14日】去年、夫にスマートフォンを買ってもらい、ネット利用がもっと便利になりました。徐々に、私は深く考えず、気楽に楽しむようになりました。ショートメッセージが入って来る度にその内容をチェックし、興味のある話題であれば、更に詳細に見てしまいました。それは「社会の現状を把握し、真相をより良く伝えるために役立てるため」と自分に言い訳をしていました。

 修煉後、特に党文化とは何かを知ってから、中国大陸の政治、ニュースや、映画、ドラマを見ないようにしています。しかし、いつの間にか、韓国のドラマに興味を惹かれ、最初は、少しだけ見ていましたが、徐々に毎日見たくなり、この執着心が強くなり、家族にも韓国のドラマを一緒に見るよう勧めました。私の家族への説得のセリフは、「中国大陸の劇などは色情や暴力や腹の探り合いを見せて、人々にもっと悪い人になるよう教え込んでいる。一方、韓国のドラマは礼儀、寛容、博愛を宣伝し、見た後に感動を与える」というものでした。それは表面上、家族に党文化から離れるよう説得しているように聞こえますが、実際のところ、私は自分の寂しさを埋めるために、安逸心や情欲への執着を覆い隠そうとしていました。それが間違いだと知りつつ、徹底的に取り除こうとしていなかったために、修煉状態が不安定で、なかなか向上できませんでした。

 ついにある日、私のスマートフォンはネットにつながらなくなりました。無線でネットを使っていますが、家のノートパソコンも、家族の携帯も、皆、正常に動いているのに、私の携帯だけは駄目でした。修理に出しても、異常がないと言われるのですが、持って帰るとやはり使えません。そのような現象が20日ほど続きました。この時になって、私はやっと悟り、修煉の厳粛さと着実に修めることの重要性を認識しました。

 師父は次のように説かれました。「とりわけ現在のこの社会に、皆さんも目にしましたが、良くないものがあまりに多くあり、人の執着を抓み、人の心を引っ張って、世の人々を絶えず下へと引きずっていくのです。これは非常に恐ろしいことです。大法弟子は修煉している人間であり、修煉している神ではなく、修煉中の人なので、多かれ少なかれ妨害されるのです。自分を制御できなければ、常人と同じようになり、妨害されるときの現れは常人と何の違いもありません」[1] 「他の生物、植物と動物が法を認識する必要がないので、私は直接それらを良くすることができ、直接それらを作り直したり同化させたりすることができます」[2]

 この二つの説法を学び、私は執着をなかなか取り除けない自分に嫌気がさしました。こんな大事な時期に、私は三つのことをきちんと実行せず、旧勢力と時間を争って衆生を救わず、ただただ時間を浪費し、生命を無駄にし、邪悪が喜ぶことをしていました。しかも、スマートフォンにも命があって、この特殊な時期に、私に正しく使われず、師父に救われるどころか、かえって私の執着によって大法に罪を犯し、無数の生命が命を失うかもしれません。私はどれほどの悪事を働いたでしょうか!

 ここまで悟り、私は両手を合わせ、過ちを認め改める機会を下さるよう師父にお願いしました。そして、再び過ちを犯しませんと誓いました。

 翌日、スマートフォンの電源を入れると、無線のアイコンが表示され、いつものように点滅し始めました。その日から、アイコンは再び消えることはありませんでした。

 私の周辺に、私と同じように、ゆったりした環境の中で、徐々に安逸心が出ている同修がいます。一部の同修はネットで遊んだり、チャットに夢中になったり、ネットでショッピングし、街をぶらついたりしています。彼らは常人のもので下へ引きずられていることも知らずにいます。……どうか、この私の経験が同修への警鐘となれば幸いです。

 認識に限りがあるので、法理に沿わない部分があれば、慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇〇九年大ニューヨーク国際法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『北米第一回法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/5/28/310055.html)
 
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