夫と姑に対する恨みを解消した
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2015年7月27日】私は1999年の迫害が始まる前に法輪大法を修煉し始めたのですが、当時はまだ着実に心を修めることが分かっていませんでした。2002年、私は常人の男性と結婚しました。自分は大法弟子だから、どんな人と結婚しても、どんな環境の下でもしっかり心性を守ることができると思いましたが、しかし夫婦の不仲、生活の苦しみはまるで山のように押し寄せ、修煉して日が浅く心性がまだまだ高くない私は、その大きな魔難に圧倒されました。

 家計を支えるために私はアルバイトをしました。とても疲れる肉体労働で、夕方になると足首が折れるほど痛いのです。しかし家に帰ると、私を迎えるのは夫の侮りと罵倒、舅と姑の冷たい顔しかありません。私がしたことはどんなことも間違っており、彼らから見ると、私は使い道のない人間で、「ブタにも及ばない」が夫の言葉でした。心の痛みは私を冷たい人間に変え、どんなことも、どんな人にも私は関心を持たなくなりました。

 夫と家庭に対する恨みは私の心で雑草のようにはびこりました。夫が外で何かの事故に巻き込まれて、永遠に帰って来なければいいのにとよく思いました。家出をしたい、自殺したいと何度も思いましたが、しかし何と言っても自分は修煉者だという自覚がまだありました。学法はしませんし、同修たちとも疎遠になっていますが、大法弟子に対する基本的な要求を私はやはり分かっていました。家出や自殺は、すべて修煉者としてやってはいけないことです。今の苦難はすべて業力の輪廻によるもので、修煉者は忍耐しないといけないと分かっていました。私は一回一回、そのように大法に対する信念で我慢して乗り越えてきました。

 その後、私は仕事を変えて、同修のAさんが開いた店でアルバイトを始めました。その時の私は、すでに笑うことさえ忘れて、人と会話することも怖くなっていました。Aさんが私を雇ったのは、完全に私を助けるためでした。勤務時間中にもかかわらず、私にチーム学法に参加させるために、Aさんは1人で店に残って2人分の仕事をしました。

 同修たちの助けで、私はやっと大法弟子の全体の環境に入って修煉者らしくなりました。家庭環境も私の心性の向上に従って変わりました。家にいる時、家事のすべてを私は1人でやって、姑に休んでもらい、糖尿病患者が食べられる果物やクッキーなどを姑のために買いました。だんだんと姑の冷たい顔は暖かくなって、よく私と日常会話をするようになりました。それは結婚してから、一度もなかったことでした。

 しかし夫に対する恨みを私はずっと放下できませんでした。同修たちはよく「ご主人に優しくして、彼の良いところを見ないといけません」と言ってくれます。私は口では「はい、はい」と承諾しながら、心の中で「誰に優しくしても、彼に限って私は優しくできない」と思いました。私は恨みという物質に包まれて、その恨みはまるで私の越えられない関になっていました。そのため、夫婦げんかは絶えませんでした。なぜまた怒り出したのか、本当の睦まじい夫婦のようになれなくても、せめて隣人のように穏やかに付き合おうと、私はいつも後悔しました。しかしどんなに内に向けて探しても、闘争心、恨み、悔しさ、夫に言われたくない心、メンツなどの執着心が見つかったにも関わらず、夫とトラブルになるといつも我慢できずにけんかしてしまい、私自身も思い悩んでいました。

 ある日、仕事を終えて家に帰った時、目に映った光景はシンクに溜まって洗っていない食器、汚れた便器、汚い床、ベッドに横たわってテレビを見る夫、……かちんと頭にきたのですが、歯を食いしばって夫に怒りませんでした。実は今までそんな光景は数え切れないほど見てきましたので、このままでは解決になりません。夫との関を乗り越えなければなりませんでした。

 家を片付けながら、心の中で自分の執着を探しました。やはり上に書いたそれらの執着心ですが、探して探して数年も経ちました。私は怒りを抑えて、「師父、数年も長引いている家庭の関を乗り越えたいのです。どんな方法でもいいのです。私はどうしても乗り越えたいのです」と師父にお願いしました。その時、『轉法輪』の中の一言が私の頭に浮かびました。「他人に良いことがあったら、その人のために喜ぶどころか、自分の心のバランスがとれなくなります」。そうなんですよ、嫉妬心なのです! 夫に対するすべての恨みや不満の根は嫉妬心なのです。

 それを悟った瞬間、山のように私の頭を押さえていた、もう消去できないと思った夫に対する恨みは、すうっと消えました。これまで彼を恨んだことが全然なかったように、心の中は言葉で言い表せないほど楽になりました。本当に師父が『洪吟二・師徒の恩』でおっしゃった「弟子の正念足りれば 師は回天の力有り」でした。そして、師父が嫉妬心のことを単独に取り上げられた理由を私はいっそう理解しました。

 『轉法輪』に「嫉妬心を無くさなければ、人の修煉した一切の心が脆弱なものになります」とあります。その日から、私の心にもう恨みがなくなり、夫と話す時も優しくなり、夫のために考えることもできるようになって、夫婦仲も変わり始めました。

 今回のことを通じて、心性の修煉がいかに大事なか改めて分かりました。心性を高め ないと、三つのことがきちんとできないだけでなく、家族もあなたから大法の良いところが見えず、かえって大法を誤解してしまうのです。

 また、執着心を探す時に表面に止まるのではなく、深く根元まで掘らなければなりません。私と同じように家庭の関に陥って、どのように脱出するか困っている同修に、早く自分を修めてほしいと切に望みます。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/3/31/306616.html)
 
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