法の中に溶け込む(一)
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文/中国の大法弟子 淨心口述 同修整理

 【明慧日本2015年7月14日】

 私は1996年から法輪大法の修煉を始め、今年60歳になり、大法の中で18年間恩恵を受け続けてきました。今日は同修の手伝いの下で、自分の修煉体験を書かせていただきます。間違ったところがあれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 一、やっと心を修める大法と出会う

 私は1992年に佛教を信仰し、敬虔な佛教徒になりました。1996年夫が肝硬変の末期になり、市の病院に入院しました。医者からは余命半年と告げられました。2人の子供たちは学校に通っており、家庭のすべてを私1人で解決しなければなりませんでした。毎日非常に疲れ、家族に見られない時にはしょっちゅう涙を流しました。

 夫の入院用のお金を借りようと姉の家に行きました。途中いろいろな考えがありましたが、ぱっと「今こんなに困難な時期でも、拾ったお金は必ず落とし主に届けよう」と思った途端、突然重くなっていた足は軽くなり、疲れも感じませんでした。じっくり考えてみたら、先ほどの自分の善の念がもたらした現象だと信じました。

 お金を借りて、病院に向かうバス停で待っている時、法輪功修煉者に声を掛けられました。彼女は私が持っていた数珠を見て「あなたは佛を信じているようですね」と聞いてきました。私がそうだと答えると、彼女は「佛教を信仰するより法輪功を煉った方がいいですよ」と話してきました。法輪功って何ですかと聞いたら、彼女は「法輪功の修煉は自分の心を修めることだと師父から教えていただきました」と言いました。私はその話を聞いて、感電したような衝撃がありました。長年佛教を信仰してきましたが、自分の心は変わらず、会社でこっそり雑巾とか持ち帰ったりしていました。法輪功は人心を修めて人が清らかになるものだと知って、自分も煉りたいと話しました。彼女は法輪功の書籍を購入できる場所を教えてくれ、私はまず法輪功の書籍を購入してから病院に行きました。1996年7月に、私は出会い難い宇宙大法に逢ったのです。

 二、1時間の学法で心身が変わる

 病院まで1時間かかりますので、私はバスの中で『轉法輪(巻二)』を読みました。師父のおっしゃった一言一言が頭のなかに入ってきました。見れば見るほど大法が素晴らしく、正しいと思いました。日中外で歩きっぱなしで疲れた身体が元気になり、心が浄化されるように感じました。これはまさに天の本だと思いました。その幸せ感と感動でバスの中でずっと涙を流しながら本を読みました。

 病院についてから、私は夫に、「この本は本当に素晴らしいです。あなたが今本を持ち上げる力があれば、この本を絶対見るべきです」と伝えました。夫は私の話を信じませんでした。翌朝、私はすぐこの功法の動作を煉りたいと思いました。

 私は煉功点を探し、人の群れの一番後ろでこっそり動作の真似をしました。一つ一つの動作をするたびに気持よく感じました。第2式を煉るときは、突然心臓が止まっているようで、目の前が真っ暗で声も出せませんでした。しかし意識ははっきりしていて、怖がる心はなく、心から師父が私の身体を調整してくださっていると思いました。時間がちょっと経って、悪い感覚は徐々に弱まり、第4式を煉るときは完全になくなりました。

 私は自転車に乗って家に帰りました。以前は自転車に乗るとき、足が重くて大変でしたが、その日はオートバイに乗っているように非常に速かったのです。家に戻って休憩しようとベッドに横になると、目の前に色鮮やかな法輪が回転し、身体にも二つ三つの法輪が回転して、私の身体を調整してくださいました。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/6/26/311306p.html)
 
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