法輪大法を信じて 奇跡が現れる
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文/中国の大法弟子 碧蓮

 【明慧日本2015年2月5日】法輪大法を修煉して18年経ちました。振り返ると、大法により家族、親戚、友達、そして救い済度された衆生にもたらされた奇跡と素晴らしさは、言い尽くせないほどたくさんあります。

 大法弟子に善をもって接し 大法の恩恵と福報を得る

 金蓮さん(偽名)の夫はある男子刑務所の刑務官で、金蓮さんは以前、個人タクシーの運転手でした。2011年、私が迫害されていた間、家族と友達の紹介で、金蓮さん夫婦と知り合いになりました。夫婦は私を女子刑務所から脱出させようと懸命に助けてくれました。それまで、彼らは法輪功迫害の実態および私がなぜ迫害されているかを知らず、また、聞く耳も持っていませんでした。金蓮さんはさらにそうでした。

 私が刑務所から出て来た当時、元々75キロだった体重が30キロちょっとしかありませんでした。金蓮さん夫婦は私を家まで送ってくれました。半年後、私の体が元通りに回復したのを見て、夫婦は驚き、また喜んでくれました。刑務所から嫌がらせをされたため、私はしばらく家を離れました。

 ある日、金蓮さんは用事があり、我が家に来ました。その時、妹が金蓮さんに真相を伝えると、彼女はほとんど納得しました。2013年のお正月、金蓮さん夫婦は私に刑務所の嫌がらせを受けさせないために、我が家でお正月を過ごしました。その後、長女の結婚式に、夫婦はまたわざわざ遠い所からお祝いに来てくれました。

 金蓮さんはおしゃべりで明るい性格です。その後、彼女は2回我が家に来て、自分が法輪功の真実を理解するまでの過程とその間の色々な出来事を滔々と話しました。「お姉さん、最初、私は法輪功が何か全然分かりませんでした。自分と無関係だと思い、聞こうとも思いませんでした。お姉さんを助けたのは友達の紹介だったことと、ご主人のお姉さんに対する心にとても感動させられたからでした。そして、お姉さんの以前からの様々な持病が法輪功を修煉して治ったと彼から聞いたからです」

 「私がなぜ法輪功を信じたのか分かりますか? 刑務所に迎えに行った時、お姉さんはあんなに痩せていたのに、数カ月後、すっかり回復し、さらに薬を1粒も飲まず、法輪功を修煉しただけで良くなり、本当に信じられませんでした。そしてもう一つ、ある刑務所の女性刑務官から聞いた話です。ある法輪功学習者は以前、大腿骨が壊死していましたが、法輪功を修煉してからよくなりました。しかも気の合う銀行員のご主人まで見つけたと聞きました。当時お姉さんからこういう話を聞いても、絶対に信じていませんでした。私は自分の耳で聞いて、自分の目で見たので、信じるようになりました」

 「お姉さんと妹さんから、『法輪大法は素晴らしい!』『真・善・忍は素晴らしい!』と念じるようにと教えられてから、私は毎日念じて、我が家の平安と息子が軍事学校に合格するよう、祈っています!」

 金蓮さんの話によると、息子は学校であまり勉強せず、仕方がないので軍事学校に入れるしかありません。息子は金蓮さんの命の綱であり、家族の平安と息子の大学合格を願って、金蓮さん夫婦は多くの名山や有名な寺に行き、菩薩にご加護をお願いしましたが、全て効果はありませんでした。

 金蓮さんは、「私は今『法輪大法は素晴らしい!』のカードを鏡に貼り付けて、毎日念じています。そうして、とても効果がありました。息子は今回、一次試験で1番になり、また、ひどい近視でしたが、射撃訓練で記録を破りました! 息子は『僕は8万元、稼いであげたよ』と言いました。なぜなら、大学に入るためには、謝礼に8万元もかかり、それでも必ず受かるとは限りません。お姉さん、息子が本試験に必ず合格するように助けてください」と言いました。私は「あなたが誠心誠意念じて、息子さんも念じてください。そして、共産党の組織から脱退させ、心から信じれば、師父は必ず助けてくださいます」と伝えました。

 2013年の秋のある日、金蓮さんは夫に電話をかけて言いました。「息子は試験に合格しました! 田舎の小さい県出身の兵は、有名でもないし、見た目も良くないし、地位もなく、何もありません。しかも能力のある子がたくさんいます。贈り物を送りたくても、どこへ送るかも分からないし、受け取ってくれるかどうかも分からず、何もないのに、息子が合格したのは信じられません。100万元も節約できましたよ!」。その後、金蓮さんはまた電話をかけてきて「息子は軍事学校に入ってから、班長になりました」と言いました。

 金蓮さんは私の夫によく電話をかけてきて、「お姉さんに教えてもらったように毎日念じていますので、全て順調です。これから親戚として付き合いましょう」と言いました。

 金蓮さんの夫は最初頑固でしたが、今は教えられた通り、「法輪大法は素晴らしい!」と念じ、共産党から脱退し、車に飾っていた毛沢東のお守りも破り捨てました。我が家から帰る時、彼は大法のお守り、『九評共産党』、神韻DVD、『風雨天地行』とネット封鎖突破ソフトを持って帰りました。

 この夫婦は、大法弟子を守り、「法輪大法は素晴らしい!」と信じて、「三退」したため、大法の恩恵と福報を得たのです。

 真相を聞き 腰椎間板ヘルニアが直ちに完治

 2005年の夏、私は同修と一緒に市場にニット製品の露店を出しました。露店は従妹の店の前にあり、露店を閉める時、従妹はいつも片づけを手伝ってくれました。ある日、彼女は「お姉さん、今日はお手伝いができない、腰がいたいから・・・」と言いました。彼女は椎間板ヘルニアを患っており、3日毎に県都の病院に通い、注射をしてもらっています。注射は非常に痛いのですが、泣くのを我慢して、いつも家に帰ってから泣いていると言いました。

 今回は店を閉めてから、私は同修と一緒に車で彼女を病院まで送りました。私は同修と彼女に真相を伝えました。以前にも伝えましたが、聞く耳を持たず、信じてくれませんでした。法輪功が私の家族の命を助けてくれたこと、私たちの周りの知り合いが「法輪大法は素晴らしい!」と念じ、共産党組織から脱退して、その結果、病気が治ったこと、天災、人災に遭っても避けられた実例を伝えました。車で10キロくらい走ったころ、ずっと黙っていた従妹が突然、「お姉さん、私は治った!」と言いました。

 県都に着いて、従妹は私の兄の家に行きました。義姉が亡くなったため、夜、いつも洗い物の手伝いをしています。従妹は「本当に治ったのかしら?」と疑いました。そして、洗い物をしながら、腰を曲げたり、伸ばしたりしても全然痛みません。翌日朝食を作った時、しゃがんでも何事もなく、本当に治ったのだと信じました。彼女は注射をしないで、車に乗って家に帰りました。

 それ以来、従妹の家族は皆が信じて、いつも「法輪大法は素晴らしい!」と念じています。ある日、従妹は北京に仕入れに行って来ました。佛の掌に座っているようで、とても心地良かったそうです。私が真相を伝えて人を救い済度する時、従妹がいれば、彼女が体験を話してくれるので、皆がすぐに信じます。それからは、従妹の家族全員が、人を救うことや大法のことを支持するようになりました

 従妹が奇跡的に治ったのを見て、同修も義姉の家に行きました。義姉は紀律検査委員会に勤めています。同じ病気で、家で1カ月以上休んでいました。薬を飲んでも、注射をしても治りません。普段、彼女に真相を伝えても、全然聞き入れませんでしたが、同修が従妹の件を伝えると、彼女も突然、「私も治ったよ!」と言って、翌日、仕事に行きました。

 1人が修煉すれば 親戚・家族が恩恵を受ける

 2006年のお正月の挨拶に、義姉は息子、嫁、孫を連れて我が家に来ました。以前、甥に大法の素晴らしさを話しても、彼は嘲笑し、鼻であしらっていました。今回夫は、大法は病気を追い払って健康を保持し、また、天災や人災に遭った時、命を守られると話し、そして共産党の法輪功に対する迫害は凶悪な犯罪であると伝えました。

 甥はそれを聞いた後、話し始めました。「ある日、私は大型ワゴン車を運転し、ちょうど下り坂にさしかかった時、ブレーキが効かなくなりました。車は矢のように坂道を下って行きます。車に任せるしかありませんでした。その時、真正面から2台の車が道いっぱいになって向かって来ていました。1台はワゴン車に6人が乗り、もう1台は三輪車で3人が乗っていました。スピードがとても早く、2台とも避けるのは絶対に無理でした。衝突するなら6人がいるワゴン車より、3人がいる三輪車の方しかないと思いました。ひと思いに、三輪車に向かって走っていました。しかし、奇跡的にも車は衝突しませんでした。車は10数メートル走って、上り坂があり、そこで車はやっとゆっくり止まりました。降りて見ると、タイヤが焼けていました」

 甥が私達に話した時もまだとても恐れていました。夫は「知っている? 叔母さんが修煉しているおかげで、家族全員が恩恵を受けたのだよ」と言いました。彼らはそれを聞いて、以前の態度とがらりと変わり、家族全員が喜んで共産党の関連組織から脱退しました。甥の命は大法により助けられたことが分かったのです。

 2年後、甥の妻が乗っていたバイクが制御できなくなり、いきなり橋の下に転落しました。通行人がすぐに110番通報しました。警察が来た時、どうしても彼女が見つかりませんでした。おかしいと思いながら、彼らは「ここで何回も事故が起きたが、橋の下に落ちて生きている人はだれもいないよ」と言いました。実は、彼女は橋から落ちて、甥に電話かけ、甥が車で迎えに来て家に帰ったのです。結局、足の皮が剥けたくらいの軽い傷でした。知った人々は、「お宅は神様に守ってもらっていますね」と言いました。

 夫は修煉を諦めたが 師父は放棄されなかった

 夫と私は1996年5月13日に法輪功の修煉を始めました。当時、夫は肝硬変初期で、医療では命の助かる見込みはすでにありませんでした。5カ月間入院して、家のお金がなくなり、借金をしながら治療を受けていました。当時、夫は皮と骨ばかりに痩せ、家族は後の事を話し始めました。その時、法輪功に出会い、夫は9日間、師父の『広州説法』のビデオを見ました。9日目に各項目の検査をお願いして受けましたが、結果は全て正常で、当日、さっそく退院の手続きをしました。主治医は退院を許可しませんでしたが、無理やり退院しました。

 帰ってから、薬を一切飲みませんでした。26日間、法を学び、煉功をしてから、会社に復帰しました。退院後の肝機能検査の結果は全て正常で、これはどんな薬にもない治療効果でした。しかも体に何の病気もありませんでした。

 1999年7.20、中国共産党の法輪功に対する迫害が始まり、夫は怖がって修煉をやめました。2005年10月、夫は全身が黄色になり、目はもっと黄色で、体力も著しく減退しました。彼は心の中で「法輪功を修煉して肝臓病がよくなり、修煉をやめたから、また、悪いこともしたので、業力がまた戻ってきた」と分かっていました。今回入院して、家にまたお金がなくなりました。夫は、自分の病気はすでに治る見込みはなく、入院するのは命もお金も消耗するだけだとよく知っていました。

 同修達は病院に見舞いに行き、大法の修煉に戻ってくるよう勧めましたが、夫は断りました。気分はとても落ち込んでいて、聞く耳を持っていませんでした。さらに言うと、夫は「私は本を破り、写真を・・・、もう恥ずかしくて戻れません」と言いました。私が何回も迫害されていた期間中、夫はプレッシャーをかけられ、本心とは違って大法の悪口を言ってしまいました。私に修煉を止めさせるため、大法の本を破り、師父の写真を投げ捨てました。

 同修が夫に「師父はあなたを放棄されていないので、あなたが大法に戻ってくるのを待ち望んでいらっしゃいます」と言いました。翌日、夫の妹が見舞いに来ました、泣きながら夫に「お兄さん、最初に病気になった時、どのようにして治ったのか、はっきり言ってください」と言いました。夫は「法輪功を修煉してよくなった」と答えました。妹は「そうでしょう。また修煉して下さい」と言いました。

 当日の夜、夫は下痢をして何回もトイレに行き、また、高熱も出ました。私は夫と一緒に正念を発しました。12時の正念が終わると、熱が下がり、下痢も止まりました。しかし、夫はメンツにこだわり、会社の人に仮病と言われるのを恐れ、無理やり4日間入院してから家に帰りました。帰ってから薬を一切飲まず、法を学び、煉功して、1週間後、元気に会社に復帰しました。

 18年来、このような話はたくさんあります。それらは全て大法の不思議さと素晴らしさの現れであり、全て師父の慈悲深いご加護により救い済度されたのです。弟子達は法輪大法の素晴らしさと福報をもっと多くの衆生に必ず伝え、衆生が大法の佛光に照らされ、新たな生命となり、共に法がこの世を正す時期の到来を迎えます!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/12/22/301780.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/1/14/147966.html)
 
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