ある大法弟子の家族の心の声
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 【明慧日本2014年12月21日】私の両親は17年ほど大法を修煉しています。大法弟子の子どもとして、私が両親から受けた影響は小さいものではありませんでした。感じたこと、悟ったこともたくさんありました。両親は母方の兄弟の親戚の勧めによって修煉を始めました。当時、私は中学生でしたが、両親が大法に対して敬虔で、雨の日も風の日も毎日ラジオを持って広場で煉功学法をしていたのを見て、その意志の力に感服しました。両親が修煉してから、心身が大きく変化したのをみて、私は大法に敬慕の心を持ち、両親が修煉する事を支持しました。

 1999年7.20の時、中国共産党は
人心を修め善を重んじる法輪大法に対して残酷な迫害を始めました。それからの長い間、母は何回も捕まっては刑務所に入れられ、釈放されてはまた捕まりました。こういう恐怖に満ちた日々に私と兄は耐えられませんでした。そして我慢できずに、両親に大声で叫んでしまいました。しかし両親は私たちに対して、怒りもせず、いらつきもせず、いつも道理を教えてくれました。しかし私たちが背負った圧力は大きすぎて、両親の言葉は耳に入りませんでした。本当に耳に入りませんでした。そして心の中で痛感しました。「私たちは大きな福や富は求めませんが、ただ家族全員が安定した生活を送リたいのです」。私は大法に対して疑いの心を持ち、時には気にもかけずに大法に対して不敬な言葉を口にするようになりました。

 その後、私たち一家にたくさんの奇跡がおこり、
幼稚な私は本当に大法の不思議さと素晴らしさを知りました。同時に、私は両親が長年堅持してきた事は正しかったと感じました。私は今世で大法を修煉する両親を持った事を誇りに思います。同時に、心のなかで両親が修煉を堅持する事を支持し、私は最後まで修煉する事を決めました。以下は私の子供に起きた二つのお話です。今になっても両親が大法を修煉する事を理解出来ない子供たちに参考になればと思います。彼らが一日も早く観念を変え、両親の修煉を支持し、自分に明るい未来を選択してほしいのです

 私の子供は今年3歳です。
生まれつき右眼から水が流れ出て、黄色い目脂ができ、何回も医者に診てもらい、たくさんの目薬を入れてもらいましたが、良くなりませんでした。医者によると鼻涙管が不通だそうです。私は煙台市で手術を予約しました。当時子供はまだ2カ月になっておらず、年齢が幼なすぎるため、手術はできず、もう少し大きくなってからするしかないと言われました。毎日子供は小さい手でムズムズする目をひっかいたり、小さい手で不器用に顔をひっかきました。私の心は傷つき、怒りがこみ上げて、家族全員に怒っていました。母の家に帰ったとき、母は真面目に私に向かって、「あなたは、果果(赤ちゃんの名前)に、『法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい、師父は素晴らしい』と教えなさい」と言いました。母の言葉を聞いた時、私は心の中でイライラしました。「私たちの子供がこんな目に遭っているのに、そんなことを言わないで!」と思いました。しかし、表面では適当にうなずいていました。

 100日を過ぎても、子供の眼はやはり良くなりませんでした。100
日経った記念に写真を撮った時も片目は大きく、一方の片目は小さく、右眼は真っ赤に腫れて小さく潰れていました。母親として子供がこんな嫌な目に遭っているのを見るのはおもしろくありません。心が痛み、どうしようもなく、気分は最悪でした。この日の午後、母の家に帰ると、母の兄弟の妻が来たのを見ても話をする気にはなれませんでした。気分が変わると、師父の法像を飾っている部屋に入りましたが、心は複雑でした。手を震わせながら、線香をつけ、心の中で師父に向かって、「師父、果果を治してくださいませんか? 私に奇跡を一つ下さい。これからはもう絶対に大法に反対しません。私は絶対に大法を信じます」と言いました。自分で自分が、その場限りの思いで、佛の脚をつかみ助けを求めているのは分かっていましたが、心の中でどうしても師父に助けてもらいたい考えがあったのです。

 私が果果の部屋に入るとすぐに、母が「
あなたは師父の部屋にいって、師父にお願いしたの?」と言いました。私はびっくりしながら「母さん、どうして分かったの?」と言いました。この時、部屋の中にいた母の兄弟の妻は嬉しそうな声で、「あなたの娘のことよ! あなたの果果の目が治ったのよ! 早く見に来て!」と言い、私はすぐさま走っていくと、果果の右眼はもう治っており、左眼となんの違いもありませんでした。本当に不思議でした。その時、私はあまりにも感動して何を言えばよいか分かりませんでした。母が隣で「私があんなに言っていたのにあなたは信じなかったけれど、今はもう分かったでしょう?」と言い、私は非常に恥ずかしく、「はい」と答えました。そして、急いで夫とその両親にこの事を電話で伝えました。夫はとても感動して、「本当に信じられない!」と言い、大法を誤解していた夫の両親まで不思議に感じていました。

 今年の春のある日、私は果果が遊んでいる間の時間を使って、
門の外の掃除をしていると、運が悪いことに、果果はこんなわずかな時間に、ドアのロックを閉めてしまいました。外からは開けられません。私は慌ててしまい、急いで子供にドアを開けるように言い、絶対に門を閉めるような事をしないで、と思いました。何かを恐れていると、その何かが来るように、果果は本当に門を閉めてしまいました。初めはまだ「お母さん、どうやって開けるの? お母さん、どうやって開けるの? 開けられないよ、お母さん!」と言っていましたが、時間が経つと、果果は怖くなって泣き始めました。泣けば泣くほど門は開きません。家の門は前からは開けにくくなっており、大人でも開けようとすれば相当な力が必要で、2歳半の子供は言うまでもありません。私はとてもあせりました。近所の人に助けを求めたいのですが、離れるのが怖く、私は人を探して鍵を強制的に開けてもらおうと考えました。しかし電話が手元になく、また電話をして誰かが来るにしても、いつになるか分かりません。他の人に頼んで窓からよじ登っても、家の窓には防犯の網が張ってあり、全く入れない状態でした。果果は激しく泣いて、「ママ! ママ!」と喚いていました。私はあせって渾身の汗をかいていました。

 この時、私は師父を思い出しました。すぐに目を閉じ、
心の中で静かに師父に門を開けてくださるようにお願いしました。しかし、どうして静かにしていられるでしょうか。心臓がドクドク鳴って、泣きたくても涙もでないほどでした。何回も「大法は素晴らしい、師父は素晴らしい、師父お願いします。どうか門を開けて下さい」と言いました。かすかに果果が「開けないで、開けないで、ママに開けさせて、ママが開けて」と言うのが聞こえたので、私はすぐに果果に、「いい子、いい子、もう一度開けてみて、果果はすごいよ」と言いました。果果が泣きながら、手を適当に使っていると、「パッ」というロックが開く音がして、門が開きました。私は門を開けて、子供を抱き上げ、顔を上げて時計を見たらちょうど15分経っていました。子供は泣きすぎて全身が汗まみれで、洋服はびしょ濡れでした。私はもう一度門を閉めて鍵をかけ、また開けてみましたが、やはり鍵は開けにくかったのです。たった2歳半の子供にそんな大きな力はありません。果果がさっき泣いて叫んだばかりの言葉を思い出すと、私は改めて深く感動しました。慈悲な師父はもう一度私を助けてくださいました。師父のご恩は言葉で表すことができません。

 師父に感謝します。不思議で素晴らしい大法に感謝します。
大法弟子の子供として、私は師父の大きなご恩に報いることが出来ないので、私は頑張って自分が大法を広める人になります。そして、大法の素晴らしさをもっとたくさんの良い人に教えます。同時に、この二つの話を聞いた縁のある人に望みます。大法弟子に優しく接し、彼らが私たちのために真相を伝える時、しっかり聞いてあげてください。そしてあなたの迷いと誤解を解いて、彼らが素晴らしいという事を知ってください。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/12/5/301013.html)
 
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