「死んだような人」が瞬時に生き返った
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文/山東省の大法弟子

 【明慧日本2014年10月30日】1992年に法輪功の修煉を始めるまで、私は死んだような人で、吹く風にも耐えられないほど衰弱していました。信じられないかもしれませんが、他の人が洗濯しているのを見ると、そのしんどさを見て私は死にそうになり、また、人が大声で話をしても、その震動で気を失いそうになるぐらいでした。私は体中に痛みを感じ、心臓病、肝臓の結石、胃下垂、十二指腸潰瘍、高血圧、自律神経失調症、乳腺症(両方の乳房には傷口がいっぱいあり、裂けて血が出ている)等の病気を患っていました。私は病魔に12年間苦しみ、がりがりに痩せ、何回生死をさまよったか覚えていません。死からゆっくりと意識が戻って来た時の苦しみは、他の人にはとても想像できないものでした。自殺も考えましたが、しかし、子供との別れが辛くて、毎日泣きながら暮らし、悲痛窮まりない状態でした。

 1992年の冬、師父が私の郷里に法輪大法の伝授に来られました。夫がドキドキした気持ちで、師父に我が家にきて私の病気を診察していただきたいとお願いしようと思っていました(私が外出できないと心配していた)。師父は「彼女に来てもらってください」とおっしゃいました。私に来てほしいとの師父の伝言を聞いて、私の心に「行きます」の一念が生じた瞬間、私の体が変わり、心身ともに変わり、まるで冬眠から突然春の3月に入ったような感じで、私は蘇り、動けるようになりました。とても不思議な感覚でした。これは普通の先生ではないと思い、夫に頼んで、師父の所に連れて行ってもらいました。

 師父にお会いしたとき、私は師父のことを存じ上げていました。夢の中か、前世なのかは分かりませんが、確かに師父のことを存じ上げていました。師父は私に目を閉じさせ、大きな手で私を数回叩かれました。その瞬間、私の全身の病気が突然なくなりました。体が軽くて無病の感覚はなんと素晴らしいのだろうと思いました。

 更に不思議なのは、両方の乳房の裂けた傷口が全部治り、息が吹き込まれたようにふっくらして、血色もよくなりました。師父は私に自転車に乗らせました。その様子を見た会場の誰もが奇跡だと大きな拍手を送りました。私は感激の涙を流しながら、跪いて師父に叩頭しようと思いましたが、しかし、当時の環境の中で、師父にご迷惑をおかけするのではないかと思い、結局できませんでした。それは私の一生の残念な思いとなりました。

 あの時、30代の私は子供時代に戻ったように、毎日師父のそばに寄り添って、久しく別れていた母親を見付けたような感じでした。師父は私達の郷里に10日間滞在され、私は他の大法弟子と同様に、ずっと師父と一緒にいたくて、一時も離れたくありませんでした。私は師父について蕭城(安徽省)、大名(河北省)にも行きました。私はこの上ない喜びと幸せに浸っていました。

 当時、法輪功を学ぶ時、師父が『轉法輪』の中で説かれたように、座禅を組むと、布団も浮かび上がり、抱輪するとすぐに入定し、同修と一緒に法を学ぶと、読んでいる最中に、自分の体を感じなくなり、まるで法に溶け込んだ感じでした。あのころの精進して着実に修める日々は、本当に言葉で表現し切れないほどの幸せと素晴らしさを実感しました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/10/19/299170.html)
 
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