真の我と偽りの我 神の念と人間の念
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2014年8月13日】私は、難、関と出会う度に、真の我と偽りの我、神の念と人間の念を区別することがとても重要だということが分かりました。そこで、私の体験と悟ったことを皆と交流したいと思います。

 一、病業にあった時、私は直ちに「あなたは私ではない、私はあなたのことを認めないのです。私は李洪志師父の弟子なので、旧勢力のすべての安排を私は要りません。私の体は高エネルギーの物質により構成され、病魔が来たら、すぐ壊滅されます」と思い出すと、10分もかからないうちに元に戻ります。

 二、一人で学法するとき、数ページしか読んでいないのに、すぐに眠気を感じ、目をあけることさえできません。学法もしたくなくなりました。すぐに寝たいのです。私は魔に妨害されていることが分かります。こんな時、私は「神なら、眠気がしますか?」と思い、正念で睡魔を取り除きます。この場合にも、真の我と偽りの我を区別すべきです。

 三、時には、発正念の時間になると、直ちに雑念が生じてきます。「洋服はまた洗濯していない。部屋の中をまだ掃除していない」など。このとき、私はこのような念を消去します。やはり、発正念をすることを優先します。これも真の我と偽りの我を区別する時です。

 四、あるとき、私は外へ法輪功真相を伝えに行こうと思った時、ある念が浮かんできました。「私のことを理解できない人と家族の人に見られてはいけません。後で家に戻ってきたら、夫から色々と言われます」など。冷静に考えれば、これは恐れる心と人心ではないでしょうか? これらの執着心に妨害されないように、私は堅実に外へ真相を伝えに行きました。怖がる心をなくしたら、何事も問題は起こりませんでした。 

 五、私は第二式の功法を煉る時、どうしても静まることができませんでした。その時、思想業に干渉され、さまざまなことを思い出しました、酷い場合には、それに従って考えてしまいます。私は「これは私ではない。私はここで煉功しています。私は直ちにあなたを消滅します」と思いました。この時、頭には何の雑念も無くきれいです。正念が生じれば、真の我は目が覚めました。

 六、私が法を暗記する時、自分の人間としての一念が「暗記しないで。覚えても覚えられないでしょう。それは時間の無駄ですよ」と邪魔にきました。私はこの人間の一念に動揺せず、少し時間を使ってもやりがいがありますと思いました。法を全部暗記した時、時間を省くことになります。法は頭の中にあり、いつでもどこでも、師父の法を暗唱することができます。

 七、明慧ネットで違う地域の同修が邪悪に迫害されたとき、私は「どうせ、地元の同修ではないので、知り合いでもないし関係ない」と思いました。実はこれは偽りの我が作用し始める始まりです。大法弟子は一つの全体なので、同修が邪悪に迫害されることを見たら、発正念をしない理由がありますか? こうして、神の念が人間の念を超えると、真の我は大きな作用を働きました。

 八、私は夫が浮気した時、怒ったり恨んだりして、心の中に不満があり、彼と戦おうとして、すぐに分かれよう思いました。実は常人の道理を口実にして、法理に従っておらず、考えれば考えるほど、つらいのです。これから一緒に暮らすことはまったくできません。腹を立てている私はぼんやりしてベッドの上に座っています。目を閉じて少し休むと、師父の法を思い出しました。師父は「私がいつも言っていることですが、大法を学んだら、良いことにあっても悪いことに遭っても、皆良いことです。(拍手) なぜならば、あなたが大法を学んだから現れてきたことだからです。大法を学んでから、多くの魔難に遭っている学習者がいますが、もし修煉しなければ、これらの魔難はあなたを壊滅に向かわせるのです。大法を修めたから、これらの魔難が前倒しでやってきました。受けた圧力が強く、心性に対する試練をなかなか乗り越えにくく、時に大きな関に遭いますが、なんと言ってもこれらの魔難は必ず去っていくのです。全部清算され、勘定されるのです。(みな笑って) これはとても良いことではありませんか? ですから、良いことにあっても、悪いことに遭っても、大法さえ修めていれば、全ては良いことです。これは揺るぎのないことです。」[1]と説かれました。

 こんなとき、私は内に向けて探しました。前世、私も同じようなことをやったことがあり、それで借りができたと思いました。心が静かになると、自分が修煉者だということを思い出しました。 神は人に腹を立てるわけがありますか? これは真の我です。

 人はそれぞれ修煉の道でなかなか放下できない執着心があると思いますが、最後になると、放下しないといけません。修煉の道で、私達は難関と出会った時、苦痛に耐えて、よろよろしながら、今日まで歩んできました。師父の佛恩は広大であることを忘れないでください。そして、師父が私たちのために無数の苦しみやつらさを嘗め尽くしてくださったことと、師父はいつでもどこでも、私たちを加護してくださったことも忘れないでください。本当に「青糸斑白して人体傷す」[2]です。私はしっかり三つのことを行い、堅実に修め、精進するしかありません。そして、多くの衆生を救い済度し、ただ師父の笑顔を望んでいます。

 師父に感謝いたします! 同修の皆さんもありがとうございます。適当でないところがあれば、慈悲にご指摘ください。

 注:
 [1]李洪志先生の経文:『二〇〇五年サンフランシスコ法会での説法』
 [2]李洪志先生の詩:『洪吟三』「還原」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/4/15/290028.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/4/19/255.html)
 
関連文章