文/中国の大法弟子
【明慧日本2015年4月12日】2000年、夫は北京に陳情に行きました。天安門広場で「法輪大法は素晴らしい」の横断幕を掲げたため、不法に連行されました。その後、夫は脱走し、路上生活を送り、地方で再び連行され、最後に音信不通になりました。夫を救援し始めたため、しばらくして、私も不法に連行されました。
連行された時、私は一切協力せず、ひたすら善を勧めました。警官達は私を中庭の真ん中に引っ張りだして暴行を加え、私の腕を抑え足を踏み、跪かせて強制的に写真を撮ろうとしました。私は力いっぱい地面に転がり、絶対彼らに写真を撮らせませんでした。1人の警官はタバコに火をつけ、私に押し付けましたが、私はまったく痛みを感じませんでした。もう1人の警官は「もうやめなさい。彼女は痛みを感じないよ」と言うほどでした。師父が私を守ってくださったのです。
留置場で、私は警官の要求に一切応じず、毎日、法を暗唱し内に向けて探して、仕事をする心が私に学法を疎かにさせたこと、地元の学習者の安全意識の欠如に無力を感じ、消極的に対応して、同修をしっかり守らなかったことに気が付きました。それなら、ここでやり直そうと思って、拘禁された同修たちをリードして、毎日法を暗唱し、交流し、正時に発正念をしました。
そのため、留置場の警官は私を頻繁に移動させ、私を名指してトラブルメーカーだと放送しました。毎回尋問する時、警官は私を恐喝しましたが、私は発正念をして、彼らを落ち着かせました。私は知恵を持って、彼らに真相を話し、善を勧め、さらに、彼らに「修煉者を迫害すれば、悪の報いに遭います。あなた達を悪の報いに遭わせないように、私の上司を巻き込まないように、私は自分の名前を絶対言いません。あなた達に、よい人を迫害させたくないのです。これによって、もし、あなた達が悪の報いに遭えば、それは自滅することになります」と言いました
ある日、彼らはまた尋問に来て、同修が私の名前を明かしたと言いました。私はまったく心を動かさずに、「同修達が拷問に耐えられず、私の名前を言ってしまっても仕方ありません。しかし、私はいかなる悪い事もしていません。信仰を持つことは合法です」と言いました。翌日、また数人の恐ろしそうな警官が私を囲み、厳しい声で「今日は、お前をやっつけに来た」と言いました。その人たちは凶暴に私を強制的に自白させようとしました。私は師父の説法を思い出し、それは彼らが私を迫害しているのではなく、彼らの背後に潜んでいる邪悪の仕業だと思いました。そこで、私は邪悪を一掃するように発正念をしました。同時に、私はとても穏やかな態度で「これはあなた達の本意ではありませんね」と言いました。もっとも恐ろしそうな警官はぷっと吹き出して、私が話す真相を聞いてくれました。
衆生の誰もが、危険を冒してこの世に来て、救われるのを待っているのです。誰が大法を敵視するのでしょうか。その後、留置場の所長は私のことをたいしたものだと言ったそうですが、実は、私はただ世間知らずの田舎の弱い女性に過ぎません。しかし、私の心の中には法があります。法には円融不滅の法理と計り知れない知恵があるため、そのおかげで、私は迫害の前で慈悲の心と知恵を持って、冷静に対応することができました。そのすべては偉大な師父と大法の威力によるものでした。
所長、副所長と多くの警官達は私が書いた善を勧める手紙を読みました。それによって、迫害は軽減され、彼らも私のことをあまり構わなくなりました。私はいつも紙やペンを求めて、同修のために法を書き写し、警官に善を勧める手紙を書きました。また人に会うたびに真相を伝え、同修達と集団煉功、集団発正念をしました。全体の環境は次第によくなりました。
私が所長に最後の真相手紙を渡した時、私は「言いたいことは全部言いました。もうこれ以上書きたくありません」と言うと、所長は「あなたの兄さんがあなたを見舞いに来ました」と言いました。
留置場を出る前日の夕方、突然雷が上空で鳴り響き、留置場の窓ガラスを割り、留置場のすべての電気を消してしまいました。警官達はひとしきり混乱しました。
家に帰った後、私はたくさんの血を吐き、1年ほどものがはっきり見えず、さらに長い間心臓が弱く、体がだるい症状がありました。きっと留置場の医者は私に毒薬を投じたに違いありません。
帰って来てから、私は小さな一間を借りて生活しました。生活が苦しくて、いつも水道水と蒸しパンだけで食事を済ませました。大学の同級生や同郷の人は私に、「もうご主人の事は諦めなさい、音信不通では、いくら愛情があっても仕方ありません」と言いました。私は「自分は修煉者です。私の感情のためではありません。いくら辛くても、苦しくても、夫を見捨てる事はしません。なぜなら、私達は天意によって結ばれたので、それは一生の恩と約束です」と言いました。その後、夫の情報も転々と伝わって来ました。夫が拘禁された場所が分かって、私はすぐに明慧ネットで報道をしていただき、さらに真相資料を作り、郵送したり、配布したりしました。私は、ずっと真相手紙と善を勧める手紙を2週間ごとに郵送しました。その手紙は夫の手元にも届きました。彼は、自分の心理状態がまだ基準に達していないと分かり、彼も警察に真相を話し、告発状を書き始めました。数日後、夫は釈放されました。