文/中国の大法弟子
【明慧日本2015年4月20日】私は修煉する以前は、争いを勝ち抜くような競争を好んでいました。そして損得ばかり気にして名利をとても重んじていました。私は祖母と未婚の兄と一緒に暮らしていて、私は家では祖母には孝行し兄を敬っていました。しかし自分の夫に対してはとても厳しく、よく夫に「私は他のどんな人の過ちも許すけど、あなたの過ちは絶対許さない」と言っていました。私の夫は優しいのですが、私はいつも彼の過ちを探していて、言い合いになった時、自分に道理が無かったとしても言い訳をしていました。そして彼のほうから謝って来なければ、私はいつまでも言い合いを続けていました。
1998年、私は幸運にも法輪大法を修煉し始めました。『轉法輪』の中の法理は磁石のように私を引きつけました。人はどこから来たのか、百年後はまたどこへ行くのか、人はなぜ病気に感染するのか、どうすれば返本帰真できるのかなどを教えてくれました。私は大法をしっかり修煉して、絶対に放棄しないと決めました。
以前私は自分をものすごく良い人だと思っていて、村での評判も結構良いと信じていましたが、大法を学んだ後はそう思えなくなりました。私は「良い人」からまだこんなにも距離があったのかと思いました。特に「内に向けて探す」と言う法理が私の心を動かしました。他の人ともめ事が発生した時、もう相手ともめる事はなくなりました。夫の前で自分だけが素晴らしいと言う気勢もなくなりました。いつでも自分が修煉者である事を忘れずに、どんな状況の下でも自分を見直すようになりました。
少し前にこういう事が発生しました。夫は故郷に帰って祝いの酒を飲んでおり、私は外出しており同修を探していろんな事をやっていました。帰って来たらもう夜に近づいていました。昼ご飯を食べていなかったため、お腹がすいたと感じ、先に少し、ご飯を作っておきました。食べ終わったらもう夜ご飯をつくる時刻になりました。私は「私はさっき食べたばかりだし、夫は酒を飲んで帰って来たら食べてくれるかどうか分からない。(彼は酒を飲んだらもうご飯を食べなくなる時がある)もし彼が食べなかったら無駄に作った事になってしまう」と思いました。そのため私は学法し始め、彼が帰って来てから話し合おうとしました。少し時間がたって彼が帰ってきました。彼は私がご飯をまだ作っていないのを見て腹を立て、手に持っていたラーメンを投げ捨てました。私はすぐにキッチンに行って、急いでご飯を彼に作ってあげましたが、やっとご飯が出来あがったという時、彼はキッチンにいきなり入り込んできて、調理道具を奪い取ると、「お前が作った料理なんか食べない!」と言い捨てて、怒って去っていきました。私は「今日の事は誰のせいであろうと、私は修煉者で、私が悪いのだ」と思いました。私は続けて彼のためにラーメンを作ってあげました。出来上がったので、お隣へ彼を呼びに行くと、彼の怒りはまだ収まっておらず、私が笑って彼に謝まると、近所の人もあれこれ言って彼を慰め、ようやく家に帰ってご飯を食べました。もしこの事が私が修煉する前に起きていたら、彼は私に対して怒りを表す勇気も無かったでしょうし、この事も別に全て私の間違いとはいう訳ではないので、彼が怒っても私も彼を許さなかったでしょう!
数年前に、私たちは少し油を買おうと、油屋に行って量ると、油と餅が合わせて50斤(約25㎏)多くなっていました。私は油屋の人が量り間違えたと思い、翌日に油屋の人へ多かった50斤分の餅代を払おうと思いました。油を家に持って帰った後、ついでに伯母に会いに行きました。伯母の家の小道まで行ったところで、私は伯母の家のお隣さん(昨日油屋で量るのを手伝っていた)に出会いました。彼女は私に、「私、昨日の事は油屋の間違いではないと思う。ただ多く半袋の餅を量ってしまったんじゃない? あの時、私は置いてあったその半袋の餅もあなたたちのだと思って、秤の上に置いておきましたよ」と言いました。それを聞き私ははっとして、「それならすぐに油屋の人に教えなきゃ! その餅を買った人が文句を言ってきたら大変だから」と言い、私はすぐさま油屋に戻り、事情を話すと、油屋の人は「その餅は私たちのものだ」と言いました。その時私はお金を持ち出していなかったので、次の日にお金を返しに行くと言っておきました。家に帰った後、私は夫と計算して、油屋の人は1斤(約0.5㎏)あたり5分(中国のお金の単位の一つ)少なく会計していた事が発覚しました。次の日私は油屋へ行き、返すべきお金を返した後、更にまた20元を取り出し、彼らに彼らが私にお金を少なく会計していた事を説明し、計算違いの分も含めて、彼らに必ず受け取って欲しいと言いました。油屋の人たちは皆感動しました。みんな「餅の分のお金はもらっておきますが、この20元は、何と言ってももらうわけにはいきません。この事のためにもう貴方に何回も行ったり来たりさせましたので、私たちも気がすみません。あなたがこの事を言わなかったら、この餅代はどこから来るのか分からなかった! 私たちは本当に良い人に出会いました」と言いました。私は「私は法輪功を修煉しています。私たちの師父は良い人になるよう、何事も他人の事を先に考えるように教えられました」と言いました。その時油屋の中で、油を買いに来た人はまだたくさんいました。そのうちの1人が、「みんな法輪功は良いと言っているよ。特に今どき誰がこのようなことが出来ますか?」と言いました。私は「法輪大法が私を変えたのです」と言いました。