大法小弟子が執着心を取り除いた体験
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文/湖南省の大法小弟子 

 【明慧日本2014年9月20日】 私は2006年5月に法輪功を学び始めた小弟子です。今年16歳で、現在まで7年以上学んでいます。 同修の母の励ましと援助により、修煉を始めてから、師父と大法を信じて心性を修煉した体験を文章にして皆さんと交流します。

 一、メンツに執着する心を取り除く

 2012年6月20日午後のことでした。路線バスに乗って学校から帰宅する時、私は運賃を払い、小銭をズボンの左側のポケットにいれ、70歳ぐらいのおじいさんの右側に座りました。ちょっと見ると、おじいさんは田舎の人のようで、都会の人の服装をしていませんでした。 バスが私の降りる停留所に到着しようとする時、思わず私はポケットに触り、鍵を持っているかどうかを確認しました。 その時に隣のおじいさんに触ってしまいました。おじいさんはすぐ私を見ながら手を自分のポケットに入れると、私に「学生さん、私のお金を盗んだだろう?」と聞きました。私は「盗んでいません。どうして私がおじいさんのお金を盗むのでしょうか?」 と答えました。おじいさんは「私は看病に都会に来て、弟から200元もらい、看病が終わってまだ70数元残っていた。私は南駅から家までタクシーに乗らなければならない。 どうして、あなたたちのような若者はこんな良心のかけらもない事をするのか、すぐ盗んだお金を返してくれ」 と言いながら、私のポケットに手を突っ込んで、中を探そうとしました。その時、乗客たち全員が注目し、車内は緊張した雰囲気に包まれました。 私は呆然としましたが、ただ力を尽くして、このいいがかりに反抗しようと思いました。 けれどもすぐ「自分は修煉者だ」と考えました。一切のことは偶然でなく、これは心性の関であり、私はメンツに執着する心を修めるべきでした。

 私はすぐさま落ち着きを取り戻し、平然として、おじいさんの言うとおりに自分の左側のポケットの中にあるお金を全部取り出して、お金を1枚1枚見せてあげました。すると40数元しかありませんでした。 それでもおじいさんは私を信じずに、まだお金を右のポケットにかくしていると思っていました。そこで私は右ポケットにある鍵を取り出して、さらにポケットを裏返して見せてあげました。そして おじいさんに、小声で「お金をどこにしまったのかを忘れたのでしょう、もう少し探してみて下さい」と言いました。結局、おじいさんが盗まれたと思っていたお金は、自分の上着のポケットにありました。 その時、車内にいた人が、おじいさんを怒鳴りつけました。またある人は私に「性格と修養が良く、将来が楽しみだ」と褒め、また私があまりにも善良すぎ、おとなしすぎて、いじめられやすいのではと言う人もいました。私の心の中はリラックスして、とても平静でした。

 残念なことにその時、私は、自分は法輪大法を学んでから善良、寛容になったと、皆の目の前で正々堂々と伝えられず、大法を実証できませんでした。今でも思い出すと、残念であり、私は慈悲なる師父と大法に本当に申し訳ないと思い、また同時に、すべての立ち会った世人と衆生に申し訳ないと思いました。

 二、闘争心を取り除く

 今年4月15日午後、私は一人で住宅地を歩いていると突然、後ろから「止まれ!」と誰かの叫び声がしました。私は気にせず、私を呼んでいることも知りませんでした。私が振りかえりもせず、そのまま歩いていると、再び「そこのお前だ! お前を呼んでいるんだ」と聞こえました。それでも気にせず歩いていると、突然、後ろから蹴られたと感じました。私が振り返って見ると、8、9歳ぐらいの子供が2人いて、身長は私の肩を超えていませんでした。私を蹴った少年は近くにいて、もう1人はちょっと離れていましたが、両掌を硬く握りしめていました。 最初、彼らが呼ぼうとしているのは私ではなく、彼らは人違いをしていると思い、「人違いではないですか?」と言いました。私を蹴った子供は「違う、お前だ」と言いました。私は「あなたたちを知らないけど」と答えると、彼は返事をせず、とても凶悪に「お金を持っているだろう?」と聞いてきました。私はすぐ、この子供達は、私をだましてお金を奪いネットカフェに行こうとしているのだと分かり、「持っていない」と答えました。私は走らずに同じ速度で歩いていると、もう一人の子供が私の前に立ち、私の上着を掴み、「本当にお前は、お金を持っていないのか?」と言いました。私の両手はズボンのポケットの中で、拳を握っていて、彼を懲らしめたいと思いました。しかし、すぐ私は、頭に師父の教えである「他人から殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さず」を思い出して、すぐ平静になりました。私は修煉者であり、事に出会ったら全てが試練であり、普通の人と同じように対処してはいけません。私は彼の手を払いのけて「私は本当にお金を持っていない」と言い、そのまま歩き続けました。そして、私が団地の住宅に入ろうとしているのを見ると、すぐ2人の子供は逃げました。

 三、名利心を取り除く

 2012年4月26日は中学の体育の総合卒業試験でした(総合得点の50点で、進学成績に計上する)。私は2005年に比較的大きな病気をしており、当時は全身の関節が変形して、全身の筋肉が萎縮して、麻痺の状態に近く、自分一人で生活することがままならない状態でした。2006年5月に法輪功を学び始めて、煉功学法によって私は少しずつ回復し、2008年の夏休み頃にやっと根本的に回復し、自由に行動ができるようになりました。しかし、業を消す状態が不定期に現れ、中学の3年間、体育の授業にほとんど出られず、スポーツにもめったに参加しませんでした。 毎回試験での私の体育の成績は0点で、総得点に計上されませんでした。学校は、重大な病気の場合に適用される、中学校体育の総合卒業試験の免除を私が申請する事を望んでいました。そうすれば、私の体育の成績は30点として総得点に計上できるのです。

 4月6日、体育の試験を申込むと、学校管理者とクラス担任が「病気診断証明書」の原本とコピーを教育局に提出し、私の試験免除を申請すると言いました。 私はその事を聞き、即時に考えもしないで、このやり方を否定しました。 そして家に帰って親(同修)と交流しました。 私は大法弟子であり、真・善・忍を修煉しています。以前は重い病気にかかりましたが、大法を学び、完全に回復しました。現在の私の状態は完全に健康です。ではどうして再度「重大な疾病」で試験免除を申請するのでしょうか? どんな結果であろうと関係なく、私は健康な学生として体育の試験を受けなければいけません。次の日から、私は試験の各項目を訓練しました。 大法にはできないものは何もなく、大法に基づいて本当に修煉している大法弟子は、同じくできないものは何もありません。私は大法弟子の正念で体育の試験を受けることにしました。

 それから毎日、私は帰宅したら、立ち幅跳び、球投げ、ランニング等の各項目を確実に訓練しました。そして受験日になりました。他の同級生達は非常に緊張しているのに、私はとても平静でした。 私は心の中で、ずっと「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と暗唱していました。そして体育の卒業試験を受けました。そして試験の成績発表を見ると、すべてがA(6個のA)の成績で、難易度の高い進学校である、省の重点高校に合格しました。

 しかし、省の重点高校の授業についていくのはとても大変です。私は煉功や学法、三つのことを時間を割いてしっかり行うことは難しいと考え、躊躇せず、省の重点高校に入学する事をやめて、修煉に適している私立の高校を選びました。 

 「修は己にありて、功は師にあり」[1] 師父は私が名利心をよく修めて、安定しているのをご覧になり、私の一切を按排して下さいました。私立高校に入学して、私はこの事を真実だと感じました。まず、高校は私の優秀な成績を見て、高校の費用すべてを免除してくれました(母は、このお金は師父から頂いた衆生を救うためのお金で、人を救うことのみに使い、他の事に一部も使ってはいけませんと言いました)。そして私に比較的広い部屋を与えてくれました。(時に父母が私に精進を促すためにやって来た時、一緒に泊まることができて、家族3人が一緒に学法し、一緒に朝3時50分からの煉功ができます)。この事は三つのことをしっかりと私に行わせるためのものです。私のクラスは理科実験クラスに属しており、歴史と政治の授業がなく、月曜の血旗を掲げません。この事で私が中共から受ける毒害を減らすことができます。 師父に感謝いたします!

 四、善の心を修める

 私の家はうしろに空き地があって、父母はそれを野菜畑にしていました。毎日、朝か夕方に父か母が水や肥料をあげています。野菜は生き生きと青々して柔らかくて可愛いです。 ある日の昼ごろ、私と母が外から帰って、ちょうど裏門から出て野菜を採ろうとしました。

 私が門を開けると、突然1人のおばさんが野菜畑で野菜を盗んでいるところを見ました。私は急いで戻って、門をそっと閉めました。その後、母はそっと「彼女の邪魔をしないように、彼女に恥をかかせてはいけない」と言いました。 私たちは、おばさんが野菜を盗り終わって離れるまで静かに待っていました。その後、私たちはやっと門を開けて野菜を採りました。このことに対し、母親は私に、善をよく修めている、他人のことをよく考えていると言って褒めてくれました。

 ふだん、他の同修と交流する時、いつもなぜ心性の関をよく乗り越えられるのかと聞かれます。私は心性の関を乗り越えるのはそんなに難しくないと感じます。私はいつも自分が修煉者であることを自覚しています。普段の生活で出会った事は偶然ではなく、全てに修煉の要素があります。そして、その出来事に関係のある、師父の法を自然に思い出せば、自分の心性をしっかり修めることができ、試練に出会っても乗り越えることができるのだと思います。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/9/2/296586.html)
 
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