同修の心理状態が自分の不足を気づかせた
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文/黒竜江省の大法弟子  

 【明慧日本2022年9月30日】派出所の警官ともう1人の警官が、2022年9月15日の昼12時半ごろ、私の家のドアをノックしました。私がドアを開けるなり、警官は、私の写真を撮りまし。私は大声で「なにをするの! なぜ写真を撮るの」と言って、すぐにドアを閉めました。それからまたドアを開けて、大声で「どうして写真を撮る前に一言教えてくれないのですか。私と相談しましたか? あなた達のしていることは犯罪で、人権侵害です」と言ってすぐにドアを閉め、彼らを相手にせず、彼らがいつ立ち去ったのかも分かりませんでした。私はその時とても自信を持っていました。

 翌日の午前、私達の小グループ学法で、学法の前にこの出来事を話しました。1人の高齢の同修が言うには、警官は彼女の家にも行ったそうです。彼女の孫娘がドアを開けると「誰か来ていますか?」と聞かれ、同修は「見てください。これが私の孫娘です」と言ったそうです。警官は、全く素朴な答えに打ち解けて、笑顔で「あなたは恐らくトウモロコシを蒸していますね」と言い、高齢の同修は「食べますか?」と聞きました。警官は、微笑んで何も言わず、振り返って彼女の息子に、少し話しかけてから去って行ったそうです。

 この話は、私を目覚めさせました。私はこの高齢の同修と比べると、心性がどうなのかは自分でもはっきりと分かり、自分の修煉ととても差があり、その時の学法は、心の中が気持ち悪かったのですが、しかし、やはり落ち着いて学法を終えました。昼の11時前に帰宅して、ずっと、自分のやり方は良くなかったと思い、修煉者の状態ではなく、とても後悔して、心がとても苦しくなりました。どうしてこの心理状態で警官に対応したのでしょうか? 繰り返し自分を調べると、原因は、警官の行為に反感を覚えて、それが彼らの仕事だということを全く考えておらず、更に警官が来たことで警官に真相を伝える良いチャンスであることも全く考えておらず、これらの邪悪に利用された可哀想な生命を救うことを考えていませんでした。

 昼の発正念で、自身の迫害真相伝えへの妨害、衆生を救うことを妨害する人間の観念を一掃しました。しかし、私は心の中でやはり乗り越えられず、後悔して涙を流しました。本当に同じような出来事でも異なる心性が露呈します。私は涙を流して師父に「間違いました」と言いました。私は修煉して20数年になりますが、心性はこのように低いのです。師父が私達を済度することは容易ではないと深く感じ、師父の恩に報いるものは何もなく、ただ精進して三つのことを良く行ってこそ平安が訪れる最も大事なことだと思います。

 この文章を書くとき、気持ちが浮き沈みし、少し動揺しましたが、もし不適切なところがあれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。この万古の機縁を大切にし、着実に自分を良く修め、先史の大願を完成させ、師父について家に帰ります!

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/9/24/450003.html)
 
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