トラブルの中で内に向けて探し、心性を高める
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2022年10月17日】ある日、私は同修のLさんと一緒に学法をしていました。あと少しで終わろうとする時、同修のWさんがノックをして入って来ました。Wさんは落ち込んでいて、すぐに年配の同修の息子さんと揉めたことを話してくれました。Wさんが沈黙した時に、私は一言だけ言いました。するとWさんは私を見て、目を赤くして火花が散るようにかんかん怒っていました。私は唖然としました。私が言ったことに怒らせる理由があるとは思えず、なぜこんなに怒っているのか理解できませんでした。

 私はWさんに「交流したいと言っているのに、何でそんなに怒っているの」と聞きました。Wさんは憤慨して「あなたの言うことは分かる。しかし聞きたくない、私のことは貴方には関係のないことだ」と言いました。それを聞いた私はすぐに心が落ち着き、Wさんの話が終わったら学法したいと思いました。Wさんは他の同修と90分ほど話をしていましたが、私は静かに聞いていました。私の心は落ち着いており、その後続けて同修のLさんと学法をし終えました。

 同時に師父の法を思い出しました「いかなることも偶然ではなく、いずれも二つの要素があります。あなたに試練を与えているのか、あなたを手助けしているのかのどちらかです。この二つの要素です。自分で考えてください。偶然なことはありません。」[1]

 同修は自分の鏡であり、自分の人心の現れです。内に向けて探し、人を軽蔑する心や闘争心、怨恨心、イライラする心や傲慢、自大などを見つけました。これらの不足を見つけ出すと同時に、それらを明らかにすることを手伝ってくれた同修に感謝しなければなりません。修煉は厳粛であり、自分の欠点を見逃してはいけません。

 実はWさんの話を聞いてすぐその場を離れてもよかったのですが、そうはしませんでした。私は大法弟子であり、師父の法が導いて下さっています。如何なる状況下でも、如何なる環境でも師父が按排して下さった修煉の道をしっかりと歩まないといけません。

 これからも師父の法に従い、大法弟子としてやるべきことをやります。同修の意見を聞きいれ、全体を円融し、師父が求められたことを円融し、真に修める大法弟子になりたいと思います。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『大法伝出二十五周年ニューヨーク法会での説法』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/10/14/450727.html)
 
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