文/中国遼寧の大法弟子 藍鳳
【明慧日本2022年12月26日】
私は1997年に法を得ました。その頃、私は人生のどん底を経験し、あらゆる悲しみや苦しみを味わいました。体の疲労と家庭のトラブルで不平不満がたまり、病気で体調が崩れ、その後、乳がんを患ったのです。私の人生は終わりを迎えているようになりましたが、最後までその人生を見抜けることができなかったのです。
ついに、私は大法から自分の人生の答えを見出し、真・善・忍が人間としての基準であり、人生の道標であることがわかりました。誰もがこの世に来る目的を思索することに苦労しており、多くの疑問が残っています。しかし、『轉法輪』を手に取り、そこに書かれていることを読む人は、もう迷うことありません。以下に、私自身の長年の修煉体験を同修の皆さんと交流させていただきます。
一、経験した奇跡
私は修煉の過程で多くの奇跡を経験しましたが、それらはすべて師父の慈悲に守られてきたものです。
2005年のある日、前夜に洗濯した衣類をベランダに干しておきましたが、翌朝、雨が降ってきたので、椅子に上がって衣類を回収するとき、衣類を両手にかけたまま椅子を踏み外し、暖房(鉄のフィン)に頭をぶつけて、2、3cmの大きな傷ができました。私はすぐに気を失い、顔は真っ白になりました。夫が、あわてて私の様子を見に来てくれました。
このとき、元神が肉体を離れる過程(常人の言う魂が肉体を離れること)を実感しました。元神が体外に出るとき、まず足の感覚を失い、次第に上に向かって手の感覚も失い、さらに上に向かって目の前が黒くなり、その後元神が出てきたのです。このとき私はすぐに、「私は煉功者で師父がおられ、使命がまだあるため、亡くなってはいけない、戻らないといけない」と思ったのです。こうして、私の元神が肉体に戻ってきました。戻ってきたら、目の前に光が見え、手に感覚があり、それから足にも感覚があり、目が覚めました。
このとき、みんなが心配してくれているのを見て、「大丈夫です」と言いました。夫に助けられ、私はベッドに座り足を組んで発正念をしました。その後、痛みなどの感覚は全部なくなりました。ティッシュで頭の血を拭いて、大連市から吉林省の実家まで500キロ以上運転し、11時間もかかりましたが、全て正常で、体調不良の感覚は何もなかったのです。
弟の妻の6番目の妹が、田舎できくらげの植え付け作業中に誤って丸太を踏んで転倒し、4000元以上の治療費がかかった上、脳震盪の後遺症に悩まされています。また、夫の甥がある日、雪の中を電動バイクで妻を迎えに行ったとき、誤って雪の中で転倒し、気を失ってしまい、それからの2、3年、手に何も持てなくなり、記憶力が悪くなりました。8年経った今でも、細くて小さいものはまだ手に持てません。夫の甥は若者なのに、このようになってしまったのです。私は50歳近くですが、医療行為は一切しておらず、後遺症も残っていません。これを見た人は皆、大法の奇跡的な現象に驚き、言葉では言い表せないほど感嘆しました。私は今、顔色がよく、体が軽く、実年齢よりずっと若く見えます。私を知っている人は皆、「顔色が良い、背筋が伸びてスタイルが良い」と褒めてくれます。
ある時、夫と車で移動する中で、高速道路の入り口から遠くないところに下り坂があります。その日はもう暗くなって、道路が凍っており、視界が悪いため、ブレーキを踏んだところ、車が横転して、道脇の電柱にぶつかりそうになり、私は「師父、助けてください!」と叫びました。すると、車は電柱とすれ違い、道脇の溝に飛び込み、バンッと音を立ててエンストしました。車から降りた後、師父のご加持を懇願しながら、夫と一緒に車を溝から押し上げました。これはとても奇跡なことです。普通なら何人かで押し上げるのですが、夫と2人だけでできました。そして、車を押し上げた後、エンジンを起動したら、すぐに掛かりました。私たちは何も考えずに、車がまだ走れるので、そのまま出発しました。その時はまだ家まで100kmくらいあって、深夜2時くらいに家に帰って寝ました。翌朝、用事があって車で見に行こうと思い、ついでに車の状況を見てみると、ホイールに大きな穴が開いていて、タイヤの空気はとっくに抜けていました。昨夜、道脇から車を押し上げるときに、道脇の縁石にタイヤがぶつかり、タイヤが裂けてしまったのでしょう。「バンッ」という音がパンクの音だったのです。パンクした車がどうして走れたのでしょうか? 大法はとても不思議です!
私は部品を売る仕事をしているのですが、ある時、お客様に納品しようと、お客様を一重ねの伝票から巡ってみると、すぐそのお客様を見つけ出せるのです。また、誰かの名前を言って、伝票を取るとその人になったり、袋の中に3000個の部品が入っていて、1000個欲しいと言われたら、注いで数えたらピッタリ1000個でした。週に数回、午前中のグループ学法に参加しています。最初は、仕事が滞ることを恐れて、あえて午前は出なかったのです。しかし、毎回グループ学法に行くたびに、その間は何も仕事がなく、帰ってきてから初めていろいろなことが起こり始めることを見て、全てのことは師父が段取りしてくださっており、師父が弟子にすべてを与えて下さっているのです。
二、利益を求める心を捨て、商売がますます繁盛する
私は大法を得てから、初めて人間らしい生活をしていると感じ、人生の真理を理解し、かつてのように何かに遭うと落ち着かなくなったり、思い切れなかったりすることはなく、心が穏やかになり、身内や友人に親切に接することができるようになりました。私のような強い人間を平和な人間に変えることができるのは、大法だけなのです。
修煉してから、私は商売にこだわらず、成り行きに任せました。その後、あまり裕福でない弟や姪、甥に店を譲渡し、もともとの顧客を引き継がせました。生活費を稼ぐために、自分で新しい店を経営していますが、当初の顧客がいなくなり、商売が衰退しました、十数年後、もともと弟たちに譲渡した商売の良い店は、環境の不況により、あまりうまくいかなくなり、弟たちは店を売却しました。一方、私の店の商売は、だんだん良くなっています。
なぜ、このようになるのでしょうか。なぜなら、私が商売をしていたときは、大法の要求に従って、公平に取引をし、心を正しくし、あらゆる面で相手を思いやり、相手のことを考えていたからです。返品してきたお客様には何も言わずに返金したり、私のものでない商品を返品してきたお客様もいましたし、私の商品の入荷経路を飛ばして直接メーカーに個別に問い合わせるお客様もいましたが、私はそういった状況を一切気にせず、出会った全ての物事に常に善を持って接していました。ある時、相手から1500元の過払いがあることがわかり、お金を返した後、お客様から「前にも過払いがあったのではないか」と疑われましたが、私は全く怒ることはありませんでした。
こうして、私はだんだん信頼されるようになり、よい人だと言われるようになり、商売もだんだんよくなりました。友人や知人に紹介され、私と取引したいと自ら訪れてくるお客様も多くいました。これで、65歳になった私は、駆け回ってお客様を探しに行く必要もなくなり、店で商品を販売することができるようになったのです。ここ数年、新型コロナウィルスの流行が深刻化しているにもかかわらず、私の収入には影響がありませんでした。
もう一つ小さなエピソードがあります。十数年前、私は10万元を投資し、1人のパートナーと一緒に化学原料の商売をしました。私がお金を出して、そのパートナーに実際の運営をしてもらい、利益を山分けすると合意しましたが、数年後、資本金が3万元にしか戻らず、経営が下手で残金を払えないと言われました。何度も返済してくださいと言いましたが、色んな理由で返済してくれなかったのです。昨年、「返してくれなくてもいい、もしかしてそのパートナーには何か難しい理由があるかもしれない」と思い、「お金は返さなくてもいい」とそのパートナーに言いましたが、あまり感謝されなかったのです。私は心穏やかで、責めようともしませんでした。その1、2ヵ月後、ある大手取引先はパートナーが見つからないので、私と取引したいと訪れてきて、前述の残金7万元の損失をすぐに埋め合わせただけでなく、黒字にすることができました。我々は今まで非常によく取引しています。その大手のお客様は、私との取引で、在庫の確保は必要なく、必要になった時、私の店に取りに来ればよく、私はいつも一番便利な方法を彼に提供し、返品もスムーズだと、言ってくれました。そして、「奥さんのような人とやり取りするのは、安心できるし儲かる」と周りの人に会う度に言っていました。
三、心性が基準に達していれば、師父は私たちのために何でもやって下さる
修煉者が何かに出会ったとき、まず考えるのは、自分が常人ではない、修煉者であるということです。修煉したから、なぜそれに出会ったのか? 私は誰なのか? 心が動揺しない、この前提をしっかり考えておけば、その次に、この突然に遭遇したことは私の何の執着心を取り除かせるのか? このことは、どうすればいいのか? やるべきでないことはやらない、と考えていました。このようにして修煉して、次元がどんどん上っていったのです。
昔の私はこうではなかったのです。何かに出会うと、まず誰かが悪いと考え、心は怒りでいっぱいになり、心性を修めるためだと気づかず、師父が何度も何度も段取りしてくださった心性を高める機会を見逃してしまったのです。昔、自分の過去の苦労話をすると、涙が出るほどでしたが、今は自分の心性が向上し、夫も大法を修煉しているので、確かにますます良くなってきました。師父の「内を修めて外を安定させる」[1]という説法の深い意味を悟りました。問題が起きたときに、自分を修めようと思えば、どんなことでもうまくいくものです。例えば、中共に迫害されるなどの悪いことに遭遇したとき、恐れるのではなく、自分が何かを失うことを恐れているのか、それとも、何か手放せない執着があるのか、だからこそ、迫害されるのだ、と見極めなければなりません。こうしたら、最終的には全て無事で、スムーズに進んでいけるようになったのです。
数年前、私と2人の子供(13歳と11歳)が真相を伝えるシールを貼ったことで、警察署まで連行されましたが、子供たちには「何も言わないように! ママが自分で責任を取るから」と言いました。子供たちから引き離され、私は鉄の椅子に手錠をかけられました。夜中、子供たちのことを思い、涙が溢れました。眠りながら、師父の詩が頭に浮かびました。「同じ心にて、世間に来る 法を得て、已に先に在り 他日、天を飛んで去る 自在にして、法は無辺」[2]を何度も暗誦し、気持ちが落ち着くようになり、知らないうちに手錠から手が抜け、トイレに行きました。そこは2階にあり、水道管をくぐって出られるところを見つけたのですが、子供たちがまだ中にいると思ったので、戻ってきました。しかし、手錠に手を入れることができなかったため、それを見た警官は、私が再び手錠から抜け出せないように、きつく手錠をかけ直しました。
翌日、夫は子供たちを連れて家に帰りました。610弁公室のスタッフが違法な尋問を始めたので、私はどの質問に対しても「知らない」と答えました。それで、彼らに殴られたのですが、私は恨みの心がないため、彼らを恨んだりしませんでした。その後、彼らは、「私たちはあなたに恨みはないから、もう殴らない」と言いました。その後、私は拘置所に送られました。
その後、家族が誰かに頼んでいたので、もうすぐ釈放されると言ってくれました。当時は夏だったので、みんな交代でシャワーを浴びていたのですが、私はそうせず、家に帰って洗うと待っていました。もうすぐ帰れると思い、時間があれば法を暗記し、真相を伝えていました。しかし、1カ月以上も経ったのですが、釈放されませんでした。その後、そこに収監されていた同修と交流し、自分には何か取り除いていない執着心があるのかと探してみたらと言われ、深く隠された色心があるのは迫害された主な原因であることを悟りました。夫は私にお金をくれることもなく、訪ねてくることもないので、他に愛人ができたのだろうと思いました。しかし、もう修煉したから、あれもこれも失うのは怖いという心を持ってはいけないと思い、取り除いたのです。その時、師父の『位置』を暗誦すると、何をすべきかがわかり、心が揺らぐことがないほど強固になり、結果に対する欲がなくなりました。私はこの大法を最後まで修めると決心したので、他のことはどうでもよかったのです。家族が誰かに頼んだから早めに帰れると言われたことも気にせず、何も考えないようになりました。
拘置所では、「迫害がひどすぎる。そこで『保証書』を書かなければ、労働キャンプで書かなければならないから、今書いておいた方がよい。釈放されてから、また修煉すればよい」と言う学習者もいました。佛法は厳粛であり、佛を修めるという厳粛なことを、どうしてその場しのぎでやってしまうのでしょうか。遅かれ早かれ、人間は死ななければならないのです。心を放下したから、68日間の拘留を終えて釈放されたのです。私の心性が基準に達したら、師父は私たちのために按排して下さるのです。
釈放された前夜、私は拘置所の屋上まで走り、外の空を見たという夢を見ました。翌日の朝に起きて、同修に「今日、私は釈放される」と言い、同修たちは半信半疑で、「もし釈放されたら、何か物を送ってくれれば、あなたが釈放されたとわかり、それは私たちにも励みにもなる」と言ってくれました。私の思った通り、朝8時頃、スピーカーで呼ばれ釈放されました。釈放されてから、地元の警官が迎えに来て、「家に帰るには、これから煉功をしないという保証書にサインしなければならない、サインしないと、帰ってもまた捕まえるぞ」と言われたのです。それを聞いて、私はすぐに拘置所に戻ろうとしながら、「それだったら、狼の巣から出て、また虎の巣に入ることになるでしょう。書くなら、とっくに書いています。どうしてそんなに苦しめるのですか。書かせるなら戻る」と言いました。警官は困って、署長に電話して指示を仰いだところ、「釈放するように言っただけだから、釈放すればよい」と署長が言いました。師父は「修は己にありて、功は師にあり」[3]と言われました。その心を手放せるかどうかを見られているので、手放すことができたため、何事もなく無事に帰れたのです。
修煉の道には数え切れないほどの物語があり、大法への感謝の気持ちは幾千幾万の言葉でも言い表せないほどです。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『精進要旨』「内を修めて外を安定させる」
[2] 李洪志師父の詩:『洪吟』「了愿」
[3] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
(明慧ネット第十九回中国大法弟子の修煉体験交流会)