深刻な修煉体験
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 【明慧日本2015年6月7日】私の深刻な修煉体験を同修の皆さんと交流させていただきます。

 ある時期、私はいつも自分の修煉状態が落ち着かないと感じていました。グループの交流会で、ときにおおげさな言い方をし、プロジェクトの話し合いの中で自分をアピールしたがりました。後になって、次回は必ず自分を抑えて、必要以上に話さないようにしようと自分に言い聞かせますが、プロジェクトの中でまた自分を抑えきれず、すぐにまた後悔することを繰り返していました。このようなことが数日間続き、その後あることが起こりました。

 私の家でグループ学法をすることになり、ある日、同修である姑は法を学んだ後、私の子供に対する躾のことを言い出しました。数年間、私は夫の実家での生活習慣に慣れず、不満を持っていましたが、修煉をしてもこの不満を取り除くことができませんでした。私は姑の言うことを受け入れられず、反対も出来ず、心がいつも晴れませんでした。ちょうどそのとき、他の同修がプロジェクトの事で話しかけて来たので、私は大きな声で「もうあなたは何もしなくていいです。わたしがします」と、声をあらげて自分の不満を発散しました。

 その後、姑がいつ帰ったか分かりませんでした。同修達も次々と帰りました。次の学法のときに姑は来ませんでした。ある同修に、「姑さんに対して言い過ぎですよ。お子さんが小さいときからずっと面倒を見てもらい、大変助かったじゃないですか。もう何もしなくていいと言われたら、姑さんは悲しくなりますよ」と言われました。これを聞いて、きっとあの日、私が言ったことを姑が勘違いしていると思いました。そもそも姑の事を何も言っていませんでしたので、夜説明しに行くと約束しました。私は説明すれば分かってもらえると軽く思っていました。

 夜姑の家に行くと、姑は台所で洗い物をしていました。私は謝るつもりでしたが、プライドを捨てられず、なかなか言いだせませんでした。心の中では、「何しに来たのか? すぐに姑の誤解を解くために、早く傍に行って説明して謝りなさい」と自分に言いきかせ、すぐに台所に行って姑に謝りましたが、姑の態度は悪く、私が「嘘をついた」と言われました。私は再び説明しましたが聞いてもらえず、私は嘘つきで、教養が悪いと言われ、舅もそばで加担しました。

 私達は一緒に大法を実証するプロジェクトをしているので、同修の間に隔たりがあってはいけないと思いました。私は自分の善意が足りず、プライドが高く、相手の気持ちも考えず、数年間姑に対するマイナスの見方を消していないことにも気付きました。必ずこの関を乗り越えられると軽く思っていました。内に探してみると、ここに来る前に、年寄りならちょっと説明して、謝れば済むと軽く考え、今後トラブルを避けるために、ここには出来るだけ来ないようにしようと思いました。自分の修煉できていないその人心を取り除き、本心から姑に謝ろうと思いました。今回は姑が折れてくれましたが、最後に一言「もっとしっかり反省しなさい」と言われました。

 私は自転車で帰宅途中、頭の中はそのことでいっはいになりました。常人の心は、「損しているよ、やられっぱなしじゃないの。なぜ姑はほかの嫁にこんなことを言わないのに、私にばかり言うの?」と言い、本性の心は、「いいえ、私は修煉者なので、『真・善・忍』を実証し、自分を律ないといけません」と言います。すると常人の心は、「馬鹿みたい、もし結婚していなければ、修煉に専念できるのに」と言い,本性の心は「『真・善・忍』でないので、あなたを消滅します」と強く思いました。常人の心はまた、「数年前姑が病気の時に、あんなに親切にしたのに騙されたわ」と言い出しました。すると本性の心は、「いいえ、私はこんな考え方を持ってはいけない。あなたが病気になり、嫁が誰も世話せず、来てくれなかったのに、あなた1人で面倒を見ていたじゃないの。それに姑の自宅を内装した時も、嫁達は何もせずに面倒ばかりを起こしていた。心身とも疲れ果ててとてもやつれたのを忘れたの?」と言いました。急に辛い思いがよみがえってきて、泣きそうになりました。辛い思いと恨みがどっと押し寄せてきて、抑えきれませんでした。「だめだ、いけない、XXX(自分の名前)、落ち着きなさい。動じてはいけない。気持ちを抑えて、正念で考えなさい」と自分に言い聞かせました。そうして早く自分の状態を立て直しました。

  同修の甲さんは病気で酷く迫害されており、会いに行かなければなりません。乙さんも用事があり、私に来て欲しいと頼まれています。丁さんのプリンターは故障して、私に見に来てもらいたいそうです。それ以外に100冊のパンフレットを作成しなければなりません。夫はまだ新しい同修で指導する必要もあり、今の自分の状態を彼には言えません。私達、姑、舅、息子、嫁、孫は一つの家族であり、喧嘩をしてはいけません。私達常人社会での関係は、修煉者は師父から見るとすべて弟子であり、師父の子供です。子供達が言い争い、仲たがいしたら、師父は心が痛められます。そう思っただけで涙が出てきました。「師父、師父、必ずこの人心を取り除きます。師父は私達のために多くの犠牲を払ってくださっており、絶対に師父を失望させてはいけません」

 家に着くと、私は打ちのめされたようになり、自分の非をきちんと探さないといけないと思いました。どこが間違っていたのだろうか。この関を乗り越えたいと思い、なぜ自分は正々堂々とし、慈悲でおだやかで、素直になれないのか。私は姑のことをしつこくて、私利私欲が強いという観念を持っていて、姑のやっていることに賛成出来ませんでした。これらの事をいつも心にためて言い出せなかったのです。するとこの観念がずっと私の空間場から取り除かれず、存在していたため、姑に対する恨みが生じてきました。

 他の同修を助けるときに、同修(姑)に子供の面倒を見てもらっていても感謝するどころか、正法のことをしているので、大法のことに協力するのは当然だと思っていました。そして自分には、安逸心や惰性もあり、子供の面倒を姑に押し付けて楽だと思っていました。同修達と協力し大法のことを手伝えば、法を学び、煉功をし、正念を発することも出来るし、人を救うことも出来るし、同修の中でメンツが立つと思っていました。このような顕示心や自己中心的な考えの上に素直でない強情な常人の心は、自分の正念が正しくないとき、自分の宇宙空間で魔性を生み出し、「真・善・忍」と相反して、私が衆生を救うことを邪魔していました。このような良くない心をすべてなくさなければなりません。

 今回私は必ずこのような心を取り除き、純粋な気持ちで神聖な「三つのこと」をし、新しい宇宙に同化していきます。師父にご加護をお願いし「姑舅の良いところだけを見て、彼らがやってきた大法にそぐわないことは、精神から物質まですべてを除去します」

 私は長時間座禅をし、「必ず悪い物質を解体し、私のあらゆる空間場から取り除きます」と正念を強めました。しかし、この物質は相当分厚い殻のように私を取り囲んでいました。小さい頃からプライドが高く、傲慢な私も見つかりました。周りの人からよく私はプライドが高く、自分を曲げないし、物を大切にしないし、人に対して同情心がなく、やられたらやり返す心が強いと言われました。このような物質が存在していれば、どうすれば慈悲の心が出るでしょうか? どうすれば正々堂々と出来るでしょうか? この物質は氷のように冷たくて硬いのです。他にも私には気楽に話せず、黙ってそこにいるだけで気分が悪くなるそうです。私に対するこの良くない印象を必ず改めようとおもいました。

 

 長時間正念を発したら、私は重い鎧を下ろしたかのように身も心も軽くなり、修煉の玄妙さを体験できました。これは師父の慈悲、師父の法力の現れで、師父に正念を加護して頂きました。今回の修煉過程は、すべて師父が按排され、弟子の良くない要素を取り除いてくださいました。今振り返ると、私は姑舅との間の不仲を全然思い出せず、姑も以前のようにしつこく思わず、心の底から彼らの立派さを感じています。70歳を過ぎていても、インターネットからダウンロードし、『九評』を作ったり、大法の本を作ったりしています。私は心から彼らのことを認めるとともに大好きになりました。

 

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/3/5/305880.html)
 
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