明慧法会|一刻も無駄にせず 全力を尽くして衆生を救う
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 文/吉林省の大法弟子

 【明慧日本2015年4月21日】尊敬する師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!

 夫と私は1999年に修煉を始めました。しかし、学び始めてすぐに、中国共産党の迫害が始まり、テレビ、新聞は毎日大法の悪口を言い、親類と友人は皆、私たちを嘲笑して脅迫し、さらに私たちの本を壊そうとしたので、夫は本を隠しました。しばらくして、私たちと連絡を取っていた同修は、北京へ陳情へ行ったために迫害されて死に至りました。私たちは修煉の環境を失い、だんだんと落ちて行きました。

 2008年、一番上の娘は癲癇を患ったために、学校に行けなくなりました。私にとってはまるで青天の霹靂で、「こんな生活で何をして過ごしたらよいのだろう」と思いました。私たちが転びそうになった時に、慈悲で偉大なる師父が私たちに1人の同修を出会わせてくださったおかげで、家族全員が改めて大法に戻って来たのでした。7日後、私のリューマチ、心筋虚血、胆のう炎、頸椎病はすべて治りました。娘の病気もすぐに良くなり、家族全員が広大な佛恩の中で幸せを得ることが出来ました。

 私たちは落ち過ぎた、と同修は言い、急いで師父の『各地での説法』と『明慧週刊』を送ってくれ、パソコンを開いて私たちに慈悲深い師父を見せたので、私たちは涙を流しました。「師父、ありがとうございます! 今後再び、何が起きたとしても、私は師父と一緒にどこまでも歩んでいきます」と、私は心のなかで師父に申し上げました。

 一、自身をしっかり修め 大法の素晴らしさを実証する

 私たちが大法に戻ってしばらくすると、妨害がやって来ました。親類と友人はすっかり縮み上がり、私たちに圧力を加え、私たちが法輪功を学ぶことを許しませんでした。特にそれは双方の両親でしたが、「近所に同修がいて、捕まって殺された」と弟が言ったのを両親は聞き、烈火のごとく怒って私たちを心配しました。「今度は、私たちは甘い考えを持つ事は出来ないので、必ずやり遂げて、師父に申し訳が立つようにしなければならない」と、私と夫は言いました。

 私たちは自身から修煉し始め、法輪功の素晴らしさを世間に実証しました。私たち夫婦は野菜を作って生活しているので、昼は農作業を行い、夜は真剣に学法煉功をし、野菜畑を整然ときれいに丹念に世話をし、さらにメタンガス発生タンクを作り、ビニールハウスを五つ作ったので、家庭生活は豊かになって行きました。普段は熱心に隣の親類や友人を助け、決してトラブルを起こさず、何事において自分が損をしても、メリットは隣の親類や友人に譲りました。舅は家の中の事に関わったためしがなく、どこにでも遊びに行き、家に帰って来ると妻と息子を罵りました。姑は心は悪くないのですが、ガミガミ言うのが好きで、いつも「これは正しくない、それはおかしい」と私を嫌って言いましたが、私は姑と言い争わず、おいしい物は先に舅と姑にあげました。舅と姑は10ムーの大きい田畑の作付けをしており、私たちは自分の仕事をほっぽり出して舅と姑のために作付けと収穫を行ったので、春から秋まで、夫と私は毎年、1千元程の損をしました。私たちは従来から言い争いませんでした。なぜなら私たちは大法弟子なので、法を実証するだけで、大法を偽るわけにはいかないからです。しばらくして、私の事を「素晴らしい」と舅はあちこち回って言い、「あなたたちは本当に福がありますね。こんなにいい息子の嫁がいるのだから。ベストな嫁ですよ」と、隣近所の人は舅と姑に言いました。

 舅と姑の息子と娘は街の中に住んでおり、帰って来た時はいつも、私たちは野菜をしっかり舅と姑の息子と娘にあげ、どんなに高くても惜しいと思いませんでした。毎年このようにしたので、彼らは深く感動し、私を実の姉妹のように扱いました。姑がどう告げ口をしても、彼らは信じないだけでなく、さらに「こんなに良い弟の嫁はどこを探しに行けば見つかるんだ」と、姑に説教しました。しばらくして、私たち2人は遠近問わず有名になり、人々が私たちの事に触れると、「夫が金持ちになった腕利き」だとみんな知っており、私は「野菜を作る最も優秀な女性」と評され、さらに「心が優しく、困難に耐え良く働き、親孝行をする」と評されました。「法輪功を学ぶ者はまともな生活を送らず、身内の事を顧みず、老人を放っている」とテレビがデマを言っているのを、私たちを知っている人は皆信じませんでした。

 去年の冬、姑は舅と喧嘩した後、外に走り出て、火を焚いた事がない部屋に泊まり、1日目は火を焚いて寝たのですが、2日目に人事不省に陥り、煤煙中毒で救出された後、目を覚ましました。これで家庭全体がみな混乱をきたし、姑が入院するのに毎日薬代を千元ほど使わなければならず、1カ月で2万元払いました。「病院は腹黒い」とおじさんの兄は罵り、親戚友人は怒って姑を罵りました。これは何でもないことに因縁をつけているのではありませんか、平穏無事だった家が壊れてしまい、息子と娘にどれだけの面倒をかけてしまったかわかりませんでした。姉は腹を立てすぎて胸が動悸を打ち、全然意見を出さないだけでなく、さらに姑を怒ったので、姑も黙りこくってしまいました。

 「私は大法弟子なので、師父と大法の要求に則って行わなければならず、大法を実証する事が私の責任だ」と、私は思いました。私、大兄と2番目の姉は順番に姑の世話をしました。私は毎日3度の食事を作って持って行き、点滴をするのを見て、お供をして高圧酸素療法を行い、さらに2人の子の通学の送り迎えもしなければならなかったので、私はくたくたになり、見る影もなく痩せてしまいました。私が姑にこんなに優しい事を、親戚友人はみな想像がつかなかったので、「これは実の娘のようじゃないですか」と感動して言い、私が姑にこんなに優しい事に、同じ病室の人たちは皆ビックリしていました。私が舅と姑の実の娘だと、同じ病室の人たちは思っていたのです。

 姑は病院の中でまだ罵っており、怒って人に当たり散らし、私がこんなに姑の面倒を見ても、姑はまだ不満を感じており、何もかもが嫌になったようだったので、病室の人と親類や友人はみな黙って見過ごしてはおけませんでした。ある時、「あなたの姑は糖尿病と脳血栓なので、毎回肉を食べない方がいいですよ」と、入院中に知り合った友人が言いました。そこで私は押し豆腐の五香風味和えを少し買いました。すると、姑は怒りだし、「食事が良くない」と不満に思い、説教が続きました。「この老婦人はひど過ぎる、この人はあなたの息子の嫁でしょう。今、どこに姑を世話する息子の嫁がいるのですか。あなたの上の息子のお嫁さんはどうしてあなたの世話をしに来ないのですか。あなたは良いか悪いかの区別がつかないのですか?」と、さすがに今回は入院中に知り合った友人のおばあさんはたいへんむかついたようでした。私は姑と言い争わず、自分の内に向けて探しました。これは私が耳触りのいい言葉を聞きたい心、名利を求める心、報いを求める心を取り除いたからでした。私はこの機会を借りてみんなに真相を伝え、三退を勧め、神韻DVDを贈ると、みんなは喜んで三退しました。ある先生は脱党しただけでなく、「あなたのような、こんな性格のいい人は本当に見たことがない、良い人は良い報いを得ます!」と、私の手を握って感激しながら言いました。

 それから姑は中風を再発し、体が硬直して木材のようになり、話ができず、排便してもわかりませんでした。私は毎日ご飯を食べさせ、大・小便を始末し、おむつをたくさん洗わなければならず、臭くてたまりませんでしたが、何の不平も言わず世話を続けました。

 夫のおばは私が姑にこんなによくしているのを毎日見て、「あなたの姑は本当に福があります。あなたのような、こんなに良い嫁がいるからですが、私の息子の嫁は私を罵らない時は私を追い出すので、私は生きるのが嫌になってしまい、本当に生きている事がつまらなくなりました」と言いました。「これは私の師父がこういう風に私にさせているからですが、私は法輪功を学んでいるので、真善忍の要求に従ってやらなければならないのです」と、私は話しました。「それでは、私も学びます」と、おばは言いました。このようにして、夫のおばも大法の修煉に入り、毎日学法し煉功すると、しばらくして血色が良く顔がつやつやになったので、親類と友人の間で注目を集めました。

 姑の家の隣人は、しょっちゅう舅姑とけんかしており、毎年けんかしていました。以前、私はその隣人に真相を伝えたことがありましたが、どうしても三退せず、さらに人聞きの悪い事を言いました。しかし今度は、私が中風の姑の世話をしているのを見ると、感動し、「とてもすごい、あなたの姑はあなたにあんなに辛く当たり、さらに、どこででもあなたの良くない事を話していたのに、あなたはそれでもこんなにも良く世話できるなんて、私たちは感服しました。私も大法を学びます」と話しました。私はその隣人に師父の説法のテープを聞かせ、さらに大法書籍をあげ、その隣人に煉功を教え、その隣人に『未来に伝えたい』を見せました。「なんだ、テレビの言う事はみな嘘ですね。大法はこんなにいいのに、私は学ぶのが遅すぎた」と、隣人は感慨深げに言いました。真相を聞かなかったその隣人の娘も、嬉しそうに三退しました。その隣人の息子は以前、なかなか真相を聞こうとせず、さらに「共産党がどれだけすごいか、あなたたちは共産党と喧嘩できるのか?」と私の夫を笑いました。「これからはもう師父と大法の不敬な話をシてはいけない。そんな事をしたら罰が当たる」と、その息子の母親は言いました。その隣人の息子はその後、本当に言わなくなり、さらに「師父、師父」と叫んでいました。その後、その隣人の家族全員が皆、修煉を始めました。この家族は救われたのです。

 私が体験して会得したのは、「自分をしっかり修めた時の言行と、正しい路を歩む事で、はじめて人を救う事ができる」という事でした。

 二、一刻も無駄にせず 全力を尽くして衆生を救う

 修煉を始めてしばらくしてから、私の地方の資料拠点が壊されました。私たちの地方は農村で、同修が少なかったので、「私は大法弟子だから、この地方の衆生を救い済度しなければならない」と思いました。そこで、決心してこの重い責任を担おうと思い、師父のご加護と同修の支援の下で小さな花を咲かせました。かつてコンピューターとプリンターに触った事がない私は、これらのハイテクな物を見て興奮し、どぎまぎしたのですが、もし大法を学んでいなければ、私はおそらく一生かかってもコンピューターとプリンターを認識できなかったでしょう。同修の辛抱強い応援の下で、私はインターネット、ダウンロード、プリンター、DVDの書き込みを覚え、一つ一つの美しい真相資料と神韻DVDの作り方を覚えました。慈悲で偉大なる師父がこの光栄な仕事を私に与えてくださった事に感謝します。師父の命令に従い衆生を救い済度しなければなりません。

 私は昼間、農作業を行い、夜は学法が終わり家族が眠りについてから、真相資料作りを始め、いつも夜半過ぎまでやりましたが、少しも疲れませんでした。夫は外出して市へ行き、真相資料を持って付近の村をくまなく歩き、縁のある人に会ったらすぐに真相を伝えました。私はたとえどこを回るにしても、ポケットの中や手の中が空だった事がなく、真相資料を持ってどこかに行けば必ず資料を配りました。私たちは市へ行く機会を利用して大量の真相紙幣を作り、あちこち回って真相紙幣を使い、毎日真相紙幣をたくさん使い、さらに大量の新札を回収し真相紙幣を作っていく事ができました。

 後で、携帯で真相電話をかけ、写真つきメールを送っているのを『明慧週刊』で見て、私たちも同修に頼んで携帯電話を買い、真相電話の掛け方と写真つきメールの送り方を覚えました。私たちが行く市はみな農村にあり、道がとても遠いので、夫が運転し、私が電話をしました。互いに力を合わせ非常に良かったのです。

 私たちの家庭の修煉環境は良くなく、畑仕事が多く、昼の休み時間に少し学法したいのですが、姑は一目見るや否やすぐ怒り、発正念すると姑が走って来て人聞きの悪い事を言い、たまに同修が来た時も、舅と姑は機嫌が悪くなりました。幸いにして、同修が舅と姑を大切にし、いつもにこにこしており、時間が経つにつれ舅と姑も受け入れる事ができるようになりましたが、それでもすっきりはいきませんでした。私たちが舅と姑に真相を伝えたところ、姑はまだ良くて、共青団を脱退して、法輪大法が素晴らしい事を信じたのですが、舅はいくら話しても聞かないどころか、「注意した方が良い、他の人が知ったらお前たちを捕まえに来るので気を付けて、お前たちにはまだ学校に通っている2人の子供がいるのだから、そうではないか」と私たちを叱りました。 

 夫は毎日外出して商売をして、真相を伝える事ができたのですが、私が出かけるのは不便でした。姑が日中私のそばを離れないからです。夏に市に行くときか、あるいは冬に実家に帰る時だけ真相を伝える事ができました。しかし私はそれでもいろいろな機会を利用して真相資料を何回も作りました。衆生を救うために消耗材とDVDを買ってお金を使う事を、私たちはいつも納得していました。それに対して、自分の事では洋服を買うのさえいつももったいないと思い、一着の服を何年も着て、子供の服はみな他の人がくれた物で、節約できるところは節約していたのです。なぜなら、師父と大法がいらっしゃらなかったら私たちの家庭はとっくになくなっていたのですから、このようにする事など何でもないことでした。

 後で、師父はうまく按排してくださり、私たちを街中に移し、舅姑と分かれさせたので、私たちは大量に学法し、三つの事が安心してできるようになりました。

 三、全体に溶け込み、難関を突き破って技術を学ぶ

 街に来たばかりの時は新しい土地でなじみがありませんでしたが、私は自分で資料を印刷し、自分で配り、毎日出かけて真相電話をかけ、写真つきメールを送りました。夫はやっぱり市へ行きながら真相電話をかけ、一つ一つの脇道まで資料を配りました。私たちは同修との交流がなく、明慧ネットを開き、同修の交流文章をたくさん見るだけでしたが、同修が心を勇猛にして修業に励み衆生を救い済度した実績すべてにとても感動しました。自分との差と執着を見つけるので、向上が非常に速かったのでした。

 技術がなく、同修がいなかったので、プリンターが壊れても修理できず、電話番号は大通りへ行って一つずつ書き写しましたが、後でいつも足りなくなりました。悩んでいると、師父の按排の下で、街の同修に出会いました。全体に溶け込んだ後に、私の修煉の道はまた一つ向上しました。第一に、学法グループがあり、全体で切磋琢磨し協力する環境があり、私たちのグループの何人かの同修は皆精進しており、不一致があれば内に向けて探し、互いに力を合わせたので、全体が向上しました。70歳過ぎの老年の同修は毎週他の同修と農村へ行き資料を配り、春夏秋冬を問わず、暑い寒いを問いませんでした。

 私はたくさんの技術と技能を学び、同修が必要なものを、私は何でもやりました。資料を印刷し、神韻DVDを作り、『共産党についての九つの論評』を作り、カレンダーを印刷し、消耗材を買いました。技術担当の同修が真相電話の使い方を私に教えてくれた後、私は10人以上の同修を励まして助け、真相電話を使えるようにしました。その同修たちの多くが皆、年配の同修でした。電話をかけたがってはいたのですが、自信がなかったのです。私はその同修たちを励まし、辛抱強く教え、1回でダメなら2回教え、2回でダメなら3回教え、わかるまで教えました。

 今年8月、全自動で三退を勧める事を完璧に行う携帯電話を同修が私にくれました。「人を救うこんな良い方法があろうとは思わなかった」と思い、私はその携帯電話を見るとすぐ目が輝きました。他の同修もその携帯電話を見ると「すごい」と言い、みんな欲しがりました。私は急いで技術担当の同修を探し、その同修のたゆまない努力の下で、この技術を覚えると、すぐに多くの同修が使えるようにしました。今、私たちの学法グループには毎週多くの三退名簿があります。

 私たちの所の技術担当の同修はとても苦労しています。多くの同修が皆、技術担当の同修に助けを求めるからです。システムをインストールしたり、プリンターを修理しなければならず、とても忙しくて学法し煉功する時間がありませんでした。その技術担当の同修は邪悪に迫害された後、体が弱り、いつも吐血していました。その技術担当の同修に頼らなければ、資料は作れず、同修に頼れば、「その技術担当の同修にとても迷惑をかけてしまう」とも思うのでした。しかし、その同修は、厳しい状況下でも、依然として何の不平も言わずにみんなを手伝いました。私の心は悲しい事この上なく、「自分の依存心が同修を害した」事を悟りました。そこで私はプリンターの修理を学ぶ事を決断し、同修が機械を修理している時、詳しく見ながら黙ったまま心の中で覚えたのです。まず外側をはずす事を学び、それからマザーボードをはずし、機械全部を取り外してドライブをはずし、再び取り付ける・・・その中で、技術担当の同修の難しさと辛苦を実感し、焦り、思い上がった心や顕示心・・・を取り除きました。私は本当にゆっくりと覚え、それからは機械の故障を自分でできるようになり、技術担当の同修に手数をかけさせなくなりました。

 私はさらにPCシステムのインストールと携帯電話システムのインストールを覚え、特に携帯電話の技術によって、たくさんの同修が全体をなす事ができ、衆生を救い済度する事ができました。技術担当の同修に替って私も一部の作業を分担できるようになったので、技術担当の同修のプレッシャーが軽くなりました。これは師父が私に与えてくださった知恵である事を私は知っていました。あなたに人を救おうとする心があれば、師父は何に対しても助けてくださるはずです。師父、こんなに多くの事を弟子に与えてくださって、ありがとうございます。また、技術担当の同修の私心のない力添えをありがとうございました。

 四、古くからの同修を探し戻す

 「中国大陸から出てきた学習者に会うと、まだ表に出てきていない学習者が早く出てくるように働きかけ、また方向を見失った学習者に早く真相を伝えるようにと伝えています。そうしなければ、彼らに最も惨めな結末が待っています」[1]と、師父は説かれました。

 この2日ほど、ある同修が真相を伝えていたら修煉をやめて14年になる夫婦に会った、という事を聞きました。その夫婦2人はかつて2回北京へ法を実証しに行ったのですが、その後、妻は3年の労働教養を受け、夫は1カ月拘束されました。今は夫はまだ少し学法していますが、妻はすでに邪悟者となり学法しなくなりました。「私たち2人は今日の午後、その妻の家に行き、あなたは発正念し、私が夫婦と話します」と、同修は言いました。私たちは大きなスイカを買ってその夫婦の家に行ったのですが、夫はまだ良くて、何を言ってもみな聞いてくれたのですが、その夫の妻は口から出まかせを言うので、私たちは相手の言ったことに影響されないように、私たちをサポートしてくださるよう師父にお願いし、私たちが発正念し、後から私たちがその夫婦に神韻を見せ、一対一になってその夫婦に真相を伝えると、その夫婦の思いが開きました。そして、以前の一緒に修煉していた日々をその妻は思い起こし、涙を流しました。

 次の日、私はMP3と師父の説法を準備してその夫婦に届けると、「ようやく私はわかりました、あなたは私に厳正声明を送ったでしょう。師父はずっと私を見捨てず、私が間違っていた、という事を私は悟りました」と、その妻は違う人のように満面の笑みを浮かべて言いました。私はびっくりしました。その妻が修煉に帰って来るのがこんなに早いとは思わなかったので、師父の広大な大恩に心の中で感激したのです。これはみな、師父がお決めになった事でした。「あなたたち2人は急いで学法してください。師父はずっとあなたたちを心配していらっしゃったので、くれぐれも師父の苦心を無にしないようにしてくださいよ」と、私は言いました。2人は私の話を聞くと、感動して涙し、「師父のお話を拝聴し、きっと師父に従い家に帰ります」と話しました。

 後で、私はまた同修との協調を通じて、師父のすべての説法の書籍を1セットお願いし、次の日、その夫婦に届けに行きました。その夫婦の娘がその夫婦が大法を学ぶ事に反対しているとは誰が予想したでしょうか、その夫はドキドキし、「恐れないで、私たちはこの関を越えなければなりません」と、その妻が話しました。すぐに、その夫婦の娘はやって来ましたが、表情がとても怖く、私があいさつに行くと行ってしまったので、その夫婦は修煉に戻る事ができるだろうか、と心配してドキドキしました。2日経ってからまたその夫婦に会いに行くと、その夫婦は関を突き破っただけではなく、さらに三退した3人の人の名前を私にくれました。今、その夫婦は毎日頑張って学法し、急いで人を救っており、毎週三退の名簿があります。

 この2人の同修の事から、師父が私たちに古くからの同修を探し戻させた意味を私は見つけました。それは1人の大法弟子の帰還ではなく、大きな天体の計り知れない数の衆生が生き返る事であり、その衆生の周囲の計り知れない数の衆生が救われるという事なのです。

 「師父、師父はとても慈悲深く、いつも一人一人の衆生を心配されており、衆生のために限りない苦をなめていらっしゃいます。弟子はまだ人心が多くあり、時にはまだ消極的で、怠けているので、こうではいけません。弟子は後できっと元通りの修煉の意欲を取り戻す必要があり、師父にもっと喜んでいただき、ご苦労をもっと少なくし、師父が要求なさる事を円融いたします」と、私は言いたいのです。

 師父にお礼を申し上げます! 同修に感謝いたします!

 至らない所がありましたら、同修の皆さんの慈悲深いご指摘をお願いします。 

 合掌。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文『各地での説法十一』「二十年説法」

 (明慧ネット第11回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/11/12/299780.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/11/17/146908.html)
 
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