文/東北地方の大法弟子
【明慧日本2015年2月26日】(前の文へ)(次の文へ)
「この新札はなぜみな印字されているのかしら、これは銀行から出てきたのですか?」
私が店で毎日お客さんに渡すお釣りは、だいたい真相紙幣です。前はスタンプを使用していて、お釣りに随時スタンプしていました。しばらく経って、明慧ネットに多くのいろいろな様式の真相紙幣をプリントできるテンプレートがあることを知り、筆跡がはっきりして、ノーマルな美しさだったので、私たちはこの真相紙幣を多く用い始めました。
毎日受け取ったお金を一緒にして、同修に真相紙幣を作成してもらってから使用していました。使う量が多く、真相紙幣を出せないことがあったので、同修は色々なチャンネルを利用し、たくさんのお釣りを交換できるように、繰り上げて多くの真相紙幣を作り、そのお札を毎日私のお札と交換しました。真相紙幣がみな新札だったので、「この新札はなぜみな字が印字されているのかしら、これは銀行から出てきたのに、みなこうなっているんですか?」と、客が聞きましたが、時間が経って、ちょくちょく顔を見せる客は言わなくても知っている様子でした。衆生はみな目覚めていたのでした。
真相紙幣を使用すると、伝わる速度が速く、範囲が広がるので、真相を伝えるにはよい方法でした。私は店頭の商品を増やすためにショッピングする時にも、いつも真相紙幣を使うので、物を買う時に売り手に真相を伝える事もあるのですが、「わかるわかる。あなたがくれたお金の上にはみんな字が書いてあるね!」と、売り手は話し、時に真相資料を差し出すと、私がその人にあげた真相紙幣を持ちあげてちょっと合図します。それは「すべて真相です」というわけです。
「法輪功が来た」
店内でも、しょっちゅう私は縁のあるお客さんに真相を伝えます。ある時は1人に伝え、時々はテーブルの人に伝え、伝え終わったら、真相資料を出して客に深く理解してもらいます。旧正月の期間、真相卓上カレンダーと真相カレンダーを私は大量に配りました。神韻芸術団の公演DVDが出た後、店のお客さんに直接配り、店頭の商品を増やすために市場の中に行った時には売り手に配り、貨車の運転手や多くの店頭で、戸別に中に入って店頭に置きましたが、大体受け入れられました。
店頭の商品を増やすために私は足繁く市場に出入りするので、時には私が行くと「法輪功が来た」と聞こえることがあります。一度私がある野菜売りの人に神韻DVDを渡そうとした時、この人はちょっと迷って、受け取りたくなさそうでした。この時「受け取りなよ。この公演は特別面白く、本当に他とは違っているよ」と、隣にいた通行人が自慢げに言いました。この人はすぐに認めて受け取りました。私はその人の家に野菜を買いに行ったことがあり、その人に神韻DVDをあげたことがあったのですが、口を聞いてくれたのは正にその人でした。真相がわかっている衆生はみな生きたメディアで、その人は他人に紹介する中で、自分の素晴らしい未来を選択したのでした。
ある時、私も誰にDVDを送り、誰に送っていないかを覚えていられないので、「誰かあなたに公演DVDをあげましたか?」と、先に聞くようにしました。真相資料を繰り返し同じ人に配っているかもしれないからです。店頭の商品を増やすために一度私が野菜集荷所に行った時、「新年の壁掛けの月別カレンダーをあなたにあげた人がいましたか?」と質問すると、「あなたがくれたじゃないですか。まだ私の家に掛けてあるんですよ」と、売り手は言いました。また一度、私がチキンを買いに訪問して、売り手に神韻DVDを1枚あげたら、「何ですかそれは? すぐ持って帰ってください」と、恐ろしい顔つきで言い、顔が善ではありませんでした。「ここに残してちょっと見ましょうよ、タダであなたに贈ります。あなたが後悔しない事を保証します」と、私は多く話しませんでした。それからしばらく経ったある日、私がまたその人の家に買いに行った時、その人は私を一目見るや否や機嫌が直り、「あなたが私にくれた公演はとても面白かった。ありがとうございます」と言いました。真相を理解した衆生は、恐ろしい顔が消えて笑顔になり、さらに「あなたは他に何かあるでしょう。私にちょっと見せてください」と言いましたので、『共産党についての九つの論評』のDVDを私はあげました。それからしばらく経ったある日、その人が私を見て、「これは本当に怖い」と話しました。「これは共産党の殺人の歴史ですから、共産党の本性をはっきり見たなら、すぐ共産党を脱退して、自分の平安を保ってください」と言うと、その人はすぐに三退に同意しました。
真相電話をかけ続け人を救う
私は毎日緊張していましたが、頑張って真相電話をかけて人を救いました。真相を伝えるのは素晴らしいと私は思いました。真相電話をかけることのできる同修がいるのに、携帯電話を充分に利用しないのは本当に残念です。私は2台の携帯電話があったので、同修はすぐに放送する真相の内容を更新して大量の電話番号を入れてくれました。毎日スイッチを入れると、2台の携帯電話は仕事を始め、「アナウンサーの声は一語一語エネルギーを帯びて純粋で、衆生のわかっている一面に呼びかけて覚醒させている」と私は思いました。さらに、最後まで聞く人が多かったので、「たとえ耳を貸さなくても、真相の内容は衆生の頭の中に入っているので、邪悪な要素を払いのけ、人を救う役割を果たしている」と私は思いました。毎日真相電話をかけるのに携帯電話を決まった場所に置いていたので、同修は安全に注意するように教えてくれました。私がこうしたのは、安全を無視しているからではなく、「携帯電話が今日この世に存在する理由は、決して邪な人が私たちを迫害するためではない」と、本心から知っていたからです。私たちは理性と智慧をもってこの道具をうまく使いこなし、師が法を正す事を手伝い、衆生を救い済度するための便利な道具にしなければならないはずです。今、世間では携帯電話が広く使われており、お年寄りであれ、子供であれ、ほぼすべてが携帯電話を持っているので、私たちがこのプロジェクトを行うにあたって、一人一人の同修が人心を放下し、マイナス思考を取り除き、効率良く人を救える資源を十分に利用し、もっと多くの衆生を救い済度しなければなりません。真相を伝えている中で、私たちはあくまで人心を持たず純粋な心理状態で応対し、本当に法の中で着実に修め、真の修煉者になり、三つの事に励んでこそ邪魔を少なくすることができ、やっと物事を半分の労力で2倍の効果を得るのです。
多くの同修が携帯電話の安全に関することで油断して迫害に遭いました。正念と安全はみな無視できず、修煉者に執着、人心があり、迫害に見舞われる本質と原因はそこであると私は思いました。考えてみてください。今日の中国大陸で、人を救うどんなプロジェクトを行うにも実際プレッシャーがあり、危険が伴うのです。旧勢力と邪悪がこのような恐怖を伴う環境を作っているので、悪い神である黒い手が邪霊や爛れた鬼を利用して、修煉者の執着と隙を突き、さらに、試練を加える事を口実に邪魔と破壊を行うのです。それに対して、師父が法を正す立場に立って見ると、真相を伝え人を救ういかなるプロジェクトも、いかなる方法もみな、邪悪の迫害の理由と口実になってはならないのです。正念を持って正しく行っている同修が直接迫害を受けている職場に行って悪人に直面しても真相を伝えている光景を見た時、大きく感動しましたが、これは同修たちが理性を失って安全に気を配っていないのではなく、法の中で生まれた正念であり、法の中で生まれた無私無我の境地であり、人を救う慈悲なのです。そうでなければ本当にできるはずがありません。
(続く)
(明慧ネット第10回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/12/16/143706.html)