不動産相続権を譲る
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2015年1月10日】家を所有することは中国人にとっては大きなことです。女性が結婚を決める際、相手が不動産を所有しているかどうかも条件の一つとして考えるのが一般的になっています。

 姑には二人の息子がいて、主人は長男です。世間の考え方通り、我が家は姑のマンションを相続しました。その後、弟も結婚し、平屋に住むのが気に入らず、家を借りることにしました。彼の奥さんは肝臓の病気があって、私たちは自分自身の健康を考え、食事のときに彼女の横に座らないようにしていました。

 1996年の秋、私は法輪功を修煉し始めました。功法を習わず、『轉法輪』を一通り読んだだけで、私は全身の軽快感を覚えました。その一カ月後、外資系企業に勤める主人は人事異動の辞令を受け、私たちは皆が羨ましがる北京に移り住み、新しい生活を始めました。

 故郷を離れてから、そこにある私達の家は舅に見てもらうことにしました。1998年の旧正月の時、私達は帰省し、家に戻りました。部屋の中は清潔でしたが、しかしものすごいタバコの臭い匂いが漂っていました。「誰が住んでいるの?」と私は疑問に思い、家中を歩き回って、若干ものがなくなっているような気がしました。舅に確かめてみても、誰も住んでいないと言われました。

 その日の夜、私はどうしても寝れず、頭に疑問だらけでした。翌日、私は主人に催促し、子供を連れて北京に帰ろうと言いました。その煙草の匂いは耐え難いものだったからです。北京に戻るや否や、私は真っ先に故郷の自分の家に電話を掛けました。まだ早朝の6時だったので、誰も電話に出ないようにと願っていました。しかし、人が電話に応答しました。それは正に私の予想通り弟の奥さんでした。

 私は何も言わず、相手が先に電話を切るのを待ちました。その後、中々心が落ち着かず、ずっとこう思いました。「何故私を騙すのですか? 何故自分の家に住まずこそこそと私の家に住むのですか? 自分自身に伝染病があることを知りませんか? 私は修煉の身として怖くありませんが、幼い子供に伝染してしまったらどうしますか? 姑がくれたお金を貰わず、いつも誠意を持ってあなた達に譲ったのではありませんか? それなら、何故私たちにこんなことをしますか?」。

 グループ学法の際、私は自分の「悩み」を打ち明けました。ある同修は、それが私の私心を取り除くチャンスだと言い、トラブルが突然やって来ることによって心性が試されると指摘しました。もしその病人が自分の両親、子供なら、それでも「悩み」ますか? 同修の話が私を目覚めさせました。「そうですね。師父から無私無我、他人を先に考える事を教わりました。しかし、私は自分の事をばっかり考えて、師父の教えを忘れてしまいました。やはり学法が足りず、常に自分を修煉者として考えていません」

 自分の間違いが分かってから、私は故郷にいる妹に電話し、父の所からスペアキーをもらい、直接弟の奥さんに渡し、そして安心してわが家に住むように伝えてとお願いしました。弟夫婦は感動しました。私の実家の人たちもびっくりして、父はこう言いました。「この子は馬鹿になった。法輪功を学んでから家もいらなくなった。帰省してきたらどこに泊まるか見てみよう」。しかし、色々考えてから、父は二年間放置していた『轉法輪』を取り出し、どのような力が私にこんなことをさせたかを知ろうとしました。本を読んだ後、父の世界観が変わり、私は何故このようなことをしたかを理解できました。

 1998年の下半期、舅夫婦が勤めていた教育局が再び不動産の分配を行いました。本来、彼らは抽選で当たった不動産を買い取って、弟夫婦にあげようとしました。しかし、予想外に、彼らは大きい家に当たりました。彼らには購買力がないため、結局私の主人はそれを買って、舅と父の助力で家の装飾を行い、私たちの新居としました。

 法輪功は修煉者に無私になるよう要求しています。本当にそうできた時、正に師父が『轉法輪』の中で仰ったようになります。「修煉者は自然に任せることを重んじるべきです。自分のものなら、無くなることはないし、自分のものでなければ無理に争っても得られません。」

 中国共産党による迫害を受け、私は家庭を失いました。労働教育所から出てきたとき、私は唯一の住処もなくなったことを知りました。しかし、私は恨まず、自然に従い、師父が要求されている衆生を助けることを実行しています。何故なら、法輪功修煉者は衆生の為に生きていると分かっているからです。

 間もなく、姑は引っ越した後に空けた家を私にくれました。そして、十年間離れていた子供も私のそばに戻りました。家を自分の命よりも大事だと思っている姑の行為は容易なことではありません。彼女はその家を空けておきながらも、弟の奥さんの両親に住ませようとしませんでした。私は主人と離婚したにもかかわらず、姑たちを未だ親として心を尽くし、面倒を見てあげるので、彼らも依然として私を家族として考えています。

 法輪功は私を、「いつも他人を先に思い、暖かい日差しのように周囲の人々に幸せと楽しみをもたらす人」に変えました。
 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/1/3/302631.html)
 
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