自分の観念を変えれば 家庭環境も変わる
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2015年7月8日】1998年初め、今の夫の家を訪れたとき、高く壁に掛けられていた師父の肖像を見た瞬間、尊敬の心が生まれました。

 当時、お父さんは毎朝ラジオを持って煉功点に行き、煉功音楽を流す責任者でした。その理由は、退職してから時間があまったために、ここに少し時間を多めに使ったのです。お母さんも頭の手術をしたことがあり、法輪功を修煉してから、何の病にもかからず、毎日6回も往復して家族のために野菜を買い、ご飯を作り、とても元気でした。当時、夫は煉功していませんでしたが、両親の身体の変化を見て、大法の素晴らしさを感じていました。

 ある日、私はお母さんがソファーに置いていた大法の書籍を何ページか読み、思わずひかれて、大法についてもっと知りたいと思いました。その時、お父さんとお母さんは私に法を伝え、自分たちが持っていた大法に関するすべての書籍と録音を私に貸してくれ、当時、数の少なかった資料も私にくれました。私も彼らの心を無駄にせず、すべて読み終えたあと、法を得て、法輪功修煉者になりました。

 あっという間に1999年の7・20になりました。大量に法を学んだおかげで、当時、共産党による天地も覆うほどの嘘や誹謗中傷に惑わされることなく、心を決めて修煉を続けました。しかし、共産党の打撃で、大法弟子たちから集団で法を勉強したり、煉功できる環境を取り上げられたことが最も心配でした。

 2000年、夫と結婚した年に、私は家族に内緒で1人で法を実証するため北京に行きました。周りの同修はそれぞれの理由で私と行動を共にする者はいませんでした。当時、共産党の邪悪さがよりいっそう増し、上京する修煉者を止めようとする公安局や警察が各地で待ち伏せていました。帰ってきた修煉者たちは刑を下されるか、労働教養処分を科せられるかのどちらかです。遼寧省馬三家留置場で邪悪な事件が発生しました。ある若い女性が1人で出かけていることが、後に多くの家族と同修を心配させました。北京の天安門広場についた私は横断幕を広げ、「法輪大法は素晴らしい」と大声で叫びました。そして、広場にいた警察に捕まえられ、留置場に何日か閉じ込められました。中に入った私は絶食し(当時の次元の理解により、とった迫害を拒否する方法)、3日後に釈放され、1週間後に家に戻りました。私が何もされなかったことに同修だけでなく、私自身も不思議に思いました。今回の経験は同修に正の力と、大法の威力を感じさせ、まるで、修煉が新しい段階に入ったようでした。しかし、かえって家族にも厳しく見張られてしまいました。これは邪悪による圧力のもとで、彼らが怖がっていると私は理解しました。

 ある日、突然、同じ屋根の下にいる家族も邪悪な要素に妨害され、自分1人が修煉を続けているという孤独感を感じました。恐怖心から、母に、家族に影響を及ぼさないで、特に孫が1人いるので、あきらめなさいと言われた時、この言葉を言っている彼女の髪の毛が自然に落ちました。夫も勝手に私のカバンやプライバシーにかかわるものを漁り、大法に関する資料などを見た瞬間、大声で私をののしりました。父も私がこっそり処分した彼が以前共産党の仕事をしているときの書物を泣きながら探し出して接着剤でくっつけていました。家族や親戚は私を見るなり、「空気を読め」と言ってきました。父はいつも恐怖で顔が真っ青になり、血圧も高くなり、これを機に私に修煉をあきらめろと脅してきました。そして、両親は私を修煉の道につれてきた夫の両親に文句を言いました。

 一時期の別空間の邪悪はやりたい放題で、私は形のない圧力を感じました……いったいどうすればいいでしょうか。

 師父はいつも我々修煉者に自分の内を探るように言われます。我々は「真・善・忍」の大法を修煉しています。しかし、私はただ自分の修煉に対する決心だけを表していました。もちろん、決心があるのは間違いではありませんが、周囲の人々の受け止め能力についてはまったく考えていませんでした。夫側の両親は大法を修煉したことはあるものの、真相を理解しているわけではありませんでした。それなのに、私は彼らが真相を知っていると勝手に思い込み、自分がネットでよく見ていた詳しい経過について彼らに話していませんでした。そして、自分の両親もいろいろ恐怖を感じ、私がいつかいなくなるのではないかと怖がっていました。自分はなんと自己中心的な人間でしょう。自分が上へ修煉していくことしか考えていませんでした。この自己中心的な心理はすでに悪い部分です。家族や親戚ならこのような反応をするのは当たり前でした。修煉とは自分を修煉するのです。私はこの自己中心的な心理をなくさなければならず、家族がどこで行き詰まっているのかを見つけ出し、その焦点に合わせて真相を伝えなければなりません。はじめに私は夫に少しずつ焼身自殺の真相を教えました。理解した彼はまた私を支持するようになったのです。この時の彼の恐怖心は私の安全を心配するものに変わりました。資料を配りに出かけるときも、夫は私についてきて一緒に配り、自分が脱退した声明文を電柱に貼り付けたのです。そして、周りの同僚をも脱退させました。

 私は夫の両親にできる限り真相を伝えました。聞かないときは発正念をし、次回家に来た時に続けて話しました。毎日の発正念に夫の両親も入れて、新たに戻ってくれるよう彼らのはっきりしている面に話しかけました。

 『九評共産党』が出版されてから、法を正すことに新たな法器が増えました。母に第一論評を話すと、彼女はすぐにわかり、脱退を薦めると、母は喜んで脱退しました。そして、匿名を使うといった瞬間、母は本名で脱退するといったのです。

 ある日、夫側の両親は親戚たちと一緒に食事をしようと私たちを呼びました。本来は楽しく食事をするはずだったのですが、夫が突然私に不満をもたらしました。まるで何かに取りつかれたかのように大声でののり、最後には大法に対して失礼な言葉まで口にしたのです。私は何も言わず、顔色も変えないで内心で発正念をし、自分の心性を守りました。そして、夫は私と離婚すると言ってドアをバンと閉めて出て行ったのです。

 このことのすべてを親戚たちが見ていました。今回は夫が悪く、私があまりにも我慢しすぎていると言われました。それを聞いた夫側の両親はあまり理解していなかったようでした。

 何日か経過し、夫は何事もなかったかのようにまた私によくしてくれました。週末に夫側の両親の家に行って食事をしているとき、彼らに脱退を薦めたところ、お父さんは「はい、脱退します」と言い、お母さんも正しい選択をしました。

 脱退を勧めることはうまい言葉を並べるわけではありません。何年も彼らに勧めてきましたが、ダメでした。しかし、自分が法の中に溶け込み、修煉者が大法の素晴らしさを表したとき、自然と成功するのです。これは大法が見せてくれた威力です。師父の慈悲に感謝します。

 その後、私はmp4を買い、煉功音楽を録音して、夫の両親にあげました。そして、大法の電子書籍もセットしてあげると、彼らは喜んで受け取ってくれました。そして、毎朝1時間座禅をしていると教えてくれたのです。父も脱退した後、顔色が良くなり、体も健康になりました。

 夫は自分も夢を見たと言いました。雲に乗って天に昇っていくと、神韻の演出の最初の場面のような天上で、「南天門」と書かれた場所に来ていたというのです。毎年、神韻のDVDを見て、夫は知らぬ間に座禅して、我慢できなくなるまで足を外しません。この点では私よりもできていると思います。

 今、家族みんなが大法の恩恵を受けています。修煉していない家族も危険に遭うときは「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」と黙読することを覚えて、毎回師父のご加護を受け、奇跡も起きました。

 自分の観念を変えることで、周りの環境も変わってきました。自分にはまだたくさん不十分なところがあり、まだ多くの衆生を救わなければなりません。そして、まだ取り除かなければならない執着もあります。法を実証する早いスピードの中で、一生懸命に努力し、三つの事をしっかりやることで、我々に注いでくださった師父の多大なる心血を無駄にせず、史前の大願を果たすことができるのです。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/4/15/306905.html)
 
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