嫉妬心の現れと、その危害について
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文/山東省の大法弟子

 【明慧日本2016年8月29日】師父は「嫉妬心を無くさなければ、人の修煉した一切の心が脆弱なものになります」[1]と説かれました。私は嫉妬心を修めなければ、正念が生じることは非常に難しくなり、修煉はまるで鏡に映った花や、水に映った月のように労して功なしになると悟りました。

 私はずいぶん前から嫉妬心に関する交流文を書こうと思っていました。なぜなら、今日に至っても、この心は依然として普遍的に存在し、更に法に同化して衆生を救い済度する面で非常に大きな悩みとなっているからです。

  近年私は、修煉者の嫉妬心に以下の幾つかの表われがあることに気付きました。

  比較的普遍的な現れは妬みです。つまり、他人によいことがあるのを見ていられないのです。軽い場合は、何かの原則を以って、他人のよいところを許さないことです。たとえば、各方面で自分と条件がよく似ている人、自分と比較できるような人に、なにか良いことがあれば、嫉妬心に撹乱されて、不満を感じ始めます。ひどい場合は相手かまわず、人に良いことがあれば、常に辛く感じます。辛く感じる程度と嫉妬心の強弱は正比例をなしています。例をいうと、一輪の美しい花を見た時、嫉妬心のない人は心からその花を鑑賞し、それを大切にします。嫉妬心の軽い人は、心の中で羨ましく思い、或いは卑下して一瞬不満を感じます。嫉妬心が強い人は「きみは美しいのか? 実際、きみより美しい花は沢山ある。ほら、きみの顔色は少しもきれいではない。なになにの花より劣っている」といいます。更に嫉妬心が強い人は、花に痰を吐くか、或いは石を投げ「どこが美しいのか? きみは実際非常に憎らしい」といいます。最も嫉妬心が強い人は、そのまま歩いて行き、花を足で踏みにじり、喜びを感じます。

  自分をえらく思い、人を見下し、一部の方面で自分より劣っていると思う人に対して見下します。一部の人はそれを隠し、一部の人は自分が見下している人に対する表情や言葉に、そのまま軽蔑する心が現れています。修煉者のなかでの現れとしては、背後で同修の不足を言い合い、旧勢力に最も容易に操られ、間隔を生じさせ、ひいては更に大きな損失を招いてしまいます。

   人の災難を喜び、人によいことがあったら、辛く感じ、他人に災いがあったら、逆に陰で嬉しく思い、ひいては人の苦難につけこんで打撃を加えます。自我の基準、あるいは常人のなかの是非の基準で人を測り、基準に達しないと不平をこぼします。

  嫉妬心の強い人は普遍的に以下の特徴と危害がよく存在します。

  嫉妬心は性格が内向的な人に比較的生じやすいのです。旧勢力の按排した儒教思想は中国人に対して、嫉妬心が生まれやすい温床を提供しました。共産党の平均主義は更に嫉妬心を助長し、嫉妬心を強化しました。このような人は普遍的に非常に利己的です。すべてのことは本能から来ていて、自我からはじめて、他人の利益と感受をめったに考慮しません。

 普遍的に自尊心とメンツの心が強く、その表現として、気に障るようなことがあるとすぐ怒り出します。軽い場合は言い返し、相手の不足を言い、重い場合は絶対に引きさがらず、ひいてはそしり誹謗するなど手段を選びません。

 この心は非常に悪賢く卑劣で、表面的には常に温厚で譲り合い、口ぶりも優しいのです。しかし、言い出す言葉は人を刺激し、人心を妨害し、宇宙の特性と相反しています。反抗心が強く、負けず嫌いで、反対の言葉をいうことを好みます。修煉者の中では、例えば、同修が行う衆生を救い済度するプロジェクトに対して励ましても協力せず、逆にプレッシャーをかけ、反対にあら捜しをします。どうしても相手のことが気に入らず、自分からみてよくないところを見つけ出し、マイナスの作用を働きます。 

 「我に従う者は栄え、我に逆らう者は滅ぶ」と言って人に協力しないのです。修煉者の中で、自分が他人より偉いと思い、徒党を組み、分裂をもたらします。自分に従わない同修にむやみにレッテルを貼り、自分が嫉妬する同修に対して言い掛かりの騒ぎを起こし、最も魔に利用されやすく、人を傷つけます。心の中は暗く、普遍的に度胸がなく、憎しみと報復の心が非常に強いのです。例えば、不注意で誰かがその人の気分を悪くさせたら、必ず機会を見つけてやり返します。旧勢力が大法弟子のことをいちいち記帳し、機会を見つけて手を出すことと極めて類似しています。 極端に走りやすく、心にない言葉を喋り出し、普遍的に正念が足りません。嫉妬心は最も敏感なものです。比べ合う心、闘争心、恨む心、虚栄心、名利心など多くの人心と数え切れないかかわりをもち、現れやすいのです。 

 では、いかにして嫉妬心を取り除くのでしょうか。現在の次元で私が認識できたのは、嫉妬心を修めたければ、必ず根本的に「自分のため」から「人のため」に変わることです。私は新しい宇宙は「人のため」だと悟りました。例えていうと、嫉妬心は癌の腫瘍のようなもので、もしそれを死なせたければ、ただそれを切り取るだけでは足りません。癌の腫瘍に栄養を与える身体を酸性の体質からアルカリ性の体質に調整して、はじめて根本的に問題を解決できます。嫉妬心を生じさせ、栄養を与えているのはほかでもなく、旧宇宙が悪くなったのちに生命に植えつけられた「自分のため」という特性です。ですから、必ず法の要求にしたがい、無私無我で人を先に自分を後にするまで修めて、ようやく根本的に嫉妬心を取り除くことができます。

   一つひとつの人心は修煉の道のりにおいて、障害物となります。私たちは「トラを飼って憂える」ように、命に危険を及ぼす人心で旧宇宙の解体と共に消滅されるか、それとも痛みを我慢しながらそれらを消滅し「真・善・忍」に同化して、成、住だけで、不滅の新宇宙に入ることを選択すべきではないかを、一人ひとりが必ず自分自身にしっかりと問うべきです。私たちの修煉のなかに現れる緩みや、人心と執着がなかなか取り除けないのは、すべて修煉の機縁を大切にせず、自分の本当の生命を大切にしないことに等しいのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/7/30/331868.html )
 
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