文/中国河北の大法弟子
【明慧日本2016年2月3日】私は2009年に大法の修煉を始めました。修煉する前には、日ごろから自己評価が高く、自分は嫉妬心を持っていないと考え、今後も自分が嫉妬の対象にされることはあっても、私が誰かを嫉妬することはないと思っていました。修煉を始めたとき、なぜ師父が『轉法輪』の中で、嫉妬心の問題を単独に取り上げられたのかわかりませんでした。私は今、最も純粋無垢な団体に入ったので、嫉妬心が存在するのだろうかと思っていました。
1年、また1年、時は過ぎていきます。特に精進している同修に私は嫉妬心を発見しました。具体的な表れとしては、その同修は誰からも指摘されてはならず、言われたらすぐに怒ってしまうのです。同修は合わせ鏡のようなもので、私自身の姿を映し出すので、このような問題が私にも存在しているだろうかと思い、自分を超える人が現れたら、嫉妬心を生じてはならないと言い聞かせていました。
修煉の昇華につれて、次元も絶えず向上していきます。世の中の物事に対して、執着が減り、気持も次第に軽やかに楽になりましたので、自分には嫉妬心はないように思いました。
修煉の道を歩んでいるので、魔難も次から次へとやって来て私に試練を与えました。魔難が来るたびに、真・善・忍の基準に基づいて自分を律しました。どうしても乗り越えられなくなったときには、法を勉強し、時には同修に相談して、彼らの意見を聞きます。このように、家庭や仕事上の魔難を経て、ここまで歩いて来ました。
一つ触れたい話があります。それは、関を乗り越えたあとに、私は急に老け込んだ経験があります。魔難は常に貪欲な私に利益を失わせ、影も形も残さずに失わせるのですが、利益を得た者が手段を選ばずに勝ち取り、有頂天になった姿を目にすると、心から猛烈な嫉妬心がおこり、この嫉妬心は私を老けさせ欝々とさせるのです。私の修煉状態はこのように良くなったり、悪くなったりの繰り返しを続けてきました。
2012年に、家庭、職場、友人や家族から多くの打撃を受けて苦しい立場に置かれた私はまさに「百の苦一斉に降る」[1]のようでした。無能な者の成功を目にして、嫉妬心が起きました。私はいきなり老けてしまい、顔にたくさんのシミが現れて、まるで顔がソバ殻に覆われているようでした。心の中の最大の鬱屈はうわべにある魔難ではなく、心の中の嫉妬だということは知っていましたが、どうしても取り除くことができません。粘り強く、集団学法に参加して、師父が嫉妬心について説かれた法を繰り返して学びました。そして、正念を発するたびに、この嫉妬心を取り除く努力をしました。学法、発正念、煉功を行い、徐々に不思議なことに、シミが消えました。
生活の中では多くの打撃を受け続けました。職場の同僚は皆、私が法輪功の修煉者だと知っていて、私のことを傍観していました。私がどのようにして乗りこえるかを観察し始めました。彼らの傍観の下で、私の顔は白から黒に、黒からまだらに激変しました。しかし、また元通りに返っていきました。私のこの奇跡的な変化は大法の素晴らしさを物語りました。
私はまた元のように美しくなりましたので、1人の同僚は自ら三退したいと話しかけてきました。中国共産党からの脱退声明を出した後、彼女は法輪大法は素晴らしいと言い、功法を学びたいと言いました。師父に教わった通りに、まず同僚に『轉法輪』の本を渡し、五式の功法を教えて功法のDVDもあげました。論語が更新された後、新たな論語のページを渡して、張り替える方法などを説明しました。
しばらくして、彼女は興味津々に、自分は両足を組んで30分も座禅することができるようになったと私に言いました。彼女の話を聞いた私は、喜べない上に、嫉妬心が生じました。私はたまにしか煉功しませんので、両足を上げられる時間はたったの30分ですが、彼女は煉功してからわずか数日で、両足を上げることができたことについて、頭の整理ができず、嫉妬心が出てきました。彼女に励ましの言葉もかけず、「ダンサーは最初から両足を上げることができるのよ。本当に修煉したければ、新たに始めなければなりません。座禅しているうちに、また両足を上げることができなくなることもあるので、その時にまた最初から始めましょう」と話しました。それを聞いた彼女は呆然としました。
そのことについて、私は考えれば考えるほど落ち着きませんでした、これは明らかに嫉妬心ではないでしょうか? 励ましと喜びの言葉をかけるべきだったのに、同僚に水をさしてしまいました。再び、師父が『轉法輪』の中で説かれた嫉妬心についての法を思い出して、自分の顔が熱くなりました。自分は最悪な人間だと思いました。私が水をさしたことが原因で彼女が大法から離れてしまい、彼女を突き放してしまったらどうしようと、怖くて考えることができませんでした。いかなる損失ももたらしたくありませんので、直ちに自分の過ちを正さなければなりません。しかし、すぐ引きかえして説明すれば、信用を失うことになると思い、彼女には次の日に話すことにしました。
次の日、職場について、まず「自分はしばらく煉功しておらず、座禅は30分しかできないのに、あなたはたったの数日で、すでに30分に達しました。あなたは本当に凄いです、続けて努力すれば、必ず私を超えることができる。あなたは私にほかの同修との差を気づかせてくれた。私はしっかり煉功しなければ、あなたに置いて行かれちゃうわよ」と彼女に告げました。
私の言葉を聞いて、この新しい同修は喜んでくれ、私もほっとしました。
また数日経ち、彼女は興味津々に私に「みて、私のお腹がへこんだでしょう」と私に聞きました。私は彼女を見ましたが、本当にウエストラインがくっきりしています。彼女は良く煉功しますので、姿勢は良くなり、体型も自然と若返りました。その話を聞いて、私は彼女の喜びを一緒に分かち合うことができて、嫉妬心がなくなりました。もし前回、直ちに自分の嫉妬心に気づくことができなければ、きっと大きな過ちをおかしてしまうところでした。
しかし、何といっても今回、嫉妬心を取り除くことが不十分だったため、次なる試練がすぐやってきました。
友人が海外旅行をした時の写真を送ってきました。本来は喜ばしいことなのですが、私は喜べなかったのです。彼女は高卒で、何の特技も持っていないのに、海外旅行に行くことについて喜べなかったのです。この考えが現れるや否や、自分はまた嫉妬していることに気づき、嫉妬心を取り除くよう正念を発して、その場で、彼女にお祝いの言葉を送りました。すると、自分もなぜか嬉しくなりました。
自分の嫉妬心を完全に無くしてこそ、初めて相手と喜びを分かち合うことができます。相手が、その喜びを他人と分かち合ったからといって、減ることはありません、かえって分かち合えた人数が増えることにより増していきます。こんな分かりやすい道理を私はやっと悟ることができました。嫉妬心は自分や他人に害を与えるだけなのです。私はやっと嫉妬心を取り除くことができ、かつてない喜びを手に入れました。
注:
[1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「苦其心志」
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2016/1/27/154962.html)