顕示心や無責任な言動が招いた魔難
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 【明慧日本2015年12月11日】私は修煉の厳粛さを認識することができず、大変な魔難を招いたことがあります。

「仮象」が招いた魔難

 去年の6月、用事のため、私は久しぶりに会社へ行きました。以前の同僚たちを見かけると、彼女たちは「相変わらず若いですね」と、仲のいい同僚は私の頬を触りながら、「何を食べているの? お肌がすべすべだわ」と褒めてくれました。

 彼女に以前、法輪功への迫害のことを伝えたことが何回もありましたので、もう伝えることは何もないと思いながら、「それは仮象だよ、仮象だ、仮象だ」と口からついて出ました。言った途端に我ながらびっくりしました。なぜこのような言葉を言ったのか、その場で深く考えず、用事を済ませて帰ることにしました。

 しかし、帰る途中で、お腹が痛くなり、我慢して法輪功の資料拠点へ向かいました。漸(ようや)く辿り着いたものの、痛くて痛くて体をエビのように丸めました。顔色が真っ青で、冷や汗をかきました。法輪功の資料を制作している二人の同修たちに、「痛くてたまらないので、早く正念を発して助けてください」と頼みました。しかし、同修たちが正念を発せば、痛みが和らぎますが、正念を止めば、再び痛くなるのです。同修は「やはり内に向けて、どんな心が邪悪に隙に乗じられたのかを、探すべきだ」と言いました。

 私は激痛を我慢し座って内に向けて探しました。ふと、無責任に言ってしまった、「仮象」によりもたらしたに違いないと気づき、後悔の気持ちでいっぱいになりました。十何年も修煉してきて、師父はたくさんのことを肩代わりしてくださったおかげで、私の体は若返りました。しかし、師父の恩恵に対して、私はかえって「仮象」と言ってしまい、たいへん申し訳ないと思いました。このことで、自分には修煉の厳粛さの認識が欠けていると分かりました。私は師父の慈悲と修煉の厳粛さを、子供の遊びごとにみなしてしまいました。

 深く後悔しているうち、いつの間にか、お腹が痛くなくなりました。正念を発し続けると、強大なエネルギーに包まれ、1メートル以内の空間が全部高エネルギー物質に満たされていると感じました。経験したこともない心地よさでした。師父は心から後悔している私を見て、痛みを取り除いてくださっただけではなく、エネルギー場の玄妙さまで体験させてくださり、私は感動で涙がこぼれました。

2回転んだあと目が覚めた

 私と数名の経済的に余裕のある同修たちと、少し大きな法輪功の資料を作成する場所を作りました。設立した当時、安全を守るため、私たちは修煉状態の良くない時と学法の足りない時には、ここへ来てはいけないと約束しました。私は『轉法輪』を100回近く暗記しました。法輪功への迫害を伝えるため、携帯電話を九つ購入して、毎日法輪功への迫害を伝える電話をかけて、たくさんの人を三退させています。しかし、独りよがりの性格の私は、時に歓喜心が起きてしまい、携帯電話をここへ持ち込み、資料を作りながら、電話をかけていました。同修に注意されても、私はまったく気にしないうえ、「ここは繁華街だし、大丈夫よ」と弁解しました。

 今年1月28日、法輪功の資料を作る場所から家に帰る時、しんしんと雪が降っていました。自転車に乗って道路へ出ようとすると、自転車が滑って転んでしまいました。単純に道が凍っていたから、注意しなければならないとだけ思い、内に向けて探しませんでした。しかし、家に着いてカバンがなくなっていることに気づきました。お金と銀行カード以外、九個の携帯電話もカバンの中に入っており、頭の中が真っ白になりました。慌てて資料を作っている同修に電話し、先に行って探してほしいと頼みました。

 私も自転車に乗って、急いでそこへ向かいました。走りだしたばかりで、自転車が再び滑り、私を遠くまで飛ばしました。寛骨が地面にぶつかり、痛くてしばらく動けませんでした。若者たちがそれを見て、「大丈夫ですか? 」と尋ね、私を支えてくれ、ゆっくりと立ちあがりました。若者たちにお礼を言って、私は再び自転車に乗りました。一回目に転んだ近くに自転車の修理店があります。修理店の人にカバンを見かけていないか、尋ねてみましたが、見ていないと言われました。カバンは濃い色なので、もし他人に拾われなければ、すぐに見つかるはずで、カバンがないので、誰かに拾われたかもしれないと思いました。

 資料拠点に着くと、同修たちに指摘されました。同修たちも近くでよく探してくれましたが、カバンは見つかりませんでした。ひとりの同修が私に「あちらで内に向けて探してきなさい。どんな人心があり、どこに漏れがあったのかをよく考えてみて」と言われました。私は座って、「大事なカバンをどうして無くしたのか? どんな人心がもたらしたのか? 同修たちは何回も、ここで電話をしないでと注意してくれたのに、なぜ聞かなかったのか? なぜそんなに自分を顕示するのか? この心を取り除かなければならないのだ」と反省しました。

 後悔しながら資料拠点を後にし、自転車を押して家へ向かいました。一回目転んだところを通る時、落としたカバンがすぐそこにあるのが見えました。何回も何回も探し回ってなかったあのカバンが、目の前に落ちていました。それを見た私は、師父の大いなる慈悲と大法の不思議さを感じて、再び涙があふれてきました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/12/7/319663.html)
 
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