文/シカゴ大法弟子
【明慧日本2014年8月8日】
尊敬する師父、こんにちは! 同修のみなさんこんにちは!
私は79歳の時に法輪大法の修煉を始め、今年で19年になりました。常人はこの年になったら体力がなくなるのですが、私は耳も良いし、目も老眼ではなく、力仕事をする体力もあります。
例えば、親戚のために梯子に登って二階の屋根を修理したり、高齢の四人の同修をリードして、一週間でアーチ型の山車を作ることもできます。しかも材料の購入から、設計、工事まですべて自分たちで行いました。もちろん体力が要ります。その時は親戚たちが親切に「気をつけて」と言ってくれました。時間の余裕がないとき、一日10時間も続けることもあって、家に帰って疲れ果て、すぐに寝てしまいました。夜2時に起きて、翌日の工事の事を考えなければならず、知らないうちに朝の発正念の時間になり、正念が終わってから煉功しました。自分はいくら疲れても、体が痛くても、朝の座禅の時間は少なくとも1時間半ぐらいはしています。
師父の法を勉強して、修煉者として無私無我まで自我を放下しなければならないことを悟り、心中に衆生のことしかないからこそ、苦労を恐れずにいられ、生死を恐れず、固い決意で修められます。修煉は厳粛なことであり、基準があり、やるなら基準までやり遂げ、最善を尽くします。
魔難が来た時は、執着を取り除き心性を高める機会が訪れてきたということなので、必ず心を正しく置き、立ち向かわなければなりません。心を正しくすれば、順調に難関を乗り越えられます。私の智慧と超常的な能力はみな師父がくださったものです。
以下、私が観念を変え、人心を取り除く三つの事を紹介します。
一、出国した当時、国内の息子が失業して家にました。そのため、一旦政府により無理やりに家の解体を行うと、更にお金を払わないと新しい家が与えられないので、長年積み立ててきた貯金を息子に残しました。しかし、十数年過ぎても、家の解体を行いませんでした。
数年前、協調人が神韻を宣伝するためにお金を借りる必要がありました。当時『オーストラリア学習者への説法』を勉強して、自分の貯金が大法の資源であり、衆生を救い済度することに使うべきで、家族の家を買うために使うものではない。そのため、取り戻さなければならないと認識しました。国内の家族がこれを知った後、彼らはもし急に入り用があったらという心配がありました。私は説得して、最後に送金してくれ、神韻公演の開催に使うことができました。
それから奇跡が起きました。息子に安定した仕事が見つかり、しかも昇進して、私のお金が要らなくなった上に、自力で内装もでき、思いやりのある花嫁も見つかりました。私の執着を放下したことで、息子の運命も変わりました。
観念を変え、執着を放下さえすれば、師父の慈悲の偉大さを感じることができます。
二、去年の1月30日、私は車に跳ねられて、3mぐらい飛ばされました。大丈夫だと思い、立ち上がって去って行きました。この生死の大きな関を乗り越え、『悟る中で修める』の交流文を書いて、明慧ネットへ投稿し、発表しました。それから、自分が正しく生死の関を対処したことで、体にも生まれ変わるほどの変化が起きました。老人斑が小さくなり色も薄くなって、だんだん消えました。
ぶつけられた左脚の腫れが消えた後、もともと肉がなかった部分に、5センチくらいの肉ができていていました。師父がこの肉を加えてくれたことで、車にぶつけれれたときにクッションの働きをして、骨折まで至らなかったことが分かりました。私の脚は昔から硬く、座禅の時に足の裏が上に向かなかったのですが、今は徐々に上に向くようになりました。
魔難に耐えているうちに、体重が一気に10キロ以上減りました。ズボンも緩くなって、ベルトも長くなりました。3か月後、体重がだんだん正常に戻りました。今は仕事で疲れても、布団をかけずに寝ても大丈夫ですが、以前ならけいれんを起こして歩けなかったので、今は若返った感じがします。
座禅の時、一回一回の激痛を乗り越えて、痛い過程で、血溜まりがよくなりました。足の平が熱くなり、頭、骨、肉、内臓、脳までも変化しているのを感じました。最も痛い時期を乗り越えることは、苦しさの峠が見え、「柳暗花明又 一村」と言われるように、眼前に新たな世界が開けることが肝心だと悟りました。
修煉者の金剛の意志は、忍の過程から修めるものであり、正念を固く信じることを元にするもので、真にやり遂げるからこそ高めることができます。私のたくさんの業力がほとんど脚から消えました。
三、今日まで修煉してきて、修煉の環境がとても大きく変化したことに気付きました。シカゴの学習者が他の町へ引っ越して、新しく来た人も少なくありません。他の町へ行った学習者はみな大法のさまざまなプロジェクトを担当しているので、人が行ってしまうとその仕事をやる人がいなくなるのです。しかし、新しく来た人がすぐに補うこともできず、どうしましょうか? 古い学習者が自らその仕事を担当するしかありません。
例えば山車作りを例にすると、以前若い人が協調していたので、私が力仕事をするだけで済みました。今は私一人で担当することになり、全体の協力の重要性と協調人としての難しさも体験しました。欠員があれば、自ら補わなければなりません。
シカゴには数台の古い車があり、新聞配りに学習者たちを乗せたり、パレードなどの活動に使ったりしています。使う時に運転する人はいますが、しかし、トラブルが起きるとすぐに直すことができないし、協調人もそこまで細かく管理できません。私は運転はできませんが、車の管理を担当しました。
修煉者が円満成就できたら、大法の一粒子になるので、師父は今の人生の内に、私たちを宇宙の王と主まで成就することを按配してくださいました。つまり自分の心を拡大、更に拡大して、すべての不足を補わなければならないと悟りました。私たちが修めているのは大法弟子の全体を高めることです。
大法弟子は他人のための生命なので、無私無我であるべきです。時にまた良くない念が出てきますが、そのときは排斥が必要です。私の修煉はまだ基準まで達していないので、更に精進して確実に修煉しなければなりません。
師父ありがとうございます。大法ありがとうございます。同修ありがとうございます。
(2014年アメリカ中部法会)