神韻を広める過程で修煉を向上させる
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文/台湾の大法弟子

 【明慧日本2014年7月16日】師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!

 私は台湾の大法弟子です。10数年も修煉してきましたが、修煉の入り口に立ったままで、入門していなかったようにずっと感じていました。そんな私を慈悲深い師父は見捨てず、神韻公演の営業を通して修煉し向上する機会を下さいました。

 今思えば、神韻が初めて台湾で公演を行う数年前に、人と接触するのが苦手な私にとってはチケット販売においてプレッシャーを感じました。あのとき、台湾の修煉者が多いため、私たちは主に自分たちの親戚や友人達に薦めたり、パレードをしたりしてチケットを売っていました。2011年の公演の時、私たちの地域での公演チケットは公演日が迫っているのに、まだ売れ残っていました。当時、他の地方の同修たちが積極的に応援に来てくれました。同修の助け合い精神と衆生を救い済度する強い気持ちを見て、自分の修煉における不足を多く見つけました。以後、自分も修煉に励んでチケット販売を頑張ってきました。しかし、修煉への理解不足のせいで、人心に左右されてしまう時が時々ありました。あのころ、人心と正念が常に戦っていました。

 しかし2013年、私は、台湾佛学会主催の神韻に関する一級の検定を受けたことで、更にプラス思考で、積極的かつ楽観的に問題を直視することができました。同時に神韻への理解も深まり、神韻と法輪功との関係など、多くの分からない問題も遂に解決できました。偶然のような成り行きで、私は神韻公演の営業チームに入りました。そこで少しずつ成長していきました。

 これまで、私は傍観者のように、同修が積極的に営業しているのに対し、私は消極的に手伝うだけでした。上手な人に任せればいいと思っていました。しかし、『米国首都での説法』の「法が必ず彼らを済度することができ、大法が必ず成功し、法を正すことが必ず成功すると信じているからです。ですから、彼らは大胆にも人類社会にやってきました。ここで言っているのは大法弟子のことではなく、異なる時期に法を得た学習者のことでもなく、現在人類の全体的な状態のことです。人類社会の多くの生命、多くの事情には変化が生じました。このような生命を前に、私たちは行うべきであり、救うべきです」という法を思い出しました。私は「今の世の中の人々は大きな危険を冒して生まれて来た。私たちが彼らを救い済度しない理由はどこにあるのか? 私たちは衆生にとって唯一の希望である。私の周りの衆生はどうすればいいだろう」と考えました。私はまず自分の周りの人から薦めることを始めました。

 そう思ったら、さっそく困難にぶつかりました。子供2人はまだ小さく、世話をする必要があり、それと修煉していない家族の気持ちも考慮してあげなければなりません。考えた末、私はまず、子供と交流をしました。「あなたたちは大法小弟子で、自分たちの誓約を果たさなければなりません。ママは神韻公演の営業をして、あなたたちの分まで頑張ってきます」と話しました。続いて、常人である主人にも理解を求めました。「このような素晴らしい公演を多くの人に薦めてあげない理由はありません」と言うと、主人は神韻公演を鑑賞したことがあったので、私に賛同してくれました。言うまでもなく、同修の助けもありました。同修が子供の面倒を見てくれたおかげで、安心して営業できました。

 営業する過程で、様々な人と出会い、いろいろな出来事がありました。ある宣伝キャンペーンのとき、不動産の社長が足を止めて、1分30秒の世界の観客の感想ビデオを見終わると、男性であるにもかかわらず、私の前で感動の涙を流しました。社長は自分がすでにチケットを購入済みで、キャンペーンを見て親しみを感じ、思わず足を止めてしまったというのです。その後、この社長は神韻を人に薦めてチケットを購入させました。常人ですら、感動を分け合い、薦めているのを見て非常に感動しました。彼の真の生命がこの時のために、ひたすら待ち続けていたのです。私たちは一人ひとりの衆生を大切にしなければなりません。公演終了後、観客に感想を聞いていた際、この社長と友人となり、彼は修煉について多く尋ね、ついに『轉法輪』を読み始めました。

 当初、神韻公演終了後、少し休憩しようという思いが、ふっと脳を過ることもありました。後に、営業を数日休み、再び神韻を紹介し始めると、スムーズにいかず、隔たりがあるように感じました。幸いなことに、この問題も後に、営業チームは週に一回、1人ずつ、観客の感想一つ、二つを収集し、発表することで解決できました。このように収集し、実演を繰り返すことによって、どんなタイプの人にも即座に適切な感想を紹介することができました。それから、営業の同修から法を暗記しようと提案がありました。私たちは「中国古典舞踊とは」から暗記し始めることにしました。最初は、どうしても暗記することができませんでしたが、私たちは考えを改めて人心を取り除き、お互いに激励し、あきらめずに何回も挑戦し続けていくうちに、一段落ずつ暗記できました。

 この法を暗記できたとき、修煉者である私たちは、人間から脱皮しなければならないのですが、衆生を救い済度するため、再び人間の社会に戻る必要があり、自分の役を良く演じることが必要だと悟りました。

 「喜・怒・哀・楽」は私たちの役にとっては皆、必要なもので、私たちはそれぞれ自分の役を持っており、それをよく演じなければなりません。実を言うと、以前の私は人と付き合うのが苦手で、常人と話せる話題も少ないと考えていました。しかし、この法を暗記できたあと、私の考えが完全に変わりました。

 考えが変わると、私の周りの環境も変化し始めました。師父は縁のある人を次々と私のところに導いてくださり、私も衆生を呼び起こし大法との縁を結ぶように役を演じ切っているのでした。

 今年も、佛学会は一級と二級のテストを設けました。ただ以前と違うところは、今年は営業の実演項目を追加しました。なぜなら、以前の私たちの説明会では神韻を広めることを重視していたため、説明会でのチケット販売率が良くなかったからです。このような交流とトレーニングを通して、衆生がチケットを購入し神韻を鑑賞したときに、やっと彼らを救い済度できることを、改めて認識しました。私たちが救い済度する気持ちが強ければ、師父が必ず縁のある人を連れてこられます。

 チケット販売の初めに、市政府との良い関係を築くため、私たちはまず議員を訪問することにしました。営業チームはいくつかのグループに分かれて、区域ごとで訪問し始めました。私は同伴の同修と相談し、アポを取らずに直接に事務所を訪問することにしました。なぜなら、電話でアポを取ろうとしても、スケジュール的に無理だと断られるケースが多いからです。訪問に行く前、私たちはまず発正念し、師父に加持を求めます。第一番目の訪問先を訪れたとき、選挙の有権者である私たちに対し、議員の秘書の態度がとても冷たく、「議員が公演を観る時間があるわけないだろう」などと私たちを門前払いしようとしました。それでも、私と同修2人は秘書の態度に影響を受けず、神韻の紹介ビデオの鑑賞を秘書に薦めました。鑑賞が終わると、秘書の態度は先ほどと変わりました。ちょうどこの時、議員も戻ってきました。私たちを見て、「神韻は知っています。とても有名ですね。今年こそ鑑賞に行こうと思っていたところです」と話かけてくれました。私は同修と思わず、お互いの顔を見て、「これ以上、議員に薦める必要がなく、さっそくチケットを予約してもらうべきだ」と目で意見を交換しました。私たちはすぐ座席表を取り出し、座席を決めてもらいました。議員は値段の高い座席のチケット2枚を購入しました。さらに、先ほどの秘書に「3月12日、神韻を観るから、空けておくように」と指示しました。

 議員の事務所から出ると、私たち2人は目に涙が溢れました。師父に感謝しきれません。私たちに衆生を救い済度する気持ちさえあれば、師父がすぐ按排してくださいました。私は巨大な慈悲に溢れるエネルギーに包まれているのを感じました。師父はただ私たちの心を求めているだけで、いつも私たちに最高のものを下さいます。

 その後、営業チームは議員を訪問しているうち、主なロータリークラブとも連絡が取れました。さらに他の地域の同修を招いて、講座を開きました。今年はロータリークラブの所を少し突破したとも言えましょう。これらのことを通して、「全体が協力し合う」ということが、どれほど重要なことであるのかを痛感しました。

 チケット販売の営業で「全体が協力し合う」ことの威力が各方面に現れました。今年、台湾全体のネット上での説明会の交流が設けられました。台湾各地の同修はお互いに経験を学び、修煉を競うことができ、同修が一体となった強い正念の場を感じ取ることができました。それで、どこの地域で公演が行われようとも、私たちは全体の一部であると考え、協力し合い、チケット販売に励んでいました。たとえば、説明会を開催する際、北部地区の同修が訪問先を提供し、私たちは先に訪問し、そして、訪問先に「当日は北部地区の担当者が早朝の一番の電車に乗ってこちらに来て説明会を行います」と言っておきます。衆生を救い済度する積極的な態度が私たちを精進させ、皆の心を一つにしました。その説明会で、70枚余りのチケットが販売できたうえ、次の説明会の開催のつながりともなり、さらに多くの人と知り合うこともできました。2015年のチケット販売によい環境を作りました。

 今年、新しい営業スタイルが加わりました。それは旅行博覧会で販売ブースを設けることです。当初、博覧会の主催者が私たちに参加を要請してきたとき、参加費がいるため、私たちは参加すべきかどうかについて、検討していました。まず、第一は人員が足りるかどうか。第二は今回の博覧会の規模が小さく、参加する必要があるのか。これらを考えると、不参加に傾いていました。しかし、博覧会の期間中は連休の上に説明会もなく、常人が自ら誘ってきたのに、偶然の事ではないと考えなおしました。師父が法を正されることを手伝う機会を一つも逃さないため、同修たちは協力し合って、参加したい同修を誘い、当番を決めました。皆の考えが一致したとき、その力は山を切り開くこともできます。博覧会には多くの縁のある人が私たちのブースを訪れました。カナダから帰国したばかりのある女性は、私たちのブースを訪れ、「一昨年、私はカナダで鑑賞したかったのですが、どうしてもチケットを手に入れることができませんでした。今日、運がよくここで貴方たちと出会いました。私は公演時間の違うチケット2枚をお願いします」と嬉しそうに語りました。彼女が2回鑑賞したいのかと思ったら、彼女の家に赤ちゃんがいるため、娘と交代で観たいのだと説明したのです。この女性の真の生命が救い済度されたい願望があると感じ取った私は、チケットを手に入れたすべての人のために嬉しく思いました。

 チケット販売の営業する期間、毎日、師父が衆生を大切に思い、すべての生命に慈悲を与えられているのを感じます。私たちは自分の一つ一つの考えと思いを浄化しさせさえすれば、順調になります。すべてがすでに按排されていて、正念をもって行うだけだと師父はずっと前におっしゃっていたからです。

 この間の修煉を通して、私は師父が法を正し、衆生を救い済度されることを手伝うことができることは宇宙で最も栄耀なことだと感じました。

 師父、ありがとうございます。同修の皆さん、ありがとうございます。

 (2014年アジア地区法輪大法修煉体験交流会)

 
 
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