神韻のプレゼンテーションを通して悟ったこと
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文/日本の大法弟子

 【明慧日本2014年7月15日】師父、こんにちは。皆さん、こんにちは。

 神韻のプレゼンテーションをする中で、私が得た修煉体験をお話したいと思います。私は修煉を始めて10年以上経ちますが、数年前から繰り返し見る夢がありました。それは、私は夢の中では大学生で、卒業試験を間近に控えています。あと2週間で試験なのに、一番苦手な数学の勉強を全くやっておらず、出題範囲も教科書のどこからどこまでなのか分からない、ととても焦っている夢でした。これは、明らかに私の修煉上の問題点を指摘していました。私には修めるべき心性の課題があるのに、ずっとそれに触れたくなく、法の勉強も足りないことだと自分なりに悟りました。

 ちょうどその頃、私は神韻の勉強をしたくて、プレゼンテーションのチームに参加することになりました。もともと、私は自分自身がプレゼンをするつもりはなかったのですが、そこでは、日本語がネイティブではない中国人の学習者たちが、一生懸命長い文章を覚えて、繰り返しプレゼンの練習をしているのを見て心を動かされ、日本人の私もやらなければならない、と思うようになったのがきっかけでした。プレゼンの内容は、中国の5千年の歴史や、神伝文化を支える仏教・道教・儒教の教え、そして中国共産党が政権を取るまで大事に受け継がれてきた修煉文化などが含まれています。中国の歴史や文化について、あまり知らなかった私は、中国の神伝文化の奥深さ、豊かさに圧倒され、魅了されました。何度もプレゼンチームで集まるうちに、中国人の学習者から中国文化についていろいろなことを教えていただき、その時の修煉体験の交流も私にとって大きな励みとなりました。

 神韻のプレゼンを作っていく過程は私にとって楽しいものだったのですが、実際にお客様の前でプレゼンをするという段階になると、壁にぶちあたりました。何十回もプレゼンの練習をして、台詞は完璧に暗記し、資料もしっかりと出来ています。しかし、実際にプレゼンをすると、お客様の反応がよくありません。時には、お客様が寝てしまったり、司会者がつまらなそうな顔をしていたり、終わってから「こんなプレゼンをしてもらうはずじゃなかった」と言われたこともあります。プレゼンの前になると様々な妨害に直面し、高熱が出て声が出なくなったり、お腹を壊して下痢が止まらなくなったこともありました。身体や家庭への妨害が多く、プレゼンの効果もよくありません。私のどこがいけなかったのでしょうか?修煉において、自分に漏れがあると感じました。その時、自分でルールを決めました。それは、私は誰に何を指摘されても、たとえその意見が自分の観念に合わなかったとしても、必ず素直に聞くということです。特にプレゼンに関しては私は全くの素人ですし、率直な意見を言ってくれるのは周りの学習者だけです。自分が上手くなりたければ、自分の足りないところを見つけて、向上しなければなりません。

 ある日、またプレゼンで失敗をした日、落ち込んで家に帰ってくると、プレゼンの現場にいた学習者から電話がかかってきました。その時、私は学習者に、「私のプレゼンのどこがいけなかったのか、何でも言ってください」とお願いしました。

 すると、学習者は私の足りないところをひとつひとつ指摘してくれました。話し方は上手で日本語はなめらかだけど、あなたは近寄り難い雰囲気がある。あなたの心がオープンじゃないから、お客様も心を開いていない。もっとリラックスして、心をオープンにして、本当に神韻を見てもらいたい、という熱意を持って話せば、お客様も一生懸命、聞いてくれるはず。あなたからは、熱意が感じられない。あなたが心を開けば、お客様も心を開いてくれるはず。

 いつもは人から何かを指摘されると、すぐに言い訳をしてしまう私が、なぜかその時は、心から素直に聞くことができました。なぜなら、私が改善しなければならない心性上の問題点を、はっきりと指摘してくれたからです。実は、私もうすうす気づいていました。その頃、ちょうど私は引越しをしたばかりで、掃除をしていたら私の小学校の頃の成績表がでてきたのです。「先生の所見」という欄を読むと、私はびっくりしました。そこには、私の性格の問題点が書かれていて、それが大人の今になっても、実は全く変わっていなかったからです。先生の所見の欄には、私の性格について、次のように書かれていました。「とても消極的。自分の意見を言わないので、何を考えているか分からない。何事にも冷めていて、おとなしすぎる」といったことが書かれていました。今もその性格を持っている私が、よいプレゼンターになれるわけがありません。三つ子の魂百まで、とはまさにこのことだと思いました。

 私はもともと社交的な人間ではなく、陰と陽があるとすれば、私の性格は陰の性格で、非常におとなしく、プレゼンなど本当はあまり私には向かないのです。しかし、神韻のプレゼンをすると決めたからには、自分の殻を破って、足りないところは努力して補うようにしなければなりません。私は、それからはもっと心をオープンにして、周りの人や近所の人、職場の人などにも積極的に話しかけるようにしました。また、私のよくない心、例えば闘争心や見栄えを気にする心、恐怖心、嫉妬心なども見つけました。それらの執着心があれば、心が緊張して、プレゼンで上手く話すことはできません。それらの悪い心を捨てて、もっと相手のこと、お客様のことを考えて純粋な心でプレゼンをしようと決めました。私は、ここで私のプレゼンの問題点と心性の問題点を指摘してくれた学習者たちに心から感謝したいと思います。

 これは私の悟りですが、神韻の営業やプレゼンをする学習者は、話し方だけを練習するのではなく、やはり心性の向上においても、努力しなければならないと思います。例えば、私のようなおとなしすぎる性格の学習者は、もっとリラックスして、自分から積極的に、心をオープンにするといいと思います。また反対に、これは私の所見ですが、一部の学習者は自分の意見を言うことに夢中で、相手の話を聞こうとしない人が多いように感じます。そういう学習者は、もうちょっと自分を抑えて、少し控えめにするといいと思います。陰と陽があるとすれば、陰が強すぎてもだめだし、陽が強すぎても、よくありません。両方のバランスが取れた心を持てば、話を聞いている人も心地よいと感じるのではないでしょうか。大人になってから性格を変えるのは難しいといいますが、修煉者だけが、根本から変わることができるのだと思います。

 もうひとつ、神韻のプロジェクトに関わって悟ったことがあります。それは、プロジェクトに問題があったり、漏れがあったりしても、決して他の学習者を責めてはいけないということです。これは、法理では分かっていても、なかなかやり遂げることができませんでした。プレゼンをやる上で、いつも他の学習者がプレゼンのアポイントを取ってくれたり、会場の手配をしてくれますが、その按配に不備があることがたくさんありました。私は内心、いつもハラハラしながらプレゼン会場に向かいました。時には、按配が不備なことが気になって、アポイントを取ってくれた学習者に対して不満に思うこともありました。

 ひとつ、印象的な出来事がありました。ある時、プレゼンをする当日になって、会場を手配した学習者から「マイクとスピーカーがないので、どうすればいいか」という電話がありました。プレゼンが始まるまで、後、数時間という時です。私は一瞬、びっくりしました。プレゼンすることはずっと前から分かっていたはずなのに、なぜ当日になってこんなことを言うの?と一瞬、相手に対する不満の心を抱きましたが、すぐにそれを打ち消しました。プレゼンまでもう時間がないので、何とか解決しなければなりません。私は学習者に対する不満の心を打ち消して、自分のプレゼンの練習に専念しました。

 しばらくして、マイクとスピーカーを持っている学習者がいることが分かり、その人の家に私が取りに行くことになりました。その学習者の家は遠いので、私はパソコンを抱えて、遠回りをしなければなりません。家を出ようとすると、たまたま外出していた夫が家に帰ってきました。その日は私の心性が守れず、夫とは大喧嘩をしてしまっていたのですが、緊急事態なので、私から謝って、夫に車を運転してもらいました。学習者の家に行ってスピーカーとマイクを受け取って、一緒に会場に行きました。プレゼンの会場に行って分かったのは、それまで私がやったことのあるプレゼン会場とは全く雰囲気が違っていたことでした。忘年会で、人がたくさん会場にあふれ、プレゼンの準備をするにはとても難しい状況です。プレゼンをするには、パソコンをプロジェクターに繋いで、スピーカーの設定や音のテストといった細かい作業が必要ですが、会場の責任者は忙しくてつかまらず、準備を手伝ってくれそうもありません。その時、側にいた夫が着々と、私がプレゼンをしやすいように準備を進めてくれました。

 もし、当日に「マイクとスピーカーがない」という状況がなければ、私はひとりで会場に行っていたはずです。そうすれば、プレゼンの準備も一人でしなければなりませんが、それは今振り返ってみても、あの混雑した状況では難しかったと思います。その日はプレゼンもスムーズに行き、喧嘩していた夫とも仲直りすることができました。

 私が悟ったことは、神韻のような大きなプロジェクトになると、たくさんの人たちが関わっているので、按配に不備があったり、変更があったり、漏れがあることは仕方のないことです。しかし、按配に漏れがあったとしても、必ずそれを埋めてくれる学習者が現れます。まるで、すでに道が整えられていて、足りないところは誰かが埋めてくれて、上手くいくように、師父が按配されているように感じました。師父が按配して下さった道を歩むかどうかは、実は私たちの修煉にかかっているのだと思います。プロジェクトに問題が表れたら、誰かを責めるのではなく、皆でその漏れを補うことにただ集中すればいいのだと悟りました。いつもそれができるようになるには、私も、もっと心の容量を広げる必要があると感じました。

 私は、まだ神韻という大きなプロジェクトのほんの一部のことしかできていません。神韻では、多くの学習者が睡眠を削って、必死で働いていることを知っています。神韻を成功させるために、陰で一生懸命努力してくれている学習者の皆さんに感謝したいと思います。時に、私の修煉状態が悪くて、神韻のプロジェクトにあまり積極的ではなかった時、親身になって励ましてくれた同修たちに心から感謝します。また、大法のプロジェクトと日常生活の両立が難しくなったとき、家事や子育てをいつも黙々と手伝ってくれる夫や親戚の皆さんにもここで感謝したいと思います。今はもう、大学の試験を控えて焦っている夢は見なくなりましたが、しかし、まだ、自分の修煉が足りていないことを自覚しています。これからは、もっと精進して、神韻を成功させるために、皆さんと努力していきたいと思います。有難うございました。

 (2014年アジア地区法輪大法修煉体験交流会)

 
 
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