同修との付き合いに情はいらない
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 【明慧日本2014年6月18日】最近、私とある同修は一緒にいることが多いのです。修煉すればするほど、気が合うと感じたことがあります。すると、「情」が生じました。「情」というのは、修煉者が取り除くべきものだと思います。同修の間に「情」があれば、修煉を邪魔し、いろいろと面倒なことをもたらします。例えば、私は同修の間で、情のせいで、お互いに相手の執着を指摘することができません。法に従わないところがあっても、お互いに気づかないし、良くないことがあっても、同修のメンツを考えて、言い出せません。実例を挙げましょう。学法のとき、私は同修が文字を間違え読んでも、指摘するのは悪いなと思ってしまいます。また、同修の人心に気づいても、言う勇気もありません。

 情があったので、常人のように分け隔てないほど親密な関係になり、自身も修煉者としての自覚を持っていないし、法に基づいて修煉することができません。同修の間は、ますます常人の付き合いとなり、お互いにご馳走したり、物を贈ったり、さらに、自分の家の都合で、同修にお金を借りたり、しかも、借りたお金を返さない人もいます。個人のことのために、同修にお願いすることが多いので、直接同修の心性に影響をもたらし、あるいは、2人とも心性を守ることができませんでした。

 同修の間で、ますます「情」がひどくなる場合、トラブルが現れてきます。あなたは彼に良くしたり、彼は私に良くしてなかったり、このようなことの中で、同修の嫉妬心を引き出す可能性があります。最後には、同修の間で、最も見たくない場面が現れてしまいました。言い争ったり、口喧嘩したり、隔たりが生じたり、不調和になったり、相手の足を引っ張ったりして、全体の法を実証することに影響をもたらし、修煉の環境に影響をもたらしました。そのため、修煉を諦めた同修もいました。

 そのため、同修の間では、慎重に人間関係に対処すべきです。私達は法に基づいて、お互いに心性を守り、物事を行うときは先に相手のことを思い、修煉の中で、内に向かって探します。相手の不足に気づいたら、まず自分を探します。自分のどこが間違っているのか、見つけたら直ちに直します。同修に本当に問題があった場合、善意を持って、指摘すべきです。同修は意見を一時的に受け入れないこともありますが、それに対して、私達は同修に不満を持たないようにしましょう。こうすると、同修の間でお互いに大切にし、許し、そして、全体が向上することができると思います。これは自分の修煉の中で気づいた問題です。自分が取り除くものだと思いますが、ここで書き出して、皆さんと励まし合いたいと思います。

 以上は個人的な悟りなので、適当でないところがあれば、ご慈悲にご指摘ください。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/4/14/221522.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/4/25/116325.html)
 
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