師が法を正される時間を、旧勢力にとられないように
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2014年2月15日】師が法を正されて十数年が経ちました。当初の修煉者は年月が経つと共に年をとり、一部の修煉者は子供の代が家庭を持つようになり、三代目まで生まれてきました。そのようになって、何もかも捨てて無条件に孫の保母に務めています。左手には買い物籠、右手には孫を抱き、家族全員の洗濯、食事など、本来は子供たちがやらなければならない家事を丸ごと抱え、いわゆる家族団欒を楽しんでいます。師父による説法にあったように、結果は想像がつきます。「ここに基準が一つあります。定められた天寿を越えた、延長された生命は、すべて煉功するために与えられたものであり、間違った考えが浮かんだだけで命の危険を招くことがあります。というのは、あなたの生命の過程はとっくに終わっているからです。世間法の修煉を終えて、この制御を受けなくなれば話は別です。その時になれば、まったく別の状態になるのです。」(「轉法輪」)

 身近にいた数名の年配の女性同修は、既に旧勢力に引き摺られて行かれてしまいました。長期にわたり病業状態に陥り、危険の境地を彷徨っている同修もいます。

 一、周囲の同修は、六十歳以上の同修甲が病院で逝ってしまったと聞いた時、皆が愕然としました。病業の兆候が全く表れて来なかった上、三つのことをしっかり行い、精進しているように見えていました。突然の入院と間もなくの訃報でした。実は、同修甲は生前息子さん夫婦と同居していました。息子さん一家の家事を自ら抱え込み、孫の面倒をずっと見ていました。更に週に数回程度、娘さんの家に行って家事の手伝いをしていました。一日の残り時間を先史の誓約を果たす為に費やせるかを考えてみれば手にとるように分かります。

 二、同修乙と同修丙も同様に子供達と同居していました。家事をこなすばかりか自らの収入も子供達に渡していました。同修乙は僅かな数万元の貯蓄を孫に貢ぎ、邪悪による経済的な迫害を受けていないのに、自ら経済力を削りました。大法弟子の収入は、基本生活費以外に、師が法を正すことを手伝う際に使う資金として師父から与えられた授かり物です。この世で生きていく為の資本でもあります。なぜ邪悪が私達に対して「名誉を毀損(きそん)し、その経済力を破綻させよう」としているのか、私達がこの世で生きていく為の源を断とうとしているからです。現在、この二人の同修は長期にわたって病業に患っており、周囲の同修から助けも得られていますが、未だに旧勢力の迫害を突破できていません。

 三、同修丁は、子供達への溺愛と孫に対する自己満足を生きがいとして、人生の全てだと考えています。師父が数え切れない程のものを持ち堪えられ、引き換えられた衆生を救う為の時間が、子孫繁栄という同修丁の強い執着によって消えてゆき、家事に疲れ果てた同修丁は、学法の時に居眠りをしてしまい、発正念の時に手が倒れてしまっています・・・。

 数千年の神伝文化の歴史は、これまでずっと「君主に君主の行い、臣に臣の行い、父に父の行い、子に子の行いがある」と主張してきました。それ故、孔子は「君君、臣臣、父父、子子」と言いました。中国共産党は数千年の神伝文化を破壊し、人の思想を曲げてしまいました。現在の中国人の年配者は、子供の道徳と人生を指導するのではなく、無条件に家庭の保母に務めることが常識化されてしまいました。しかし私達は大法弟子です。使命を背負っている大法弟子です。「世の墜落を截窒(ふさぎとめ)る」(『洪吟二』「普く照らす」)という責任を背負っています。このように明らかに法理から乖離している行為が、同修達に見えました。天下の全ての神々に見えました。旧勢力にも見えました。旧勢力はその隙に乗じて情への執着を更に強め、衆生を救う全ての時間をかすめ取ってしまいます。

 ここでは家事をすることを批判している訳ではありません。善意をもって注意しているつもりです。何もかもやりすぎてしまうのはいけません。子供達が孫に対して業力を償う機会を奪ってはいけません。旧勢力に付け入られる隙を与えてはいけません。

 個人的な見解なので法に符号しないところがありましたら、同修による慈悲なるご叱正をお願いいたします。合掌!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/2/10/287507.html)
 
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