明慧法会|十年ぶりに修煉し始め、家庭の環境が大きく変わった(二)
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文/陝西省の大法弟子

 【明慧日本2013126日】

 二、再び修煉し、魔難を経験する

 私の叔父は中共(中国共産党)に3年の不法な労働教養を科され、2007923日、私は家に戻ってきたばかりの叔父に会いに行きました。彼に会うや否や、私は涙をこらえることができず、泣き出し、10年の歳月を浪費したことを後悔しました。叔父は私を慰め、「戻ってきたなら、精進し、師父が法を正す進展に追いついて行きなさい」と言いました。帰宅してから私は丸々10年封じていた『轉法輪』を取り出し、感無量になり、その夜、五式の功法を一通りやってみました。心の中で私は師父に言いました。「師父、どうかご安心下さい。今後どんな魔難があっても弟子は決して動揺しません」。

 その日の夜、妻は理由なく怒り、私を無視しました。私は試練が来たと思い、心性を保ち、この試練を乗り越えようと思いました。

 翌日、妻は私が煉功すると眠れないと言い、仕方なく、私は毎回彼女の同意を得てから煉功しました。数日後、妻は寝る時間になると私に煉功をやめるように懇願して、「あなたが警察に捕まえられたら、私と子供はどう生きていくの」などと言い出しました。妻が何を言っても私は動揺せず、彼女に、「師父と大法があるので、何も恐れなくていいよ」と安心させました。懇願しても効果がないのを見て、今度、妻は徹夜して寝ないで、ベッドに横たわって目をつぶり、「もうこれ以上生きていけない。あなたが煉功するなら私は死にます。それとも離婚してくれるのか」などと言い、絶えず私に、続けて修煉するのか尋ねました。

 学法を通じて分かったのですが、本当に私に聞いているのはこの理性を失った彼女ではなく、彼女の背後で操っている魔が再び私を修煉から遠ざけようと、私を試していたのです。妻が尋ねる度に、私ははっきりと、「修煉します! 絶対に修煉します!」と答えました。同時に、彼女の背後にいる魔にこう言いました。「あなたが死にたいなら誰も阻止しませんが、これ以上私の妻を操って、私の修煉を邪魔することを許しません」。毎晩、妻は魔の仕業により苦しくなり、理性を失い、頭痛が酷い時には頭を壁にぶつけたり、私の肩を噛んだりしました。その当時は発正念を知らず、ただひたらす妻の主意識に声を掛けました。「この話を言っているのはあなたではなく、魔です。どうか目を覚まして、魔にコントロールされないように、害されないようにして下さい」。

 時には本当に修煉が難しいと感じ、苦しくて、彼女に再び聞かれたら「もうこれ以上修煉しない。しかし修煉をやめたら私はあなたも苦しめてしまう」と思ったことがあります。この念が出た途端、私はこれが正しくなく、本当の自分ではなく、思想業力による反応だと気づき、それを否定し、自分に言い聞かせました。「諦めない。絶対に諦めません!」 2カ月経った頃、妻は聞かなくなり、穏やかに眠れるようになりました。師父の加持の下、私はこの関を乗り越えました。

 師父の正法の進展に追いついていけるよう、私は2008年初頭にプリンターを購入し、資料を作ろうと思いました。プリンターを買った当日の夜、それをみた妻は私と口論になり、その後突然狂ったようにプリンターを持ち上げ、激しく地面に投げつけ、力一杯踏みにじってから、空気の抜けた風船のように床に座り込み、その後の数日も魂が抜けたように私を無視しました。私は機会を見つけて彼女を少しずつ諭し、彼女に法輪大法は佛法であり、共産党がなぜ大法を迫害するのか、今の歴史的時期において大法弟子は自身の円満成就を目的とせず、法を正す師を手伝い、衆生を救うことを目的とし、更に大きな歴史的使命と誓いを背負っていること、大法弟子は1999年以来受けてきた魔難と迫害の中で、彼らは捕まえられ、殴られ、そして虐殺される危険を前に、いかに衆生を救ってきたか、海外の大法弟子はいかに苦労をいとわず真相を伝えてきたか、大法弟子である私は10年の歳月を浪費したにも拘らず、師父は依然として私を弟子としてくださったこと、私は必ず師父の正法の進展についていき、三つのことをきちんと実行しなければならないこと、そして今の我が家の良い生活も師父が下さったことなどを言い聞かせました。徐々に、妻は多くの真相が分かり、私の資料作りを認めてくれるようになりました。しかし、資料作りの際に家のお金を使っていけない、家に資料を保管してはいけない、外に出て資料を配ってはいけないなどの条件をつけました。彼女は大きな変化を見せてくれ、私は多くの恐れる心を取り除きました。

 ある日、妻は私が真相資料作りに家のお金を5千元(実際は5千元以上)使った事に気づき、私と喧嘩になり、数回にわたり私に離婚話を持ち出し、1231日の前に修煉を止める約束をしなければ離婚すると言いました。

 妻の恫喝を前に、私はどうすれば良いか分からず、叔父 と相談することにしました。叔父は言いました。「彼女には真相を伝え、機会も与えたが、本当に離婚を選ぶならそれも彼女の選択だ。離婚を恐れて修煉をやめてはいけない。あなたの心が揺らぐかどうかが肝心です」。叔父と話してから私は続けて修煉していく信念を強め、離婚しても修煉すると決心しました!

 12月のある日、義理の父と義理の妹が突然我が家を訪ねてきて、修煉をやめて妻と睦まじく生きるようにと言い、私の両親も同意見でした。私は彼らにはっきりと、何を言われても修煉を続け、絶対に放棄しない決意を伝えました。

 義理の父は説得がうまくいかないのを見て、妹と一緒に私のコンピュータとプリンターを強引に持っていこうとしました。私は彼らの前に出て大声で言いました。「誰も私のものに触ってはいけません」。彼らは強引に持っていこうとして私に罵声をあげましたが、私は少しも譲りませんでした。このとき、私の父も来て、私が叔父の影響を受けてこうなったとか、私と叔父が引き続き付き合えば警察に通報し、連行してもらうなどなどと言い出し、私は大きな声で言い返しました。「警察には私達を管理する資格はなく、私達の師父にこそ、その主権があります」 。

 強引にやっても私の修煉を止めさせられないと見て、彼らは今度は私の叔父の家に行って事を起こそうとしました。彼らが行ってから私はカバンを手に取り、師父の法像と一冊の『轉法輪』 を入れ、もう一冊の『轉法輪』 を持って1歳になったばかりの息子にこう言いました。「楽楽、この家にはパパの居場所がなく、パパは行かなければならない。この本だけを楽楽に残します。これからは師父の教えに従い、『法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい』を覚えてください。パパが成就したら楽楽に会いに来ます」。

 子供は怖くなって泣き出し、母は子供を抱っこして玄関の前を塞いだので、仕方なく、私は2階のベランダから出て、タクシーで叔父の家に走りました。結局、彼らは空が暗くなるまで待っても叔父が帰って来なかったので(実際は師父の按排でした)、皆は家に帰るしかありませんでした。私は帰宅を拒み、後で妻が来て、やっと私を家に連れて帰りました。

 ハラハラする正邪の対戦はこうして終わりました。師父の加持の下で、私はこの関を乗り越えました。

 しかし、この関は辛うじて乗り越えたとしか言えず、自分の修煉が足りず、十分な善を持って家族を感化することができず、がむしゃらに突進しただけです。多くのものは師父が耐えてくださったと思います。師父、感謝致します!

 (続く)

 (明慧ネット第10回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/11/11/282014.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/11/30/143446.html)
 
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