明慧法会|身体障害者の修煉経歴(一)
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文/四川省の大法弟子

 【明慧日本2013123日】(次の文へ

 慈悲なる師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!

  一、苦しみに満ちた前半生

 2歳の時、私は突然の高熱で全身が動かなくなりました。半年経ってやっと立って歩けるようになりましたが、両足は変形して萎縮しました。立つことと歩くことに不便があり、家事の手伝いもできず、学校では体育の授業を免除されました。外見上は足の障害で、一般の後遺症の範囲ですが、私の場合、体の他の部分の後遺症も多くありました。

 物心付いた時から、私の腰から下はずっと氷のように冷たく、足底の感覚も麻痺していました。歩く時間が少し長いと、足から伝わる冷えと浮腫みは私をそわそわさせました。治療薬がなく、唯一の方法は火鉢のそばに坐るか、足をお湯に浸すことでした。尿は冷たくて回数も多く、22歳になって生理がやっと来ましたが不順でした。30歳になっても、たまに尿漏れをおこし、おならをしたことがなく、汗をかくことも熱を出すことも一度もありませんでした。ふだんの体温はずっと36度未満でした。1982年のある日、なぜか体温が37.5度に上がり、私は衰弱して人に支えてもらわないと倒れそうになりました。

 私は生ものや冷たい物を食べてはならず、扇風機にあたること、水で顔や足を洗うこと、地面に座ることもできませんでした。洗濯をする時に仕方なく水を使いますが、洗う時間が長いと、各関節、骨、全身の筋肉と頭が冷たくなって痛くなり、大量のアナルジンを飲んでようやく少し緩和することができました。

 私の体は痛みに対する感覚が鈍く、負傷して血がいっぱい流れていても自覚がありませんでした。体のどこかが病気になると、ただ酸っぱくて張ったり痒くなったりしますが、痛みは感じませんでした。電気鍼を刺す時でも痛みや痺れ感がありませんでした。そのために、私は正確に病状と部位を伝えることが出来ず、診断と治療に大きな困難をもたらしました。医者は仕方なく多種の薬を処方しましたが、飲んでも症状を抑えるだけで、完治はできませんでした。それどころか、多くの場合、薬は他の合併症を引き起こし、また病院に行って入院か手術をするしかありませんでした。西洋医学の薬を多く飲んで更に衰弱した時は、体全体を調整して緩和させられる漢方薬と、そのような漢方薬を処方できる漢方医を探さなければなりませんでした。

 1969年に病院で詳しい検査した結果、私の基礎代謝の各数値は正常の人より低く、各内臓器官も正常の人より小さいことが分かりました。つまり、私は生理機能が健全でありませんでした、法輪大法を修煉する前に、人生はとても苦しく疲れ果て、心身ともに傷だらけでした。喜びを感じる日は一日もなく、哀愁と苦しみが私を覆いました。私はとても内向的な性格になり、無口で思考力も遅く、優柔不断で臆病で、気が弱くて自信がなく疑い深いなど、良くない心を持つようになりました。

 しかし私は自殺を考えたことはありませんでした。それは神の慈悲でしょうか。1969年、全身がひどく浮腫んで、部隊の病院に移送されて治療を受けました。その院長は私の病歴を聞き、「あなたの人生は特別ですね。こんな体で大学まで出て、30数年来、私は国土の半分を歴遊してきたが、出会った患者であなたのように良い人生を送る人は一人もいません。10万人の患者の中でも、あなたのようにきちんと生活できる人は一人もいません。本当に不思議です。もし今が『文化大革命』でなければ、あなたの病状と病因を徹底的に調査します。今後、しっかりと生きてください。少し苦しみを嘗めますが、全ては順調に運んでいきますよ」と言いました。

 院長の話を私はずっと覚えていました。神様が加護しているから、私の人生に多くの不思議なことが起きたという彼の言葉の背後の意味を、私は分かっています。しかし、私を加護してくれている神様はどこにおられるのでしょうか?

 私は身体の状況がこれほど悪かったのですが、意外にも、仕事ではとても出世しました。勤め先で、私はある重要な部門の責任者で、かなりの権限があり、給料や待遇もとてもよかったです。しかし仕事のプレッシャーは大きく、職場では官職や権力をめぐる闘争も激しく、そのような環境から離れるために、1993年、私は早期退職をしました。

 二、大法修煉後におきた巨大な変化

 1997年の冬、長年音信不通だった同級生が、ある日突然私に電話をして、法輪大法を紹介してくれました。後日、大法書籍、師父の講法ビデオ、煉功音楽のカセットテープを買ってくれ、そのようにして私は大法の修煉を始めました。

 はじめて功法を学ぶ時、少し長く立つと足がとても疲れました。夜、萎縮している太ももの筋肉が膨らんできた夢を見ました。目が覚めて手で触ると、太ももがチクチクと膨らんでいる感じがしました。体の辛苦にうち勝って煉功を続けていくようにと、師父が私を励ましておられたのだと思います。

 学法を通して、自分の人生がこんなに苦しいのは、業力のためだと分かりました。そして、この世に生まれた目的が何なのかも分かりました。修煉のためです! 師父は私の業力を多く分担してくださいました。師父の苦心の按排のおかげで、私はようやく現世に生まれて幸運にも大法修煉に入ったのです。

 私の体はとても鈍感なので、学法や煉功をしてもほとんど何も感じませんが、私はひたすら煉功と学法を根気よく続けました。

 生まれてからの一連の不思議な出来事から考えて、自分の人生は修煉のためにあるということを私は固く信じています。そうでなければ、師父が私にこれほど良いもの、学歴、名利、財力をくださるのは、何のためでしょうか? また、自分の命とすべては師父がくださったもので、しっかりと師父を信じて修煉しなければ、私自身も存在しなくなります。師父の「病業に関する経文を私は繰り返し読んで、心性が高まりました。修煉の決心を見て、師父は私の体の業力を消去されはじめました。

 体が浄化される中で、私の歯の痛みは8カ月ぐらい続きました。痛くなって12カ月の頃、私は我慢できなくて鎮痛剤を飲みました。しかし飲んだ後、痛みが軽減したどころか、半分の歯冠が強く噛み締めたため折れました。それで、修煉を決心した以上、具合が悪いと薬を飲む常人の習慣を変え、苦痛に耐えなければならないという道理がよくわかりました。それから体の具合が悪く、どんなに辛くても、私は耐えて薬を飲まないようにしています。辛抱している中で、過去の体の様々な不具合は、知らず知らずのうちに、いつの間にか消え、歯の痛みが止まった時、私の体はかつてない軽やかさを感じました。

 隣人は私の元勤め先の同僚で、医務室に勤める医者です。煉功して健康になった私を見て、彼女は他の同僚に「○○さんは法輪功を煉功して体がよくなりました。おかげで私まで漢方薬の匂いに悩まされることは無くなりました。以前、彼女は毎日のように漢方薬を煮ていたので、我が家まで匂ってきました」と言いました。彼女の話は元勤め先で大法の宣伝になりました。

 修煉して15年来、私は一粒の薬も飲んでいません。これも世の奇跡といえるでしょう。だんだんと以前の喘息、寒がり、全身に走る寒気、頭痛、不眠症、各臓器の不具合、むくみなどの症状は消えて、私は若返って皴も消えました。心の中は明るい希望に満ちて、いつもにこにこしています。私の歩き方は、ほとんど引きずるようには見えなくなり、大法修煉の不思議な効果が私の身に現れました。

 20007月、公園にいた私は連行されて派出所に入れられました。私が警官に修煉した後の心身の変化を教えると、聞いた後に彼は「それは神様が段取りしてくれましたね」と言い、翌日、彼は私の釈放手続きのために、派出所と公安支局の間を奔走してくれました。結局、24時間以内に私は釈放されました。

 20074月、私は密告されて地元の派出所の警官Aに留置場に入れられて、15日間拘禁されました。私は「決して留置場で迫害を受けない」と発正念をしました。彼らは私に肉体労働をさせず、15日間、私は自由に室内で煉功し発正念をして、周囲に真相を伝えました。私が連行された当日に、警官Aの報告を聞いた派出所の所長は、良心にさいなまれ、夜中に我が家に電話をして何度も謝り、家族の許しを乞うたことを、出所した後、家族から聞きました。

 2009年、某資料点が破壊され、私も巻き添えで逮捕されました。警官Bは元勤め先に行って私の状況を調べ、中国共産党の党員ではなく、足に障害を持つ私が会社の某重要部門の元責任者だったことを知りました。彼は好奇心を持って私に聞いてきたので、私は幼い時から今日までの経歴を彼に全部話しました。「私は幼い時からずっと神に護られています。それはほかでもなく法輪功の神です。あなたたちは、神様が護っておられる人間を迫害してはいけませんよ。直ちに私を釈放していください」と言いました。彼は翌日、私を釈放し、車で私を乗せて家に帰らせました。 

 (続く)

 (明慧ネット第10回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/11/22/282155.html)
 
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