文/四川省の大法弟子
三、師父と大法をかたく信じて、大法を実証する
修煉を始めてわずか1年半の時、中国共産党の迫害が気が狂ったように始まりました。地元の修煉者はほとんど私と同じ時期に大法に入りましたが、突然迫害に遭い、しばらくの間みんなは茫然となって何の反迫害行動も取っていませんでした。集団煉功点がなくなってから私は家で毎日煉功と学法を続け、知り合いに法輪功の良さを伝えました。中国のメディアがどれほど法輪功を攻撃しても、私はその嘘を信じませんでした。法輪大法は素晴らしい、師父は偉大で慈悲なる神だと私はかたく信じています。
1.真相資料を送り届けて、配る
2000年の後半から今まで、私は出来る限り真相を伝える事をやっています。師父に恩返しをして衆生を済度したいと、自分のもっているもの(経済面も体力面も)を尽くして出来る限りのことを行なっています。
長期にわたり同修のために資料を送り届けていますが、私にとって階段の昇り降り、乗車下車は楽なことではなく、資料が重い時はなおさら困難でした。困った時、師父に助けを求めたら、なんと、かばんが本当に軽くなった経験が何度もあります。師父は見えない空間でかばんを持ち上げてくださいました。私はただかばんを手に持っただけです。師父の手助けがなければ、あんなに重い資料を運ぶことは、私にとってまったく不可能なことでした。
外出する時に私はかばんに常に真相資料を入れています。迫害が始まった最初の数年間、よく夜出かけて資料を配り、私の住んでいる町を満遍なく歩き回りました。街頭の至る所に監視カメラが付けられてから、私はやり方を変え、主に昼間に市場に行って資料を配ります。ここ2、3年、バスに乗って近くの農村の市場にも行っています。配ってから私はしばらく市場に残って、買い物のふりをして市場を回り、捨てられた資料を拾って再度配りました。
私は歩くのが遅いので、安全を考慮して、私と一緒に真相資料を配る同修はいません。これはちょうど注意力を発正念に集中できるため、数年来、比較的順調で妨害にも遭っていません。毎回配る時、私は『洪吟』を心の中で何回も何回も暗唱して、配る過程でしきりに発正念をしました。
「真相紙幣」のプロジェクトが開始されてから、私は毎回の買い物にも真相紙幣を使っています。長年の間、真相紙幣を受け取ることを拒んだのは2人しかいませんでした。ほとんどの人は内心から法輪功を嫌うのでなくて、ただ中国共産党を恐れて法輪功の真相を受けとる勇気がないだけです。14年もの間、大法と師父のご加護のおかげで、私は安全かつ順調に真相を伝えてきました。
2.転んでも怪我しない奇跡
2001年冬のある夜、私は家の近くで幅が約0.7メートルしかない狭い路地に真相資料を配っていました。路面はでこぼこで石ころやセメントのプレートが散乱して、街灯も点いていませんでした。その時、私は片手で買い物をした酒を持ち、片手で建物の扉の隙間に真相資料を入れていきました。
突然、踏んでいた足元のセメント板が反って、私は「ギャー」と悲鳴を上げながら倒れました。しかし、倒れた瞬間に綿で作った敷布団の上に落ちた感じがして、ゆっくりと、ふわりと地面に座る姿勢で倒れたのです。私の悲鳴や酒の瓶がセメント板に落ちた時の音を聞いて確認のために戸から出る住民はいませんでした。意識が戻ってから、さっき転んだ時の心地良さからみれば、自分はきっと怪我はしていないと分かって、私は素早く立ち上がってそこを離れました。
大きい通りに出てやっと落ち着きました。真冬でしたが、全身に汗をかいており、寒さを感じませんでした。どこも怪我をしておらず、なんとお酒の瓶も割れていませんでした。以前にも転んだ経験がたくさんありましたが、今回のような心地よさは一度もなく、本当に忘れ難い経験でした。それは師父が無辺の神通力を使って私を守ってくださったのだ、と私は分かりました。
2008年2月のある夜の7時頃、私は同修の家へ行こうとして家を出たとき階段から落ちて転び、階下の家の鉄製の扉に「ドン」とぶつかりました。階段に面している壁には多くの鉄パイプが付いているので、本来、階段から落ちる時、私は間違いなくパイプに直撃していたはずです。直撃すると、頭はきっと重傷を負います。しかし、その日にどのように転んだか、後になっても全然思い出せませんが、私は鉄製の扉に「ドン」とぶつかりましたが、どこも怪我をしておらず、痛みも感じませんでした。師父が守ってくださったと感無量でした。立ち上がって自分の家に戻り、私は家族に何も言わずに寝ました。
翌日起きて全身をチェックしましたが、どこにも怪我はなく痛いところもありませんでした。
朝の煉功が終わって学法をする時に、息子が「お母さんは毎日午前に出かけていますが、きょうはどうしてまだ家にいますか」と聞くので、「昨晩階段からおちて転んだので、きょうは少し休みたいです」というと、息子は「あれはお母さんだったのですか。昨晩、まるで巨大なトウガンが鉄の扉にぶつかったような音を聞いて、びっくりしました」と言い、主人も「あれ? あれはあなただったのですか」と言いました。私は主人に「では、あの時あなたはどこにいましたか」と聞くと、主人は「あなたがぶつかったあの家でマージャンをしていました」と言うのです。「では、どうして転んだ人の様子を見に出なかったのですか」というと、「あの家にいた皆さんは転んだ巨大な音を聞いて、その後何の音も聞こえなくなったため、転んだ人がきっと死んだと思いました。今の中国では、人を助けて濡れ衣を着せられる冤罪がとても多いので、誰が大胆に扉を開けて余計な世話をしたい人がいますか」と答えました。聞いた私は心まで冷えて、「今の世間は、道徳がここまで壊れてしまい、死に際の人さえ救助しません。やはり私の師父が最も良い人です! 師父は危機の中で、怪我一つさせないで命を助けてくださったのです、りがとうございました!」と思いました。
翌々日に、買い物をする時に隣人たちと会うと、彼らは「もう家を出ているのですか、もう少し静養したほうが良いですよ」と言います。私は「法輪功修煉者には師父のご加護があるので、怪我はしていません」と言い、今回の転倒で隣人たちに再度法輪大法の素晴らしさを見せました。
3.火事を通して、多くの人に真相を分かってもらった
2001年の下半期、地元では法輪功に対する迫害がエスカレートしました。元勤め先の人と町内会が家に来て、私に修煉を止めるように、保証書を書くように説得しようとしました。私は彼らに真相を伝えて、「決して保証書を書きません」と意思表示をしました。彼らはそれから定期的に我が家に来ますが、私の行動を制限しないので、私はずっと真相資料を配っています。
2002年新年の時、室外でガスパイプの溶接工事が行われていることを知らずに、私は厨房でコンロに火を点けたとき、突然厨房の壁に取り付けたガスゲージが爆発して、階上階下の他の6世帯のガスゲージも同時に爆発しました。6世帯のガスゲージは低い場所に取り付けていたため、すぐにゲージを回してガスを遮断できたのですが、我が家のゲージは高い場所にあったため、手が届かず水をかけることもできないし、見る見るうちに火が激しくなりました。
消防車2台が来ましたが、通路が狭いため我が家に近づくことができませんでした。暫くの間、私は頭が真っ白になって、何の対策も取れませんでした。最後に私は椅子を持ってきて登り、ガスゲージを閉めました。猛火は瞬時に消えて、大きな災害を避けることができました。
(続く)