法を学んで心を修め、恨むことなく憎むことなく人を救う
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2016年10月21日】私は1998年の元旦に、法輪大法の修煉を始めました。万年にも得難い宇宙大法に出会うことができて、比類ないほど幸運だと思いました。行く所どこでも大法を広めました。現在までどこに行ってもすべての場所で法輪功真相を伝えています。

 残酷な迫害は17年にもなりますが、私はずっと師父を信じ法を信じて歩んできました。師が法を正すことを手伝い、先史の誓約を実現させています。出遭った関は数えきれない喜びと多くの悔いを残しました。これから自分が体験したこと、学法して心を修め、慈悲をもって世人を救い、師父が法を正されることを手伝う中での、わずかな事例を書き出して同修と切磋琢磨したいと思います。

 一、学法して心性を修め 内に向けて探す

 師尊は「大法弟子は自分の道をきちんと歩き、三つのことをしっかりと行うには、法をよく勉強し、法の勉強に真剣に対処しなければなりません。衆生を救い済度し、法を実証する中でよく行ない、大きな変化を成し遂げた地区では、そこの皆さんはきっと法をしっかりと勉強しています。個人の向上が速い大法弟子は、必ず法の勉強を重視している弟子です。法が基礎であり、大法弟子の根本であり、すべての保障であり、人から神に向かう道であるため、私はオーストラリア法会のこの機会を借りて、全世界のすべての大法弟子に教えます。つまり、古い学習者であれ、新しい学習者であれ、忙しいからといって、法の勉強を決しておろそかにしてはいけません。法の勉強は形式的なものになってはならず、精神を集中して勉強し、本当に自分が勉強するようにしなければなりません。この面の教訓はあまりにも多くありました。皆さんが最後の道をしっかり歩むことを期待しています。未来の現れはもう遠くはありません」[1]と説かれました。

 修煉を始めたばかりのころは、仕事と家事に忙しかったのですが、毎日夜の煉功と集団学法は堅持しました。当時の法に対する認識は感性からの認識にとどまっていました。共産党が歴史に前例がないほどの残酷な迫害をしたとき、党は私の行政指導の職務を取り消し、清掃と集配の仕事に替えました。私は楽観的な性格なので、学法の時間が増えたと思い、『洪吟』と『精進要旨』を読み始めました。2006年から『轉法輪』を暗唱し始めてから10年間中断したことはありません。

 法を覚えることで、恐怖心と多くの執着心を取り除き、自分の責任の重大さを悟り、正念はますます強くなりました。ただ個人の修煉をするために人間になったのではなく、本当の目的は師父が法を正されることを助け、衆生を救い済度することだったのです。

 共産党のいわゆる敏感日の時期、私は主な監視の対象にされ、610弁公室は私の職場の正面玄関に車を停めて交代で監視し、職場にも専任者を手配して監視しました。しかし私はそれらを心にとめず、縁があってこの仕事をしているので、すべての人に法輪功の真相を伝え、資料を渡し、仕事が終わってからは正々堂々と正面玄関から出ました。警察の車が玄関に停まっているのを見て通り過ぎる時に、「どの車がまだここに停めているのか」と車のドアを開けてみました。警察はとても驚いてすぐに車を発車させて逃げました。それから車を正面玄関に停めることをしなくなりました。

 私は以前の同修をあちこちに取り戻しに行きました。同修には学法を堅持して、表に出て真相を伝えようと励ましました。集団で学法する場所がないなら私の家で学法しようと、日曜日と祝日に同修たちと約束して、郷鎮に行って真相を伝え三退を勧めました。私はずっと面と向かって法輪功の真相を伝え資料を渡しました。ある時は1日に60~70人が三退して、効果はとても良かったのです。

 オリンピックが中国で開かれたとき、国安の人が職場にきて騒ぎ立てたことがありました。頻繁に警察官が来て圧力をかけました。ある日2人の警察官がすごい勢いで事務所に押し入って来ました。敵視する心理とまったく善がない様子が見て取れました。私は慌てずうろたえず、微笑みながらかれらに座るように言い、お茶を入れて、「何かご用ですか?」と聞きました。彼らはあれこれ聞き、私にノートに何か書くように言い、写真を撮ろうとしました。私はかれらに撮らないように言いましたが、まったく聞く耳を持ちませんでした。彼らが何を聞いても気にせず、ずっと真相を伝えました。「中国共産党は西から来た幽霊で、これまでの政治運動で良い人を害し、死なせた国民は8千万人にもなります。伝統文化を破壊し、無神論を宣伝し、人類の道徳、社会の気風に変化をもたらしました。人々の道徳を悪化させ、安心して口にできる食べ物はなく、官僚の欲深さは蔓延し、偽の天安門焼身自殺事件をでっち上げて人々を騙し、世人を毒害しています。宇宙には成住壊滅があり、人間には生老病死の天理があります。人間が正さなければ天が正します。昔の先哲たちは各種の予言をしました。釈迦牟尼が言った転輪聖王、『聖書』のなかの王の中の王、劉伯温の最も上の主が宇宙大法を伝え衆生を救い済度することを待っています」と、たっぷり2時間話しました。彼らは真相がはっきり分かり、先ほど撮った写真をすべて削除しました。作った記録もすべて破りました。また礼儀正しく、「すみませんでした。お邪魔しました」と言い、その中の1人は三退しました。もう1人はそれ以来国安大隊から離れました。私は法に基づいて、何かあれば正念を持って対応し、内に向けて自分を探すことが出来ました。

 定年退職した後、私は別のところに住み始めました。ある時用があって職場に行ったときに、同修の家によってみました。門に入るとすぐに彼女は頭ごなしに私を非難して、「あなたは以前ここにいた何々さんでしたよね。もうその電話機は使っていますよ。なのにあなたはまだ自分が買ったものだと言って、どうしてもそれを出させようとするなんて、とても悲しい」と言いました。濡れ衣を着せられた私は非常に悔しい気持ちになりましたが、突然師父の法を思い出し、すぐにこれは私の心性を高めるためのものだと悟りました。その時私はとても冷静で、たとえ無実の罪を着せられても恐れずに自分を探しました。

 どんなことも偶然はありません。必ず自分の良くない心と執着があるはずです。私は微笑みながら言いました。「それは違いますよ。あの日同修に電話機を持って行くようにと言ったのです」。彼女は私にききました。「この電話機は誰が買ったの?」 「私が買いました」と答えました。彼女は、「彼女たちはあなたがどうしても取り戻そうとしていると言ってたわよ」と言いました。私は彼女たちの誤解を是正しようとしました。私は「大法を実証することはやるべきです。私たちの一切は全て師父が与えて下さったものです。あなたのものだとか私のものだと分けてどうしますか」 「取り戻そうとはしておらず、私はとっくに彼女たちに持って行くように言ったのです。彼女たちは、たくさん家に置いたら安全ではないと言っていたので、便利に利用できるように私のドアの鍵を渡しました」というと、彼女たちは「皆あなたが家にいない事を知っているので、他の人が私たちを見たら泥棒と思われるでしょう」と言いました。現在彼女たちは電話機の問題が出たのでやっと持って行ったのでしょう。ある同修は持って行ってから、言う事が変わってきたのです。私は落ち着きながらこの話を終えて、同修からの非難に「以前のあなたはそのような人ではありませんでしたが、今は黙々とたくさんの事をこなせるようになって、どうしてそのように出来るようになったのですか?」と言いました。 

 家に帰って、私は内に向けて探しましたが、見つかりませんでした。その後新しい電話機を買ってから、自分の「私心」を探し当てることが出来ました。当時、電話機を買うときに一緒に2台買いました。1台は私たち同修3人で各自数百元を集めて買いました。それを同修に持って行って使うように言い、もう1台は私が自分でお金を出して買いました。彼女たちに何度も持って行って使うように言いましたが、家に置いて使えば便利だと思って、自分も自主的にに持って行こうとせず、彼女たちが持って行かないのなら、もういい、自分が帰ってからも使えるしと思いました。自分の「私」の心を探し当てました。学法を通して法に基づいて、名利などを淡白に見るようになりました。以前のように冤罪に遭うと顔が赤くなるほど怒って首に青筋を立てるようではいけません。以前は数日経ってもまだ人を恨む気持ちがありましたが、今は人を恨む気持ちはなくなり、反対に人に感謝する気持ちが出てきました。心性を向上させる機会を提供してくれて、そのおかげで昇華出来たのです。

 二、集団学法の環境を大切に 同修間で互いに圓容する

 師父の『二〇一五年米国西部法会での説法』を学んで私は涙を流しました。師父は私たちのために数えきれないほどの苦を担ってくださいました。師父は弟子に急ぐように言われましたが、私たち多くの弟子はまだ急ごうとせず、多くはまだ家に隠れてこっそり学んでいます。大法から恩恵だけを受けようとしており、大法に代価を払おうとしません。私はまだたくさんの心を捨てていないと気づいています。集団学法の環境を固めておらず、とても焦っていました。毎日外で真相を伝えていますが、地元の同修に出会ったことはなく、外地から来た同修ばかりで、幾日か接触してまたどこかへ行ってしまいます。私は師父に、地元の同修が見つかるよう、集団学法が出来るようにご加持を求めました。

 それほど日が経たないとき、師父は同修が見つかるように按排して下さいました。それから私たち2人は午前は真相を伝え、午後は一緒に学法しました。同修はもともと往復5時間をかけて外に出かけて学法しに行っていました。彼女はもう70歳で、夫は半身不随で一日中ベットに横になっているので、彼女の外出が長くなったとき喉が渇いてどうしようもなく尿飲んだことがありました。彼女は師父の按排に非常に感謝していました。私が彼女の家に行って学法出来るからです。その後私はここで以前たくさんの人たちが大法を学んでいたことを知りました。共産党が迫害してからその環境がなくなってしまったのです。私は彼女と一緒に以前の同修を探すことにしました。学法していくうちにだんだんと同修が増えてきて、多い時には8、9人で2回学ぶことができました。ある同修は学法と真相を伝えることが良く出来ていて、法に対する信念が固く、ある時は派出所で真相を伝えて十数人が三退しました。その同修の性格は率直で、何かあればストレートに言う、せっかちな人でした。はじめは慣れませんでしたが一緒に学法して1年がたち、私はたくさんの執着心を取り除き、互いに圓容することが出来ました。

 師父は、「修煉に漏れがないとはどういうことでしょうか? 小さいことはありません」[2]と説かれました。あることはとても小さいことに見えても、うまく圓容しないと大きなトラブルを引き起こします。ある時同修が私に数百元ある真相紙幣の中の1元を字が多く使いにくいと突き返してきました。その中にはまだ1束95元の字が多いものがあって、私は持ち帰って考えました。突き返されてもまた新しく印刷することはできないし、どうしたらいいのか? それなら私が自分で使うことにして、同修に多くを頼まないことにしようと思いました。私は彼女に字が少ないのを渡して、字が多くて使いにくいのは私が使うことにしました。1束95元ですが100元にするように5元を補いました。使い終わってから私は同修に100元を返しましたが、彼女はそれがもともと95元だったと言い、私に5元を返してくれました。このような事にあって私は悟りました。同修の間は相互に圓容すべきであり、不足があれば黙々と補うべきです。

 8月、資料を管理している同修の家に行きました。真相紙幣がなく、ある日の昼の2時ごろ、同修が気温39度の酷暑の中、自転車で3人の同修の家に行って真相紙幣を探し回りましたが、ありませんでした。私はそれを見てとても心が苦しくなりました。同修が行ってから私はすぐに知っている外地の同修と数千元の真相紙幣を持って行き、この問題は解決しました。師尊は弟子に互いによく協力し法を重視するようにと要求されており、同時に、同修との間も互いに圓容出来ました。

 集団学法では毎回心性を向上させる機会がありました。どんなことにあっても考えなければいけません。数日前にもある事がありました。小グループでの学法で同修らが私を見て「彼女はもしかして私たちに接触してからやっと真相紙幣のことをやり始めるのではないか」と言われました。私は微笑みながら淡々と言いました。「それは違います」と多くは言わず、心の中はとても落ち着いていました。実際私は毎年数万元の真相紙幣を使っていて、その内150元を除くほとんど全てが真相紙幣です。ある時は肉を買うときに使いました。私は家に帰ってからいかなることも偶然ではないと考えました。同修はこの事を知らないので、そのように言ったのだと思い、私は落ち着いて自分を探しました。自分が人より上だと思う心と顕示心を見つけました。

 それから私のこのような執着を見つけて同修と切磋琢磨しました。同修も自分の執着心を見つけることが出来ました。似たようなことは何度もあり、その中で私たちは向上できました。集団学法を通して、たくさんの執着心を削り取ることが出来、標準語で法を学ぶことが出来るようになりました。学法の時に両足を組み、法を学び終えてから足を崩します。同修と互いに協力し圓容しました。同修は自分を写す鏡であると悟りました。師父が按排して下さった我々の集団学法の環境を大切にしなければいけません。特に正法が最終段階に入り、人心を放下し、早く向上できるように時間を大切にして多くの人を救い、法を用いて一切の物事を正しく見るようにしましょう。

 三、怨念を放下し、慈悲をもって世人を救う

 迫害が始まったころ、至る所に邪悪が満ちていて、受けた圧力は想像を絶するものでした。私は残酷な迫害によって、免職に追い込まれ、不当に拘禁され、労働教養を科され、洗脳班に送られ、家財を没収されました。しかし少しも恨む気持はありませんでした。反対に私を迫害する人はとても可哀想だと思いました。私はいつでもどこでも真・善・忍に従って自分に要求してきました。仕事の職責を全うし、上司と同僚から理解を得ました。大法弟子の慈悲と善良を実践し、忍耐しました。2001年のはじめ、職場のある同僚が私に別の同僚とのトラブルについて話してきました。私は彼女に「同僚と一緒になったのは縁なので大切にしましょう、少し損をしても反対に福があるので、耐えてみましょうよ」と言いました。彼女は「忍ばかりして、人にそのようにされてもまだ忍をするのですか。法は本当に良いものですか?」と言いました。私は真・善・忍は本当に良いと言いました。それから彼女はすぐに私が言ったことを局の書記に報告しました。この事で私は半年刑務所に入れられました。帰ってきてから事務室で働きましたが、私は何の恨む心もなく、依然として彼女に姉妹のように接しました。上司たちはみな、「あなたはなんと善良な人でしょう。人に害されて半年も刑務所に入れられたのに、まだ彼女にそんなに良くしてあげて・・」と言い、もう1人の上司は、「あなたは本当に徳をもって恨みに報いています。とても慈悲深いです」と言いました。

 仕事場に中級幹部の張さんがいました。彼はとてもたくさんの悪いことをして2002年に亡くなりました。私は彼の妻に会って真相を伝え、三退を勧め、彼女を救いたいと思いました。ある時張さんの妻は私を国安に言い付けました。国安の人には以前真相を伝えたことがあったので、すでに大法が素晴らしいと知っていて、安全に注意するように私に言ってくれました。2011年、張さんの孫が髄膜炎になりました。省の人民病院に入院することになり、高熱が9日経っても下がりませんでした。張さんの妻は私を探して、医者にもう治療できないと言われたといい、私に何か方法はないかと聞いてきました。私は「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」を念じるようにと言いました。また大法のお守りもあげました。半月後彼女は私に「孫は良くなりました。医者はこんなことは今まで見たことがないと言い、奇跡の中の奇跡だと言いました。来るたび笑い、普通の人と同じようになりました。本当にとてもあなたに感謝します」といいました。私は「私に感謝するのではなく、師父に感謝すべきです。師父があなたの孫を救って下さったのです」と言いました。このような事を通して、彼女の家族や親戚たちは皆遠くからでも積極的に挨拶してくれるようになりました。それから彼女の家族みんなに三退の手続きをしてあげました。彼女の息子とその嫁は三退してから大きな福報を得て、県の市庁に異動しました。

 ある時、職場の同僚の両親が病気になってしまい、私は仕事が終わってから大法の資料と、お守りと真相ディスクを持って彼の家に行って真相を伝えました。彼らのために三退をさせたあと、彼の両親の高血圧と心臓病は全て良くなりました。私は慈悲に基づいて正々堂々とやり遂げました。私の職場の上司と同僚、退職者や定年した人も含む彼らの家族も皆三退しました。お守りを贈り、『共産党についての九つの論評』を渡し、真相ディスクを彼らにあげました。

 以上のことはすべて師父が下地を用意して下さったのです。私はただその道を走り続け、口を動かして話しただけで、全ては師父がなさっておられるのです。正法は最後の段階になり、さらに良く行わなければいけません。さらに多くの衆生を救います。

 以上、不足の部分があれば同修の慈悲なる叱正をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』「オーストラリア法会へ」
 [2] 李洪志師父の経文:『二〇一五年米国西部法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/10/3/335820.html)
 
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