内に向けて探せば、問題がなくなる
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文/山東省の大法弟子

 【明慧日本2016年7月14日】今年の4月末、地元の警察は村の治安管理人と一緒に「XX組織を利用して社会の治安を乱す」という理由で私を強制的に連行して10日間拘束し、強制的に写真を撮り、指紋を採取し、調書にサインさせようとしましたが、私は断りしました。そして、私は麻薬中毒の人と一緒に収監されました。私は彼女たちが「縁」がある人だと思うので、大法の真相を伝え、三退させました。私は師父の『洪吟』の中の詩や、それと関係がある法を教えました。彼女たちは、ずっと師父のことを褒めました。「師父は本当に偉いです! 私たちはここから出たら、絶対に真・善・忍に従って、よい人になります」と言いました。

 拘束された中で大法に恥をかかせるようなことはしませんでしたが、拘束されることを認めるべきではありません。これは旧勢力が私の隙に付け入ったのです。私は家に帰ってから今回の拘束の件について深く考えました。内に向けて探すと、自分の不足がたくさん見つかりました。お金に対する執着、家族に対する執着、不満の心、怨恨の心、面子を気にする心、闘争心、嫉妬心、同修への怨恨の心は、今でも放下していません。

 それは2013年に起こりました。資料を配る同修が突然の用事のため、他の所に行かなければならないと私を呼び出して、しばらく彼女の代わりに資料を配らせました。1カ月に4回もありました。そして、彼女は帰ってきた時、私に400元の真相紙幣を求めました。私はびっくりしました。なぜなら、私は真相紙幣を見たことが一度もなかったのです。私たちは資料を渡してくれた同修の所に行って、このことについて尋ねました。その同修は私に渡した資料の中に400元の真相紙幣も入れたと言いました。真相の紙幣は10元、5元、1元だったそうです。しかし、私に資料を渡してくれた同修は私にこのことを教えませんでした。私も確実に真相紙幣を見たことがありません。私は資料を持って帰る日に資料を他の同修に渡しました。その時も真相紙幣は見ませんでした。

 私はこのことが怪しいと思い、グループで学法する時、同修たちと交流したいと思いました。そのため、もう一度このことに言及しましたが、結局、同修から私の家庭条件が悪く、お金に不自由しているので、私がこのお金を使ったと言われました。私は悔しくて慟哭し、強い怨みの心が生まれました。あなたたちはなぜこのように私のことを思うのですか? 確かに、私の夫は多く稼ぐことができず、私も仕事がありません。しかし、師父ははっきりおっしゃいました。私は修煉者として、どれほど貧しくても人を救うお金は使いません。同修たちは私のことを疑い、信じないので、私は同修たちを怨みました。ある同修は「お金がなければ、私が立て替えてあげましょうか?」と私に言いました。私は「要りません」と言い返しました。常人の理でも他人のお金をなくせば、自分で返すべきです。私は同修に400元を返しました。しかし、心の中ではずっとくよくよ気にしていました。

 ある日、ある同修が私を家まで呼びに来て、「あなたは本当にお金を使っても大丈夫ですよ、お金を出して、これからよく修煉すればいいのよ」と私に言いました。彼女まで私を疑っていると思うと、私はまた耐えられなくて慟哭しました。私はどうしても自分の名誉を取り戻せないのだと思いました。同修は私の悔しそうな様子を見ると、「私たちはいままでの修煉が無駄にならないように、本当に使わなくても怨まないでください。韓信のことを思い出してください。彼は股くぐりの恥をも耐えました。あなたはこのような小さなことも乗り越えられないのでしょうか?」と私を慰めました

 同修の話に私をはっとしました。これは師父が私の常人の心を消すために、設けられた関です。私はなぜ乗り越えられないのでしょうか、私は常人の心を放下すべきですが、できませんでした。それから、同修たちと一緒に学法する時、同修たちはまた妙な目で私を見るので、もっと強い怨みの心が生じました。また、私は面子を気にする心、闘争心があります。濡れ衣を着せられたと思って、同修たちとも付き合いたくなくなり、同修からの非難を許すことができませんでした。

 以上のことを顧みて、今回の拘束のことについて考えました。私はまだ怨む心があるので、忍が足りません。矛盾にあった時、内に探すようにと師父は教えてくださいました。たとえば「不愉快なこと、機嫌を損なうことに遭ったとき、個人の利益、自我が刺激されたとき、内に向けて見ることができ、自らを修め、自分の漏れを探し、トラブルの中であなたが間違っていなくても、『分かった。きっとどこかに間違いがあった。本当に間違いがなくても、以前の借りを返しているのかもしれない。正しく行い、返すべきことを返す』とこのようにします。絶えずこのような問題や出来事に遭い、絶えず自らを修めるのです」[ 1] 

 私は豁然と悟りました。修煉者は出逢ったすべてのことが偶然ではありません。必ず自分の修煉と関係があり、心性を高めるべきです。しかし、この関を私はよく乗り越えることができませんでした。そのため旧勢力に隙に乗じられたのです。

 これらの執着を見つけて、怨恨の苦しみから解放され、すべての重荷を放下しました。体もよくなり、同修にも寛容になりました。師父のご指導に感謝します。同修の助けに感謝します。

 注:
 [1] 李洪志先生の著作:『大法弟子は必ず法を勉強しなければならない』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/6/22/330318.html)
 
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