観念に妨げられないように
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文/中国山東省の大法弟子

 【明慧日本2016年8月30日】先日、毎朝の煉功時に疲れを感じ、法輪椿法の際は両手に1㌔ほどの重石がのしかかっているように感じ、四式の功法を煉り終えると、両脚と足の裏が痺れで痛くなり、汗だくになりました。私はすでに20数年間煉功してきた古い弟子で、今まで一度も早朝の煉功を欠かしませんでした。なのに、なぜ今になって煉功初期の状態が現れてきたのでしょうか?

 グループ学法の時、同修たちとこの件について交流しました。一部の同修は同じことを経験していると言うので、私は「それなら、これが共通現象だ。正法時期の最後の最後に来ているので、師父は私たちが一日も早く業を返し、多く耐えるようにとのことだろう」と認識しました。認識が正しいかどうかは別として、師父が説法の中で、私たちの身に起きた良いことも悪いことも皆、良いことであることを思い出して、気にしないことにしました。

 2日前、グループ学法でこの話題が再び提起されて、ある同修は自分の異なる認識を述べました。彼はこのように言いました。「あなたは旧勢力の按排した道を歩んでいると思います。私もそのようなことを経験し、教訓を得ました。先日、煉功の際、あなたが煉功すると疲れるとの言葉を思い出して、私も突然両手が重くてならないと感じました。瞬時、私はそれが旧勢力の妨害だと気づき、すぐに正念でよくないものを排除すると、両手が軽くなりました。師父がその良くない物質を取り除いて下さったのだと思います。考えてみて下さい。私たちの功法は最初から百脈が同時に開かれるので、師父も『修煉は最も良い休みです。あなたが睡眠で得られないリラックスを得ることができます。煉功して疲れて、今日何もできないと言っている人はいません。煉功で体中が楽になり、一晩寝ていなくても眠くなく、元気いっぱいだということはあります』[1]とおっしゃっています。疲れると感じれば正常ではないと思いませんか? 私は一日の農作業を終えるとき、いつも全身に疲れを感じますが、煉功すれば疲れが全部取れます」

 同修の話に私は目覚めました。そうですね! 師父は説法の中で「われわれの宇宙には、自分の追求しているもの、欲しがっているものについては、他人はふつう干渉することができないという理があるので」[2]とおっしゃり、「あなたの一挙一動、一つの考え一つの念、彼らは全部観察しています」[3]ともおっしゃっています。私たちは法理を正しく理解しなければなりません。旧勢力は随時、私たちを虎視眈々と睨んでいます。彼らに隙に乗じるチャンスを与えてはいけません。

 翌日、早朝の煉功のとき、私は煉功しながら正念で自分に疲れを感じさせる物質を排除し、旧勢力の按排を否定しているうちに、疲れを感じなくなりました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『北米第一回法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [3] 李洪志師父の経文:『二〇一六年ニューヨーク法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/8/21/333283.html)
 
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