文/中国の大法弟子 清荷
【明慧日本2016年8月14日】大法を修煉してからまもなく7年になりますが、いまだに自分の修煉は形だけに留まっている気がします。内に向けて探しても根源まで辿ることができず、何かに遮られているような感じがして落ち着きません。最近になってやっとさまざまなトラブルの中で、真に内に向けて探すことが分かり、トラブルの根源を見つけて、執着心を放下する気楽さを実感しました。
以下において、家族や同修によって心性を向上させた出来事について述べさせて頂きます。優しいけど、家庭条件があまり望ましくない夫と結婚した当初、私は言動において彼を傷つけ、彼を軽視しながらも彼の優しさを享有し、それが当たり前だと思っていました。修煉後、彼に対する態度をある程度改善しましたが、うわべだけに留まっていました。半年前のある日、私がまたも人間の方法で彼の欲望に抵抗したとき、彼は怒り出して、私の修煉に対し誤解を生じました。当時の私は修煉においてダラダラして精進しておらず、私たちは冷戦状態に入りました。彼は私から遠ざかって、私を無視し、まるで別人のように変わりました。
トラブルを前にして、私は自分が修煉者であることを忘れて、内に向けて探すどころか、自尊心が傷つけられたせいで、考えることや目に見えるのは、全部彼の間違いや欠点ばかりでした。修煉者としてそうすべきではないと知りつつも、悔しくてなりませんでした! 情に動じた私は、その状態から突破しようとして、多く学法し、内に向けて探し、悔しい気持ちを放下して優しく彼に接していこうと努力しましたが、大きな改善は得られませんでした。
ある日、師父の説法が頭に浮かんできました。「もちろん、時に、努力してもだめだと皆さんが言うのですが、あなたの努力は単なるこの問題を解決するための努力なのでしょうか? あなたの修煉状態は本当にそこまで達したのでしょうか?」[1] 私はハッとしました。今までの自分は、まさに問題を解決するために努力してきただけであって、不平不満に思う心や怨む心を放任させていました。多くの学法や同修との交流を通じて、そして内に向けて探す過程でやっと気づいたのですが、彼からの今回のような刺激がなければ、自分が情にもろく、嫉妬心が強いことを認識できませんでした! 振り返れば、師父はたびたび夢や同修を利用して私に悟らせようとされましたが、私は悟るどころか、受け入れようともしませんでした!
自分の利己心及び常人の「情」への執着をはっきりと認識したとき、師父の説法に対する理解も深まりました。師父は「この情を断ち切らなければ、修煉することはできません。情から抜け出すことができれば、誰もあなたを動揺させることができず、常人の心があなたを動かすことは不可能となります。それに取って代わるものは慈悲の心であり、より高尚なものです」[2]とおっしゃっています。
実際、もっと前から師父の説法をきちんと理解していれば、常人の情に大きく動揺されることもなかったでしょう。恥ずかしい限りです! 師父の無辺の法理が衆生を苦しみから救い出すことができます。人間のものを多く放下出来たとき、私はより多くの喜びを感じるようになりました。師父に感謝致します!
大法を修煉して5年になる81歳の母は、私よりずっと精進しています。最初、母と一緒に学法するとき、小学校1年生レベルの母は、耳が遠い上いつも読み間違えたり、遅すぎたりしていました。私は焦りで怒り出し、途中で学法をやめてしまい、後で後悔したりしました。ある日、母は足を車に轢かれました。私は彼女の考えなど聞かず、6病院に行くことや注射を打つことを勝手に止めて、彼女のためだと言い張って、家族の誤解を招きました。それが修めることですか? 違いました! 当時の状態は本当に不思議でした! 今になって考えてみると、それが人間の情、中国共産党の党文化の影響による魔性、利己心、闘争心であって、善の心や親孝行など全くありませんでした。
母には8人の子供がいて、私は4番目です。以前、兄弟姉妹たちは母の面倒を多く見て来ました。最近はなぜか、誰も母の事を気にかけようとしません。私は母の面倒を多く見ているうちに、兄弟姉妹たちに対して不満を抱くようになりました。しかし、私が不満に思えば思うほど、彼らはますます母のことをほったらかしにして、何かが捻じ曲がっているような気がしました。その後、学法や同修との交流を通じて、私は自分が固守していた後天的に形成された良くないもの(情、嫉妬心、私心、不善、安逸心など)を見つけ出しました。法理から悟ったのですが、師父の法身はまさにこのような形を利用し、私に隠されている執着心を見つけ出して取り除くように按排されていました。
その間、同修からも「家族も円融できないのに、どうやって衆生を救いますか?」と鞭を打たれました。そうですね! 私は真に内に向けて探し、師父の「真・善・忍」の法理の要求に従い観念を改め、家族に優しく接するようにしてからは、捻じ曲がっているものも解けました。
師父はこう仰っています。「自分の本当の原因を見つけた時、逃げずにそれに目を向け、それを認めることができる時、情況がすぐに変わるとあなたはきっと気づくのです。トラブルがなくなります」[3]。本当にそうでした!
また、修煉以来、学法に対する信念が弛んだことはなかったものの、後天的に形成された観念や思想業の妨害を受け、学法はいつも形だけに留まっていて、真の学法ができませんでした。ゆえに、問題に遭遇すれば、法理が不明な私はつい常人の思想や言動で対応してしまいます。学法および内に向けて探すことを通じて分かったのですが、修煉者が見聞きしたことには偶然はありません。批判を聞きたくなく、指摘されることを嫌がるとき、まさに自分のよくない心が刺激され、その執着心を放下すべき時です。
やっと、師父から授かった「内に向けて探す」という法の力を実感しました。法をきちんと学ぶ上、真に内に向けて探すことが出来る時、心性が必ず向上します。師父から要求されている三つのことを良く実行すれば、必ず師父について家に帰ることができます! 師恩に感謝致します!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『二〇〇三年元宵節での説法』
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[3] 李洪志師父の著作:『北米第一回法会での説法』