魔難を恐れず 精進を怠けない
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文/中国の大法弟子 

 【明慧日本2015年5月29日】私は1995年に大法に出会いました。20年間の修煉の道を歩む中で、困難があり、転んだこともあり、難関もあり、苦しみや悲しみもありましたが、師父の慈悲なる済度、法のご加護の下で、幸運なこともあり、喜び、光栄、誇りを感じました。特に99年7.20以降、法を実証するために、私は三回陳情に行き、その度に不当に連行され監禁されました。しかし、師父の保護と加持の下で恐れる心を修め、断食で迫害に抗議し、何度もも正念で魔の巣窟(収容所)から脱出できました。修煉の過程で大法の威力と不思議さを体験できました。

 収容所で衆生を救い済度し、正念をもって抜け出す

 不当に監禁されていた期間中、留置場にしても、拘留所にしても、労働教養所にしても、私は時間と場所を問わずいつでも真相を伝えて衆生を救いました。多くの警官、受刑者が真相を知り三退をした人もいて、本当に救い済度されるようになりました。私は時には断食で迫害に抗議し、最長で1カ月断食をしました。断食の時、師父が説かれた辟穀の法を思い出すと、お腹が空いた、喉が渇いたなどとは感じませんでした。断食して5日目の日に、自分は断食するのが目的ではなく、外へ出て衆生を救い済度することこそが目的だと思いました。そう思った時、外から警官と所長の会話が聞こえてきました。警官は、「彼女はすでに断食して5日目です。このまま死んだらどうしますか?」と聞きました。所長は「彼女は死なない、明日すぐ釈放する」と言いました。翌日、私は解放されました。

 またある日の夜、警官は私を車で留置場から労働教養所に送りました。邪悪に操られた警官が目的を達することができないように、師父にお願いしました。省の労働教養所に着いて検査すると、血圧200を超え、血糖が正常の数倍、不整脈、高血圧、心臓病、糖尿病、てんかんも患っていると言われました。当時、私は昏睡状態に陥っていましたが、心でははっきりと分かっていました。結局、労働教養所に拒否され、戻ってから体がすべて正常に戻りました。

 魔難を恐れず、精進を怠けず、心性を絶えず向上させる

 私が不当に監禁されたり、家に帰れず各地で放浪生活を余儀なくされていた9年間、私が残酷に迫害されている状況を知った祖母、姑、兄、姉の4人は恐怖の中で相次いで亡くなり、私は彼らの死に目に会うことさえできませんでした。すべてが過ぎってから知らされたのです。一度に親戚を多く失い、心が引き割かれたような悲しみは骨身に沁みるほど苦しく、形容できないほどでした。さらに、夫は私が迫害され、家にいない間、私と離婚もせず、私に知らせることもなく別の女性と結婚しました。家に帰って周りに壁以外、何もありませんでした。私は悲しみと怨みに苦しめられ、どうしようもありませんでした。

 しかし、自分は法を正す時期の大法弟子であり、三つのことを行い、衆生を救い済度する責任があると分かっていましたので、まず大量に法を勉強し、暗記しました。師父の教えをしっかり心に銘じて、だんだんと心が落ち着いてきました。私は、魔難を精進する動力に換えて、心性が絶えず向上し、次元が向上しました。

 私は慈悲の心で夫と女性に接したため、彼らは感動し、真相を理解した後、三退して、救い済度されました。親戚と友人たちも、この件を通じて大法の素晴らしさ、大法弟子の慈悲、寛容、大きな度量と普通の人とは違う気質を目にして、相次いで真相を知り三退をしました。

 トラブルの前で内に向かって探し、新たな世界が開けた

 ある時、資料拠点の設備修理の問題で同修と考えが合わず、言い争ってしまい、トラブルが生じました。あまりに突然だったので、どうして同修は根拠もないのに自分を責めてくるのかと思い、心の中は不平と納得できない気持ちでいっぱいでした。顔が赤くなるほど同修としく言い争い、三つのことにも影響を及ぼしました。

 ある日、『轉法輪』の中の一部の法が頭に浮かんできて、師父が私の心性を向上させようとしてくださっていると分かりました! 気持ちが落ち着いて内に向けて探すと、自分のとても強い闘争心と深く隠れたメンツにこだわる心、他人に指摘されたくない心が見つかりました。自分の人心が同修とのトラブルをもたらしてしまいました。全部自分のせいだった、同修に謝るべきだと思いました。この時、同修も内に向けて不足を見つけました。お互い会った時にすぐ相手に謝って、トラブルが解決できました。まさに師父が『轉法輪』の中で説かれた、「われわれは、トラブルに直面した時、一歩引き下がれば世界が広々と開けると言っています」の通りでした。

 同修とのトラブルがなくなり、仲直りして、共に精進し、師父が法を正すことを手伝って衆生を救い済度する勢いの流れに溶け込みました。

 家族が恩恵を受ける

 迫害され家に帰った後、いろいろな困難を克服して、心を落ち着かせ、三つのことをしっかり行うように頑張りました。毎日法の勉強、煉功発正念を欠かさず、また半日の時間を固定して資料を作り、時に全体の大法の活動にも参加しました。

 家族を養うため、私は朝早くから夜遅くまで畑の仕事をしていましたが、一番気を取られたのは孫たちの世話でした。一番小さいのは幼児で、大きくても13歳にも満みたず、みんな腕白で、一緒にいればすぐに喧嘩したり、泣いたりして、学校の勉強も良くなく、叱ると私とまで喧嘩するほどでした。毎日散々追い込まれ、忙しくてどうにもならず、三つのことを行うことまで影響を及ぼしました。その後、大法弟子の子供は普通の子供ではない、みんな大法に出会うために来たので、常人の方法で教育してはならないと悟りました。それから大法の法理で子供たちを導き、師父の説法を聞かせて、煉功と発正念も教えました。大法の浄化で、子供たちはだんだん落ち着いてきて、ますます話を聞くようになり、放課後は宿題を終わらせてから、すぐに法を勉強して、煉功し、正念を発するように互いに促すようになりました。病業が現れたら病院へ連れていこうとしても、彼らは行かず、師父が自分の体を浄化してくれている、業を滅してくれていると言います。私が三つのことを行うことに影響しなくなっただけではなく、時に真相資料を配って真相を伝えることや家事を手伝ってくれて、みんな大法の子供弟子になりました。

 息子と嫁は修煉していない(その後、修煉を始めた)にもかかわらず、みんな私が大法を修煉することを支持してくれて、大法が素晴らしいと知っており、大法の要求に従って良い人間になるよう努めています。2012年夏、息子と嫁が市内へ出稼ぎに行き、二人は借りた平屋で休んでいたところ、近くの工場の高さ数十メートルの煙突が突然倒れ、息子たちがいる平屋にまっすぐ倒れてきて、瞬時に廃墟になりました。息子と嫁は倒れた家の下で、救出を待っていました。生きている二人を見て、人々は驚きました。潰されなくても、死ぬだろうと思っていたからです。結局二人とも無事で、僅かな傷もなく、ただ埃だらけで顔が弁別できないだけでした。息子が蛇口へ行って顔を洗っていると、他の人が、「普通ならお金を要求するところを、なぜ顔など洗っているの」と不思議そうに言いました。息子が「どういうことか私には分かっています。大法の師父が私を助けてくださったのです。お金など、いくらもらっても命には換えられません」と言いました。本当に一人が修めれば、家族全員が恩恵を受け、子供まで大法の恩恵を受けています。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/5/14/308709.html)
 
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