文/中国遼寧省の大法弟子 陳晨
【明慧日本2015年5月6日】
大法に出会い 至宝を得る
私は81歳です。1997年に法輪大法の修煉を始めました。まるで至宝を得たかのような気分でした。私は小学校までの学歴しかないのですが、法を学べば学ぶほど素晴らしいと思うようになりました。40代の頃から老眼だったのですが、今は老眼ではなく、はっきり見えるようになりました。読めない字も読めるようになり、『轉法輪』の一文字一文字がキラキラと金色に輝き、一語一語に心を打たれます。法を学んでいると、時々、食事を摂ることや寝ることも忘れてしまいますが、心がすっきりしていると感じます。
私は『轉法輪』を毎日少なくとも3講を学ぶようにしています。多い時は7講も読みました。そして、師父の各地での説法も学びます。『轉法輪』を学べば学ぶほど、この本が我々を修煉の道に導く本であると感じます。
もちろん、『明慧週刊』や真相週刊なども読み、三つのこともきちんとしています。
80年間生きてきて、私はやっと人として何をすべきかを知りました。私の生活は大法が第一位です。大法はすでに私の心に溶け込んでいます。今では、一日何も食べず、眠らずにいても、お腹は空きませんし、眠くもありません。三つのことを毎日行い、体は健康で軽く、歩く時は飛んでいるかのように感じます。
悪人が怖がる
法輪大法の法理はすべて頭の中にあり、師父は常に私のそばにいてくださっていると感じています。従って、私には恐怖心はありません。1999年7.20以後、邪悪が最も猛り狂っていた頃、学法グループがひどく妨害されたため、私の家で新たにグループを立ち上げ、同修たちと集団学法する場ができました。最初の6、7人から、最も多い時には30 人にまでなりました。時々家で交流会を開いたり、法輪功の資料やカレンダーなどを作ったり、大法の法器や消耗品を保管しました。
シールを貼る時や資料を配る時、人の多い場所や重要な場所、他の人が怖くてなかなか行かない場所に行くべきだと私は考えました。例えば、裁判所や、検察院の掲示板、弁公室など、私はこれらの場所にはよく行きます。そして、ある局の局長の家の門にまでシールを張ったこともありました。
ある日、真相のチラシを貼りに出かけた時、迫害の実態を知らない人に尾行されました。それに気づいた私は振り返って、真っ直ぐ彼に向かって歩いて行くと、逆に、相手は私に驚いて逃げて行ってしまいました。
またある日、私が横断幕を掛けていた時、公安局の警官が何人か来て、横断幕を引っ張って下しました。私は彼らの傍に立っているのに、私に気づかないかのようにそのまま立ち去ったのです。
新聞に掲載される「法輪大法は素晴らしい」「真善忍は素晴らしい」
家の近くに大きなスーパーが開店しました。開店前日、私はそのスーパーの正門の両側に「法輪大法は素晴らしい」「真善忍は素晴らしい」のシールを貼りました。翌日の開店祝いには、、中国共産党の幹部の演説や、様々なプログラムがあり、黒山の人だかりで、記者が写真撮影していました。さらにその翌日、新聞の開店に関する記事の中に、その「法輪大法は素晴らしい」「真善忍は素晴らしい」が掲載されていました。
退職したある幹部は迫害の実態を知ると、彼は自発的に自身の脱退を手伝ってほしいと私に頼みました。脱退後、彼は私の目の前で会社に電話を掛け、「来月から、私の党費を差し引かないでください。私はもう党員ではありません」と言いました。通話中、私は彼が公安局の人だと分かりましたが、怖くはありませんでした。むしろ、この生命が助かったことに喜びを感じたほどです。
強い正念を持てば 邪悪は何もできない
迫害が始まってから十数年経過、様々な困難を乗り越えて歩んできました。師父は常に私のそばで私を加護し、見護ってくださっているのを感じています。私は法を正す時期の大法弟子です。何事も恐れず、強い正念を持てば、衆生を救うという神聖で偉大な使命を果たすことができると認識しました。正念は法の中にあり、法を多く学び、師父と大法を信じ、そうすれば自ずと正念は強くなり、法の基準に符合し、その時、師父は加持して、そっと護ってくださり、邪悪は私を迫害することはできません。
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/4/19/149795.html)