文/中国の大法弟子
【明慧日本2015年4月26日】私が邪悪の黒巣から出てきてから、しばらく学法と煉功を経て、2013年5月、私は家の近くで守衛の仕事を始めました。ここの職場は、毎日、出勤する人、用事に来る人、設備のメンテナンスをする人、郵便物を届ける人、品物を運ぶ人、道を尋ねる人、お手洗いを探す人、会議に来る人、研修に来る人、面接を受けに来る人など、人の出入りが多いところです。この人たちを前にして、私はどうしたらいいだろう。彼らが自分の目の前を通り過ぎて行くのを見て、救わないでいられるだろうか? 人を救わなければ、それは大法弟子と言えるのだろうか? これらの事を考えると、私がすべき事はただ一つ、「人を救うこと」でした。
しかし私は「人々の中には、どんな人もいるから、もし悪いやつに通報されたらどうするのか。私は毎日ここに8時間もいて、しかも守衛の制服を着ている。もし通報されたら、逃げ道はない。道端で知らない人に話しかけ、すぐその場を去っていくのとは訳が違う。困難であるのは確かで、しかも危険性もある」と思いました。しかし、法を正す師を手伝う大法弟子は、これらの困難に怯むわけには行きません。この数年来、人を救う事は自分に取って、もう生活の一部になっており、私は一日でも人を救っていなければ、何か物足らないと感じていました。私は留置場に連行された時でも人を救い、邪悪の黒巣の中でも、変わらずに人を救っていたのです。私はこの職場でも同じように人を救うべきだと思いました。
人を救うには、まず出発点をきちんと正さなければなりません。それは法を正す師に手伝うことを一心にして、個人や私(し)のための考えを一切持たず、さらに自分をしっかり修めることでした。
1.通りすがりの人に三退を勧める
この職場に用があって来る、所謂通りすがりの人は、ほとんどの人が一回きりの出会いで、再び会うことは難しいです。このような人でも、私はけっして見逃すことはできません。例えば、品物を運ぶ運転手や荷卸しの労働者はそうです。このような場合、私は守衛所から出てきて、まず彼らに挨拶をして、「お名前は?」と聞きます。それから、「学校に行った頃、少年先鋒隊や共産主義青年団(このタイプの人はほとんど党員ではない)に入りましたか?」と聞きます。彼らは「入ったことはありますが、とっくに退きました。規定年齢を超えたからです」と答えます。
次に「あなたは三退で命を守ると言う事を聞いたことはありますか?」と聞くと「聞いたことがある」と答える人もいれば「ない」と答える人もいます。私は「今、三退することは人生の最重要問題です。それは皆さんの命に関わる問題だからです。退けば命が助かりますが、退かなかった人は将来1人も残されることはありません。あなたは規定年齢を超えて、団員ではなくなったと思っているようですが、しかし、あなたが入った時、獣印はすでに押されています。その印はあなたには見えないし、印を押されたこともあなたは知らないのです。退けば、その獣印は消され、あなたの命は助かります。ですから、三退をしましょう。命は一番大事ですから」と言いますと、彼らは、「そうなんですか? それなら退きます」と言います。そうすると、私は彼らの苗字を使って、偽名を作って三退をしてあげます。ここは人の出入りが激しく、しかも、私は車の誘導もしなければならないため、長い時間かけて話すことは出来ません。そうした場合、彼らは承諾さえすれば、私はすぐにその場を離れ、紙に彼らの名前を書き止めます。
毎日郵便物を届けに来る人、メンテナンスをする人、ごみ収集をする人、時には道を尋ねる人、トイレを探す人などにも、私はこのような形で三退を勧めました。ある日、三十代の女性がトイレを探しに来ました、彼女はとても急いでいる様子でした。私は彼女にトイレの階と行き方を教えて、自動ロックのカードを渡しました。そして戻ってきてからタイミングをはかって彼女に三退を勧めました。彼女は党員でしたが快く承諾し、しかも、とても感激して、しきりに私にお礼を言いました。
三退を勧めていると、一部の人は初対面なのに、挨拶をすれば、もう長年の友達のように親しくなり、また、一部の人は車の運転席から、私に笑顔を見せたりします。このような人がすべて縁のある人で、救われるのを待っていると私は考えています。このような人には、話をすれば、ほとんどすぐに賛成してくれて、何の支障もありません。しかし、中には、同意しない人も稀にいます。
ある日、用事で会社に来た人に、私は窓口で「三退」の話をしました。彼は、「私は共産党員です。あなたは実に度胸がある。こんな所でこんな事をよく言う勇気がありますね」と言いました。私は、「私は人を救っています。あなたのためにやっています。理解してくれなければ、結構です。しかし、あなたに言いますが、これはあなたにとって最大の問題です。私の話をよく考えて見てください。くれぐれも救われる機会を逃さないでください」と言いました。
彼が去ってから、私は心の中で不安になりました。この人は私を通報しないでしょうか? しかし、私はすぐに「私は宇宙で最も重要な事、もっとも純正な事、最も光栄なこと、最も素晴らしい事をやっています。誰も邪魔をしてはいけません」と正念で不安な気持ちを否定しました。
私は刑務所で人を救った時、いつも師父がおっしゃった「大法弟子が二通りの情況下にいる場合、彼らは手を出すことができません。一つは、磐石のように確固としていれば、彼らは手を出す勇気がありません。なぜなら、その時、旧い勢力であっても、旧い理であっても、この弟子が正しく歩み、良く行なっている時、その上誰かが彼を迫害しようとすれば、私はきっと彼を許さないのです。私の周りにまだ無数の正神がいます! 私にまだ無数の法身があり、皆法を正すのです。心配しているのは、弟子自身の心が落ち着いておらず、この執着、あの恐怖心があり、旧勢力はそれを目にしたら、この隙がある心に付け入って迫害します。更に、迫害の中で正念が足りないため、受けた迫害は更にひどくなりました。」[1]という法を思い出すようにしていました。受刑者には私を通報する人は1人もいませんでした。
ここでも、私は毎日師父のこのお言葉を思い出すようにしました。私は心の中では、「私は正しく行えば、師父、師父の法身、正神のご加護があって、誰も私が人を救い済度する道を遮ることは出来ません。無知の人を操って、私を迫害しようとする邪悪を一掃します」と念じました。私はいつも通りに人を救う事を行い、毎日2、3人の人を三退させ、時には4、5人、最も多い日は、一日で9人を三退させました。
その他に、道で公安、検察、裁判所、パトカーを見ると、私は「神の雷でそれらを爆発させ、神の火で大法弟子を迫害する邪悪を燃やして、邪悪は灰燼に帰するように」と念じました。時には、公安の車が入って来る時、私は、「私を逮捕に来たのか? 神の雷で邪悪を爆発させ、神の火で燃やしてやる」と念じました。実はその車は用事で来ただけでした。
2.仕事に来る関連会社の人に三退を勧める
この職場の関連会社は市のいたる所にあります。市内から、郊外から、ほとんど毎日人が来ています。訪れる人に対して、私はまず挨拶をしますが、しかし、人が多いとなかなか話をしづらくて、個別にしか話ができません。私は、男性には「格好いいですね」、女子だと、「綺麗ですね」と褒めたりして、彼らをうきうきさせ、それから三退の話を切り出します。そうすれば、支障が少なくなり、彼らもほとんど二言三言で三退を承諾してくれました。
しかし愚かな人もいます。私はある女性に三退を勧めようと彼女の大きな荷物を100メートルあまりの所まで運び、表の門も出ました。そして私は急いで彼女に三退を勧めましたが、彼女はどうしても共産党員を退きたくないと言いました。また目的地に着くと、彼女は荷物を下した私を追い払おうとしたのです。私は守衛の仕事もあるので、彼女の事を諦めました。そして他の同修が彼女を救う事を期待するしかありませんでした。
3.説得が少し難しい職場の人でも三退してもらう
職場によっては、そこの職員を説得するのが少し難しい所もあります。この職場では、毎年「先進党支部」、「先進党員」を表彰しています。また人を騙して入党させており、ここは愚かで惑わされる人が多いのです。私はこのようなタイプの人に対して焦らず、まず挨拶して、彼らと根気よく話をし、親しくなってから、縁のある人を救うようにしました。
しばらくしてから、一部の人とは本当に親しくなり、会うと必ず笑顔で挨拶してくれて、一部の人は本当に友達のようになりました。私は時期を見て、この人たちに三退を勧めました。彼らに言えば、すぐに承諾してくれる人もいました。ある女性は私に会うと必ず挨拶してくれます。彼女は時々五、六歳のお嬢さんを連れて職場に来ますので、私は、「お宅のお嬢さんですか」と挨拶し、またお嬢さんが来た時も、「またお嬢さんを連れて来ましたね」と声をかけると、彼女はとても喜んで、満面の笑みを見せました。ある日、私は三退の話をしたら、彼女は笑いながらすぐに承諾して、何の支障もありませんでした。実は彼女は党員で、その後、副主任である事も知りました。こうして数カ月で、私はこの職場の二十数人を救いました。危険はありませんでしたが、しかしトラブルは発生しました。
ここにはホール管理と同時に警備も管理する人がいます。彼は党員です。私は彼ととても親しくなったと思い、試しに、「三退の事を聞きましたか」と切り出しました。その時は、彼はごまかしながらあまり興味を示してくれませんでした。次回、私は直接彼に「三退をして命を守ろう」と勧めました。すると彼は渋々承諾しました。その後、彼は掃除を担当する女性班長にこの話をしたようです。ある日、その女性班長が入って来て、いきなり私に、「あなたは法輪功をしてるの。気をつけなさい。あなたのために言っておきますが、この事でクビにならないようにしなさい!」と言いました。私はその場で何も言いませんでしたが、心の中では、「私は今まで通りにやる。私はここを辞めることがあっても、辞めさせられる事はない」と思い、それからも変わらず人を救うことを続けました。
ある日、気づいたら、守衛所の天井の5カ所に優雲華の花が咲いているのを見ました。一番多い所では、23輪もあって、他の数箇所では、7,8輪、10数輪も咲いているところもありました。自分がやってきたのは正しかった、慈悲で偉大な師父は私を励まして下さったと思いました。私は感激して涙を流しました。心の中では、「師父よ、弟子は必ず全力を尽くして法を正す師の手伝いをし、多くの人を救い、どこにいても人を救う事を忘れずに、けっして個人の損得を考えません」と思いました。
毎回人を救っていると、私には、今日は何名を救ったとか、威徳が伸びたとかのような気持ちはありません。うぬぼれる気持ち、歓喜心もまったくありません。心の中には少しの漣(さざなみ)すら立たないのです。法を正す師に手伝うことは自分の責任内のことで、自分の責務です。どうして自惚れることができるでしょうか? 何万人も救った同修と比べたら、雲泥の差があるのです。こうして、師父のご加護の下、私の正念の下で人を救いましたが、それから後も、私が法輪功の修煉者だと分かっていても、私を通報する人は1人もいませんでした。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『北米での巡回説法』