明慧法会|絶望に見えても堅守すれば新たな世界が広がる
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文/中国の大法弟子 屹然

 【明慧日本2016年11月13日】

 尊敬する師父こんにちは!

 同修の皆さんこんにちは!

 中国大陸ネット法会の機会をお借りして、私が師と法を信じる修煉においての体得をお話ししたいと思います。自分の修煉の経歴を見直すと同時に、同修が法に対して永遠に動揺しない固い信念を持つことへの激励になればと思います。

 修煉の中で私たちは師と法を信じることを知っています。時には「師を信じ法を信じ」[1]という法理をいつも口にしていますが、しかしそれを真に実行するということになると、それほど容易なことではなく、甚だ難しく感じ、とても難しいのです。逆境の中でわずかな希望を根本から見出すことができなければ、どのように危険から無事に乗り越えることが出来るのか、どのように自分を危険な境地から安全な境地へ変えることができるのかが分かるのです。私の最も深い体得として、心の中で自分は大法弟子であることを自覚し、師父は弟子の肩を持ってくださっていることを覚え、師父は魔難の中にいる弟子を導いて下さることを信じることができれば、師父の導きに従い魔難に打ち勝つことができるのです。これがわずかながらも正念があると認められ、それでこの一念を堅持し、堅守し、この一念を強めていけば曙光が見え、広々とした世界を迎えられ、その時を迎えることができるのです。

 それでは私自身が、身をもって体験したいくつかの出来ことを同修と交流したいと思います。

 「転向」に応じずに、収容所から半年早く釈放され

 2002年、私は大法を修煉しているという理由で、中共邪党に2年間の実刑を科せられ、女子刑務所に収容されました。

 「転向」への抵抗において、私の生死を恐れない現れが、収容所の警官に私を特別扱いさせていました。そのため同修と比べれば、私が受ける迫害は最も軽かったのです。私を殴打したり、罵声を浴びせたり、嫌がらせる言葉を話す人はいませんでした。私は毎日経文を読み、警官は見て見ぬふりをしていました。時には同修のために合法的な権利を勝ち取り、警官はそれに応じ、聞き入れなければなりませんでした。時間が経つにつれて、私は収容所にいてもそれほど悪くないと思い、収容された以上、一日一日耐えるしかない、「転向」に応じなければ早く出られるなんて考えられないと思うようになりました。

 その後、私は絶えず法を暗唱したことによって、この問題に対する見方を変えることができました。収容されてから1年半に近づくころ、ある日私は突然気が付き、なぜ大人しくここにいるのだろう? このように一日一日と耐えていてもあと半年もある、私はここにいるべきではないと思いました。しかし、また別の強固な一念が私の考えを否定しました。「ここから出る? 天に上ることよりも難しく、実刑の判決を受けた法輪功修煉者は、ここから出ようとすれば「転向」に応じなければならない、そうでなければ出られない、これは動かぬ事実です」。このように私は二つの考えの狭間で苦しみ、その感受は非常に苦しいものでした。

 夜が更け、人が寝て静まりかえった時、私は自分を問い正しました。いったいこの大法は自分にとって本当に敬虔に修煉するのに値するものですか? 師父が話した言葉を真に信じていますか? どの程度信じていますか? 生命のすべてをもって体得していますか?

 ここまで考えた時、師父の説法を思い出しました。「なぜ佛が思うだけで物が変わるのでしょうか? 佛が考えている時、功の無数の粒子と無量の智慧は各次元で同時に変えており、全体からもやろうとしていることを変えています。彼の功の更に大きな顆粒も物体の表面を変えています。ある物体はその最も本源の粒子から表面の粒子まで、皆功によってミクロから表面まで同時に変えられています。瞬時にそれを変え、一瞬の間にそれをやり遂げるのです」[2]

 私はさらに自分に問いました。あなたは自分のマクロからミクロまでの各次元のすべての細胞、すべての生命体を用いて大法を信じ体得することを願っていますか? 得られた答は「私は願っています。私は全身全霊をもって体得することを願い、このような体得が一度きりのものであったとしても、師父の話した言葉に対する体得の程度、師を信じ法を信じることを体得することを通して、大法から私の身体に相当する威力が現れ、感じ取ることができるのです」

 私は翌日から断食を始めました。4日目まで断食した時、警官は私に何をすれば食事をするのかと聞きました。私は家に帰してくれれば食べますが、ここでは食べませんと答えました。警官が家から美味しい食べ物を持って来て、食堂で特別な食事を作ってくれると誘惑しましたが、私の心を動かすことはできませんでした。話し合いでは結果が出ない状況下で、警官は私に「措置」を取ると脅迫し始めました。私は知っていました。彼らは私に灌食をしようとしています。私は師父に決めていただくことにしました。当日の夜、私は夢を見ました。「古代の服装を着ている年配女性が、私の頭を手で撫でながら「子よ、恐れなくてもよい、あなたが吐き出した血はうっ血です」と話してくださいました。私は発正念して邪悪要素を取り除いていました。そして当日の夜、私は本当に吐血しました。これを見て警官は驚きました。隊長の一人はショックで涙を流しました。しかし、私は恐れていませんでした。私は発正念して旧勢力が按排した迫害のシステム、マクロからミクロに至るまで各次元における迫害を粉砕していました。

 収容所は私に灌食せず、私が病気になったのではないかと心配して、所長は病院での検査を決めました。次に私は病院の周囲にある私を迫害する要素を取り除く正念を発し、同時に心の中で師父に私のことを決めてくださいますようお願いしました。

 病院での診察結果が出ているにも関わらず、警官はその結果を教えようとしませんでした。しかし医者の独り言が聞こえました。「胃に悪性の腫瘍があり、多く見ても15日しか生きられない」とのことでした。私はすぐに分かりました。これは師父が私を収容所から出すために演化してくださった病気です。警官はどうするかは収容所の幹部と相談する必要があると話し、私を連れ戻しました。収容所の決定が下るまで、私の体は多くのものを耐えました。そして女性警官の言葉が私の心を刺激しました。彼女は「転向に応じてないのにここから出られると思う? 出られた人を見たことがあるの? あなたはそんな特別なのでしょうか? あなたが特殊な力でもっているなら話は別ですが」と言いました

 私は女性警官が言ったことに考えさせられました。私は当初できるだけ早くここから出たいと思っていて、もし私の正念が足りなければ、ここから出られなくなるだけでなく、刑期を伸ばされることさえあると思いました。この時私は厳粛に「失と得」について考えました。その時の心性の認識では、大法の中で恩恵を受け、大法の中で九死に一生を得た私は、大法を守るため、大法に対する信念を確固たるものにした時「本当に生死の念を放下できれば」[3]の境地を悟り、私の心は異常なほど静かになりました。

 そして私は両親に手紙を書きました。その当時の心境は、これが最後の手紙になるかもしれないというものでした。この世に産んでくださり、善良な人になるように育ててくれた両親に感謝しました。それから子供のころの思い出話を書きました。私は子供のころ岳飛のことが最も好きで、自分は以前岳飛の家族の一員だったとさえ思っていました。岳飛は国に忠義を尽くし、国を守るために身を捧げました。今私は佛法と真理を守るために生死を選択する瀬戸際におり、両親に私の選択を尊重してほしい、それは断食をもって収容所から出ることです。しかし私は自殺はしません。自殺は罪なことです。もし私の身に不測なことが起きった場合、それは間違いなく迫害によるもので、収容所にも責任があります!

 手紙を書き終えた後、いつもよくしてくれている女性の隊長に渡し、しばらくの間保管してもらい、半月後に両親に送るようお願いしました。翌日、その隊長が私を呼び、涙を浮かべながら「これは普通の手紙ではないでしょう? これは遺書ですね!」と聞かれ、彼女は「あなたを不測な事態に合わせるようなことにはしません。ここから出られるように私が力を尽くします」と話してくれました。

 話を聞いた後、私は純粋な心で、自分ができることをよくできるようにと集中していました。高度な発正念をして、収容所を操り私を閉じ込める邪悪要素、警官と1本の木から1本の草に至るまで取り除いていました。このように数日間発正念していると、数人の警察官は私に「収容所から早期に釈放されることを願っています」と言ってくれました。同時に収容所の庭にある草や花も私に挨拶しているのが見え、争うように私に話かけ「早期に家に戻れることを希望しています」と話していました。このことを通して私は、切実に発正念の作用と威力を感じ取り、さらに師と法を固く信じるようになりました。

 この時から私は収容所から出ることについて、以前のように悲観的で望みがないという感受がなくなり、大法の強大な威力を深く感じるようになり、師父の法力が無辺であることを感じるようになりました。私はこの時、非常にはっきりとした予感があり、絶対にできるはずのないことが身に起こり、重大な転機を迎えようとしていると感じていました。

 結果として病院で検査をした8日後、収容所は無条件で私を釈放したのです。密かに動いて私を守ってくださったその女性の隊長は、私を送るために事前に休みを取りました。当日、収容所の警備隊長は釈放証明書を家族に渡してくれました。私は隊長に「参りましたか?」と聞きました。隊長は小さな声で「法輪大法は素晴らしい」と言いました。私は家族と共に快く家に帰りました。家に戻った私は体が正常になり、その日からご飯を食べられるようになったのです。

 このように私は5カ月半早く収容所から出ることができ、不当に科せられた刑期を否定することができました。一見望みがないように見えても、絶対に不可能なことに見えても、半月の頑張りで可能にすることができ、すべてが順調でした。

 このことは収容所で大きな反響を引き起こし、多くの人は不思議に思っていました。労働教養所の規定によれば「転向」に応じた学習者のみが減刑されることになっていて、応じない人は減刑するどころか、刑期を延長されることがありました。体に大きな病業が現れたとしても、もう助かる見込みがないと判断されたとしても、収容所は釈放していませんでした。そのため多くの学習者が収容所の中で死亡したのです。私の出来事は例外であり、奇跡ですが、この奇跡が同修を励まし、さらに師と法を信じる信念を高めることが来出ました。

 当地の公安局、検察、司法関係者を迫害に参与させない

 一つの地区が全体になっており、真相を伝える形勢の良し悪しは、まずその地区の公安、検察、司法関係者が真相を聞いた効果によります。真相が理解されなければ、大法弟子が受ける迫害の事例が多く、民衆が真相を聞くのを妨げられ、全体の環境があまりよくありません。私が思うには公安、検察、司法へ真相を伝えることを重視されるべきです。

 私は2008年に当地の公安、検察、司法関係者に真相を伝え始めました。公安に真相を伝えることが重要だと思い、公安が真相を理解すれば迫害に参与しなくなり、大法弟子を強制連行しなくなります。そうなれば検察や司法関係者が自然と業を作らなくなります。

 その当時、私の真相を伝える「目標」は、当地の公安、検察、司法関係者を迫害に参与させないことでした。

 そして私は公安関係者に真相を大量に伝えました。警官の一人ひとりに次々と15通の真相資料を送りました。資料は明慧ネットの評論文書を使いました。突出した実例は論理性と説得力がとても強く、真相を伝える上において最も適した資料だと思いました。ほかに真相を伝えるメールを送ったり、明慧ネットの真相資料をMMSメールに編集して送ったり、電話をかけていました。このように共産党が彼らに注ぎ込んだ毒素を、大法弟子が洗い落とすことで、彼らは真相が分かるようになります。

 最初は1人で黙々と2年以上にわたり伝えていました。後に同修がこのことを知り、次々と加わり一緒に伝えていました。3年以上にわたる絶え間ない努力によって、合わせて1万通以上の資料を送り、そのうち400人の警官に6千通の真相資料を送りました。私は送った資料の効果を調べていましたが、公安、検察、司法関係者が法輪功の真相を認め、中には積極的にその真相を別の人に伝える人もいました。

 このように、2009年から当地の公安は大法弟子を強制連行する事案が発生していません。8年来、二度ほど意外な出来ことが発生しましたが、それは真相を理解していない人の通報によるものでした。警官は同修を交番まで連行しましたが、当日のうちに釈放し、同時に警官は今後真相を伝える時には安全に注意するよう念を押してくれました。

 公安関係者だけがこうではなく、当地の「610弁公室」の主任も私が長期にわたり真相を伝え続けたことで大きな変化を遂げています。

 私は刑務所に収容された当初、「転向」に固く抵抗していました。当地区において「転向」に応じていないのは私1人で、そのため収容所は上層部から奨励金をもらえませんでした。そして収容所は610弁公室の高主任に依頼し、私を「転向」させようと企んでいました。高は私の家族に会い、親族の情を利用して私を脅そうとし、一方では利益で私を誘惑して、「転向」の目的を達しようとしました。しかし最終的に思い通りにはなりませんでした。

 釈放された日、私が「転向」していないため、収容所の要求で610弁公室の高主任が自ら迎えに来ました。彼は私が断食したことで釈放されたことを知り驚きました。帰り道で彼に真相を伝え続けましたが、彼は一言も反論せずに黙って聞いており、明らかに心が打たれた様子でした。

 家に戻った私は、高主任に真相資料を送り続け、共産党組織からの脱退を勧めました。後になって彼は脱党しただけでなく、自ら610弁公室の仕事を辞めました。仕事を引き継いだ新しい主任に、法輪功修煉者に優しく接するようお願いしたそうです。高主任は以後、法輪功への迫害に参与していません。

 当初、真相を伝える目標を定めた時のことを思い返すと、多くの同修は高望みだと思い、甚だしき痴心妄想(愚かな気持ちと実現できそう もない想像の意味)さえと思っていました。邪悪が隙間なく配置されている中国国内にあって、地区全体の公安、検察、司法関係者に迫害に参与させないことは、とても難しく聞こえ、さらに絶望の中にいるようでした。

 しかし大法弟子は自分の責任と使命をよく知っており、胸に洪大な慈悲を持っていれば、真相を伝える際に難しくでも引き下がることはしません。大法に対する正信に頼り、黙々と堅持し、数年を一日のごとく堅守する中で、最終的に迎えられたのは素晴らしい収穫と大きな喜びでありました。

 案件が差し戻しされ、裁判所は差し戻し再審を始める

 真相を伝える効果を追跡しながら、私は外地の同修と協力して真相を伝えていました。絶え間ない努力を経て、多くの同修を手助けして邪悪の迫害を否定しました。

 ある同修が610弁公室によって自宅に軟禁されて洗脳を受けていることを知り、私は迫害に加わった者に真相を伝え続けました。10日目になった時、彼らは迫害を停止しました。その後、彼らは同修に出会うと積極的に挨拶し、とても礼儀正しく、もう迫害に加わらないという意思を示しており、その後この同修は迫害を受けていません。

 1人の女性同修が留置場に閉じ込められ、2歳の娘は毎日泣きながらママを呼んでいたそうです。私は政法委員会の書記や610弁公室の責任者に真相を伝え続け、同修を釈放するよう勧めました。同修が釈放された時、610弁公室の責任者が同修に、誰が毎日のように手紙やメールを送ったのか? と聞き、同修は「知りませんが、私の友人は天下のいたるところにいます」と答えたそうです。

 それでは次に裁判所の関係者に真相を伝え続けたことで、案件が差し戻されて再審になったことについてお話します。

 昨年の5月、某市の同修2人が携帯電話用のネット閲覧カードを配布していたところ、真相を知らない人に通報され、警官に連行されました。公判の時、裁判長は同修に対する態度が悪辣で、言葉使いが荒いだけでなく、同修の陳述をしばしば断ち切っていました。裁判が始まる前、横暴にも弁護士に対して法廷での弁護を阻止しようと企み、法廷において憲法や刑法に触れてはならないと強要しました。裁判中に警備に命令し、弁護士を法廷から排除しました。そして同修5人は、3年の実刑を科せられました。

 大法弟子は一切の不正を正さなければなりません。大法に対する迫害を消極的に耐えてはなりません。そして私は多方面に真相を伝え始めました。当初私が予想した結果は、この案件を上訴し、再審を受けるということでした。再審をする過程で弁護士を通して検察や裁判所の担当者、ならびに傍聴者に真相を伝えることができます。

 この考え方が確定した時、一つの声が仰々しく私の脳裏に現れました。それはどうして可能でしょうか? 中共は今まで法律に基づいたことはありますか? どうして法律に基づいて行いましょうか? 法輪功の案件に対して、差し戻し再審を考えているようだが、前例がなく奇想天外なことを考えないことだ!

 そうです。多くの時私は知らず知らずのうちに頑固な観念に従っていました。この時私は自分を嘲笑しました。根本から可能ではないこと、絶対に望みのないこと、あなたは無駄な努力をする価値がありますか? 力ではとうてい勝てない相手に、自ら苦を求めるのをやめましょう。しかし、私は長年の修煉の基礎があるのだから、事前の考えが法の要求に符合していることぐらいは知っています。ただ行う中での難度が高いだけのことです。このような考えにたどりついた時、私は自信がつきました。私はこう思いました。今から直面する挑戦は、望みのない中で大法を正しく信じることができるかどうか、新たな世界が広がるまで頑張れるかどうかにかかっています。これは私の忍耐力と苦しみを嘗める能力が試されます。私は心の中で自分を励まし、結果に執着にせず、行う過程で正しい心理状態を保ってやり通すことが大切です。

 真相を伝えることにおいてはとても手間がかかり、心を込める必要があり、さらに多くの代償を払わなければなりませんでした。まずメールを作成し、裁判長に法輪功への迫害をやめるよう勧め、先のことを考え、家族の利益を考え、善良な人に善をもって接し、法輪功修煉者に善をもって接するよう勧めました。

 しばらくの間真相を伝える中で、裁判官は悪い行いをやめたのではなく、今までよりも一層酷くなったと聞きました。関係者を留置場に派遣し、同修に対して上訴すればさらに刑を重くすると脅迫しました。弁護士を解雇する書面にサインするよう強要しました。私は素早くその不法に開廷して公判を行った詳細を文書にして明慧ネットで発表しました。そしてその文書をダウンロードしてMMSメールに編集し、メールにその裁判長の写真を張り付けて裁判所関係者の皆に送りました。その裁判長や義父の家族、妻や妻が務める会社の同僚にも同じメールを送りました。

 想像はできますが、このことを知った人々は驚愕していることでしょう。その事実は明慧ネットに掲載され、また素早く彼らにフィードバックされました。ほとんどの人は、現場で起きた公判の状況を知りません。この暴露で彼らの好奇心を呼び、公判の現場にいた警官に状況を尋ねるかもしれません。

 続いて私は裁判官の劉にメールや手紙を送り、異なった角度から善念と良知を無視しないよう呼びかけ、最終的に損害を受けるのはあなた自身であることを忠告しました。メールや手紙を送る際は、発正念して妨害する邪悪要素を取り除いていました。意念の中で彼に自分を大切にし、善をもって大法弟子に接するようにとの一念を送りました。

 意外なことに、劉は弁護士の宿泊先に行って騒ぎ立て、弁護士を交番まで連行して、恐喝して困らせ、さらに裁判所と結託して弁護士の弁護を阻止し、法廷から弁護士を追い出すことを企みました。当該裁判官は彼に協調して悪事を働き、職権を乱用して弁護士を強制的に排除したのです。そして「差し戻し再審は諦めなさい。法輪功の案件は弁護士に依頼しても結果は同じだ!」と話しました。

 私は劉が裁判所と結託して法に違反したことを明慧ネットで暴露しました。そして私は早速その文書を高裁の数十人、地裁の数十人に送り、広範囲に暴露し、邪悪を解体しました。これと同時に、強制的に解任された弁護士はSNSでこの悪事を暴き、邪悪を怯えさせる作用となりました。

 劉が弁護士を困らせ、裁判所と結託して弁護士を公判中に追い出したことを、私が裁判所関係者に送った1時間後に、それを知った関係者らは驚愕し、爆弾が炸裂したような大きな反響が起きました。劉がしたことは独断で隠れて行われたことであり、真相が暴露されたことで、世論の圧力が彼を包囲したのです。

 後に私は裁判所の所長(女性)に手紙を書きました。この出来事から書き始め、このことによって職員の素質や裁判所の名誉に影響を及ぼし、責任者の昇進に影響することを伝えました。裁判官の地位にいながら法廷で吠え、弁護士に憲法や刑法の話を許可しないということは、これは笑い話ではありませんか? もしこの問題を解決しないで任意に乱させるのであれば、その結果は予測することができません。また法輪功の宗旨と理念は社会に多大な利益もたらしたこと、法輪功は世界に広く伝わっていること、ならびに国内における情勢を書きました。そして彼女に提案して、積極的に再審を要求し、再審の開始を提案するよう勧めました。弁護士の法廷での弁護を阻止しないよう注意させることで、こうすれば裁判所の公正さを示し、社会におけるマイナスの影響を取り戻すことができ、これはあなた個人にも利益があります。私は彼女に被告人である無罪の法輪功修煉者を釈放するよう勧め、このことで適切な処理をして、できるだけ早期のうちに結論を出された方がよいと促しました。

 私が所長に書いた手紙は、一気に書き上げ、脳裏で構想しながらパソコンに入力していました。書いている時は彼女に対して警戒心がなく、長い間あっていない友人に語りかけるように、以前に約束していたよう感じました。このように数時間で手紙を書き上げ、心に喜びを感じ、身体がとても軽快でした。

 数日後、裁判所は当事者に通知し、この案件が差し戻されて再審をするとの決定でした。そして今年6月8日に再審が始まりました。再審の前日、裁判所はこの案件の裁判官を交代させました。公判の日、弁護士が2人の法輪功修煉者に対して無罪の弁護をして、裁判官は弁護士の弁護を遮ることなく進めていました。(目下、この案件の結果が出でいません)

 後にこのことを思い出すと、千一夜物語のようです。絶望に見える中で、大法弟子の固い堅守の努力により、最終的に奇跡を起こしたことが見証され、新たな世界が降臨されたことを見証することができました。

 私は同修を手助けして真相を伝えたことによって、裁判の結果を覆したのは一度だけではありませんでした。その苦難に満ちた絶望の中で、足を止められそうになりましたが、最終的には師を信じ法を信じる中で突破することができました。

 610弁公室の妨害によって、最終的には同修の減刑や釈放に至らない案件もありました。しかし裁判所関係者に真相を伝える上においては効果が良かったです。私が追いかけて絶え間なく真相を伝えることによって、大法弟子の善念を備えた慈悲な態度が彼らを感化し、感動をさせることができました。そして公判中に裁判官が話した言葉の中に、私が彼らに善を勧めた言葉が含まれていました。裁判官は迫害の参与に本意ではないと明確に表明しており、法輪功修煉者の不幸な遭遇にも同情し、法の上に君臨する「610弁公室」の非合法的な組織の圧力によって、公正に法の執行ができないからです。

 私はこの結果に少し遺憾は残りますが、同時にほっとしたところもあります。それは裁判官が真相を理解してくださったことです。大法弟子が正念を堅持する意義、純善な心で真相を伝える目的は、衆生の救い済度だからです!

 これらのことは話すのは容易いことですが、行う過程において多大な努力と忍耐力が必要でした。一般的に言えば、一つの案件を追って裁判所や検察に真相を伝えるのに2、3カ月から半年間かかる場合もありました。案件が終了した後も私は依然として彼らに関心を持ち、新年や節句を迎える際、私は案件の友人として彼らにメールを送り、挨拶をするとともに以後も純善たる心で良知を呼び覚ますことをお願いしました。

 終わりの言葉

 十数年の修煉の中で、多くの不遇な事や魔難に遭い、異常で痛烈な心の痛手にも遭い、真相伝える目標や夢想も多くもっていました。そのような時、どんなに困難に見えていても、どんなに絶望的な状況にいても、確固たる信念で自分は李洪志師父の弟子であり、師父がおっしゃった通りに行えば、師父は必ず手助けしてくださいます。私はいつも自分にこの一念を堅持するよう言い聞かせました。

 そして私は師父の教えに従い、法理に基づいて自分のねじれた考えを正し、あるいは難関を突破する要を探していました。最終的な結果は必ず「柳暗花明又一村」眼前に新たな世界が現れるのです。

 昨今、私は旧勢力を解体する具体的な目標を設定しました。それは正念でその地区の非合法な組織「610弁公室」を動けないようにロックし、その背後にある邪悪要素を解体して、表面に現れる形式を粉砕することです。彼らは人間世界において最も直接的に大法を迫害し、最も邪悪な産物なのです。私は時には思うのですが、もっと多くの大法弟子が発正念を堅持して、彼らを解体することができれば、この迫害は早期に終わらせることができます。

 師父はおっしゃいました。「皆さんに教えますが、ここ数年来、私はいつも大法弟子に非常に大きな能力があると言っていますが、どうしても信じない人がいます。なぜならば、あなたに見えないようにしているからです。あなたの正念の作用で、周りのすべてとあなた自身まで変化が起こりますが、あなたは試してみようと思ってもいません。旧勢力とそれらの邪悪な要素による妨害はつまり、皆さんの考えにある隙に乗じており、ここ数年来ずっとこのことをやっており、旧勢力が操っている卑しい鬼と邪党の要素はずっとこのようにやっています。皆さんの人を救うことができないようにし、なぜなら、直接対決をすると、あなたに勝てないからです」[2]

 長々と話しましたが、実はすべてが修煉の根本的な問題であり、修煉者の師と法に対する正信の程度が試され、風雨の中で大法弟子を成就させるためでもあります。ですから私が思うには、大法弟子は全宇宙の中の最も幸福な生命であり、私たちの幸福は最も偉大なる師父がいらして、私たちは師父に導かれる機会を持ち最高の次元を迎えることが出来ます。

 私たちがまずできなければならないのは、大法に対して限りのない信念を持つことです。苦境の中だとしても、絶望に見えていても、新たな世界が広がるまで堅守しなければなりません。

 師父に感謝いたします!

 同修の皆さんに感謝いたします!

 合掌

 注:
 [1]
 李洪志師父の経文:『二〇一三年大ニューヨーク地区法会での説法
 [2] 李洪志師父の著作米国法会での説法』「サンフランシスコでの説法」
 [3] 李洪志師父の著作:『米国法会での説法』「ニューヨーク法会での説法」
 [4] 李洪志師父の著作:『二十年説法』

 (明慧ネット第13回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/11/5/337160.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2016/11/6/159835.html)
 
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