修煉過程での生死の試練
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文/吉林省の大法弟子

 【明慧日本2016年10月18日】それは昨年の新年前後に起きたことでした。80歳過ぎの同修Aさん(女性)は身体がずっとむくんでいました。私は何度もAさんと交流し、切磋琢磨しました。Aさんはサプリメントにずっと興味を持ち、それは薬ではない、少しくらい飲んでも問題にはならず、修煉に影響しないと思っていました。

 法を正すことはすでに終盤を迎えており、師父を信じ、法を信じることに対する根本的な試練はさらに厳しくなりました。修煉者のすべての言動、考えには、師父が法を正すことを手伝うことができるかどうか、衆生を救い済度できるかどうか、修めて向上できるか、それとも堕ちていくかの肝心な問題が存在しています。大法弟子は修煉して、心性を向上させ、煉功を通して、身体はすでに高エネルギー物質に取り代えられ、人類の空間のこれらのサプリメント、薬物は私たちに如何なる作用もありません。

 また、本当に師父と大法を信じているかどうかの問題も存在しています。何回かの交流を通して、Aさんはこのような観念を放下すると言いました。しかし、陰ではやはりサプリメントを飲んでいて、最後に身体に非常に良くない状態が現れました。手は饅頭のように腫れ、腹部は妊娠7、8カ月の妊婦のように大きくなり、両足はむくんで歩行できなくなりました。

 ある日、同修が我が家にやって来ました。Aさんの自宅に行き、Aさんを助けて、法を学び、発正念すると言い、またAさんの状態を教えてくれました。当時、私はAさんの所にはもう何回も行き、交流しましたが、どうしてもサプリメントを飲む考えを放下できませんでした。

 師父は「あなたは外に向かって求めても、何も得られません」[1]と説かれています。Aさんが観念を変えない限り、私たちに何か方法がありますか? 師父はまた「もしあなたが病気のことばかり考えるその心を捨てられないのなら、われわれは何もしてあげられないし、どうすることもできないということを強調しておきます」[1]とも説かれています。

 同修はまた「私たちは他人に対して、慈悲をもって対処すべきでしょう。しかも同修の場合はなおさらだから、一度行くべきです」と言いました。これを聞き、私は「分かりました」と答え、同修と一緒に行きました。

 Aさんの家に到着してみると、Aさんは非常にむくんでいて、すでに普通に座ることもできなくなっていました。私たち数人はAさんと一緒に法を学びました。一講も読み終えない内に、私はお腹が張ってきて、座って息をするのが辛くなり、少しおかしいと思い、「ここまでにしましょう」と言い残し、他の同修と何も言わずに出てきました。

 帰宅途中、車の中で私はどうしてAさんと同じ状態が現れたのかと考えました。私はどこに漏れがあって、邪悪に隙きに乗じられたのか? 探してみると、直ちに分かりました。私が同修を助けに行くという出発点が正しくなかったのです。同修を助けるという法理に基づくのではなく、同修に対する同情と可哀想に思う考えがあったため、邪悪に隙きに乗じられたのです。

 帰宅してから、お腹が張って、食事することも、睡眠をとることもできなくなりました。毎晩ほとんど座って過ごしました。しかし、心の中では、邪悪の要素と旧勢力がいくら邪悪であっても、私には決して作用しない、私は絶対それらを認めない、断固として根絶すべきだと考えました。眠れなければ、一晩中法を学び、発正念し、煉功し、昼間は真相を伝えに出かけました。

 夜間、私は寝室のドアを閉めない習慣があります。しかし、娘が私の状態を知り、病院に行くよう強いられないように、私はドアを閉めて、知られないようにしました。娘にどうしてドアを閉めて寝るのかと聞かれ、私は娘の睡眠に影響しないためであると答えました。こうして、邪悪は年越しまで、毎日私を苦しめました。

 その時、私はそろそろ新年だ、師父にお願いしようと思いました。しかし、考え直して、師父は私たち弟子のために、あまりにも沢山のことを肩代わりし、あまりにも多く心を砕いてくださっています。私たちは本当に師父のご恩に報いることができません。以前、師父が弟子を護る物語を読んだことがあり、それを読んで声を出して泣いてしまいました。師父は私たちを救うためにあまりにもご苦労されています。どうしてまだ心を鬼にして師父にお願いできるでしょうか、私のために師父にさらにご苦労をおかけすることはできません。私は自分で必ず乗り越えようと決意しました。この数年間、私は如何なる関や難に遭遇しても、師父に助けを求めませんでした。乗り越えられるのであれば、乗り越える、乗り越えられない部分は、師父がすべて助けてくださり、解決してくださいました。

 今回、私は必ず乗り越えます。毎回の関や難をすべて師父に助けていただけば、それは自分で乗り越えたことではありません。私は毎日法を学び、煉功、発正念、真相を伝えることを堅持し、身体の状態を考えず、気にしませんでした。

 今月の6日、私はAさんから電話をもらいました。同修Bさんが正月5日にこの世を去ったと教えられました。亡くなった原因を聞くと、Aさんと同じ状態で、お腹が張り、病院で緊急措置を行ったが効果はなく、この世を去ったということでした。この件から、これは私にとって生死の試練であると認識しました。

 その後、私は知りました。亡くなったBさんも生前、Aさんの自宅に行き、Aさんの状態を目にし、その後、Bさんは同修Cさんの所に行き、Cさんはまた私の所に来ました。こうしてみると、Bさんも邪悪に隙きに乗じられたのです。ほかの同修がBさんの所に見舞いに行きました。Bさんの自宅は集団学法の場所でした。同修たちはBさんに病院に行くよう勧めましたが、Bさんはずっと行きませんでした。またある同修がBさんの見舞いに行ったところ、Bさんは「他の人が私に病院に行くようにと言っているが、あなたはどう思いますか。私は行くべきですか、それとも行くべきではないですか?」と尋ねました。この同修はBさん自身で決めるようにと答えました。

 Bさんの簡単に見えるこの一言から、Bさんの師父に対する、大法に対する正念がすでに動揺していることが分かります。最終的にやはり病院に行きましたが、邪悪に命を奪われました。

 一念の差で異なる結果がもたらされました。同様な状態でしたが、80歳代の人は病院に行き、緊急措置で救われましたが、50歳代の人は同じく緊急措置が行われましたが亡くなりました。私も彼女たちと同じ状態でしたが、自分が何を選択するかが肝心だと思いました。私は心の中で、ただ一つの念、それは師父を信じ、大法を信じ、自分の命を師父にお任せすることだけでした。師父がいらっしゃり、法があります。旧勢力や邪悪、卑しい鬼の妨害を認めず、必ずそれらを徹底的に取り除くことです。私は長時間発正念し、師父の発表されたすべての新経文をあらためてもう一度読み直し、毎日法を学び、煉功し、真相を伝える、三つのことをしっかり行いました。

 2カ月が過ぎましたが、私の師父を信じ、大法を信じる決意は動揺しませんでした。ある日、私は眠ろうとして横たわったところ、ぼんやりしている中で、夢を見ました。自分の空間場に死体が一つあり、私は数人と一緒にそれの皮を剥いていました。立ち上がって見ると、死体は身長が1丈(1丈は約3.33・・メートル)以上あり、全身は石膏のように真っ白で、頭部は髑髏、とても怖しい形相でした。

 驚いて目が覚めてから、私たちを邪魔していたのはきっとこの魔に違いないと思いました。師父の加持とご加護の下、やっとそれを取り除きました。私にその正体を見させ、そして、私はそれを徹底的に取り除きました。その時、お腹の張りが全くなくなり、直ちに良くなりました。

 私は師父のご恩に対し、ひざまずいて拝礼いたします。師父に対する感謝の気持ちは言葉では言い表すことができません。身体は完全に良くなりました。

 夜、たくさん食べました。しかし、夜中になって、吐き気がし、2回嘔吐しました。変質した牛乳のように真っ白で泡状のものでした。翌日、また2回嘔吐し、お腹は徹底的に治りました。また食べることも、眠ることもでき、お腹は少しも張らなくなりました。師父のご加護の下、私は生死の関を乗り越えることができました。最後に師父はまた私を助けて、各空間の身体に残っている良くない物質をすべて取り除いてくださいました。

 3人に現れた状態は同じでしたが、結果はこれほど異なっています。このことは、正念を固め、師父を信じ、大法を信じることができれば、どんな関や難も乗り越えることができるということを実証しています。試練の中でこそ、向上し昇華することができるのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/10/7/336000.html)
 
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