文╱中国の大法弟子
【明慧日本2016年11月3日】私は昨夜、交流文章の「一部の大法弟子はどうして内に向けて探せないのか」を読んで、とても啓発されました。毎晩、11時ごろまで法を学ぶと、眠くなる状態が続いていました。今度、同修の文章を思い出して、この「眠気」に注目し、その背後にある要素を見つけようとしました。その瞬間、元神が身体から離脱して別の空間に入りました。何も見えませんでしたが、自分の体は生命或いは霊体に囲まれていると感じ、しかも、その数は少なくないように思いました。なるほど、これらのものが私を眠らせていたのでしょう。私は二つの霊体の手から、金属棒のような硬いものを奪い取り(それは彼らの武器かもしれません)、遠くまで放り投げました。その瞬間、私は戻って来ました。そして、続けて法を学び、12時に発正念をするまで、頭はずっととてもはっきりしていました。
実は、最近、法を学んで、夜の12時ぐらいになると、いつも眠くなっていました。その状態はそれほど酷くなく、しかも、時間も長くないため、妨害だと分かっていても、いつも通り、眠気を追い払って、続けて法を学びました。もし、同修のこの文章を読んでいなければ、この事を重視していなかったでしょう。しかし、考えてみれば、同じ妨害に対して、私と同修の間は、内に向けて探す真剣さに温度差があり、当然、その結果も異なりました。このことから、修煉の中に起きた幾つかの現象に気づき、それを書き出したいと思いました。
しっかり法を学ぶことは、私達が大法に同化し、すべてをしっかり行うことの根本的な保障です。考えて見てください。もし、自分自身がいつも常人の七情六欲に支配され、執着から解放されなければ、他の命を救い済度する力があるでしょうか。結局、衆生を救いたい気持ちは、願望のままで終わってしまうことになりかねません。私は漸悟状態で修煉をしています。心を静めて法を学ぶことについては、他の空間における殊勝な様子の幾つかの体得があり、きょう、それを書き出して、皆さんと交流し、普段、見えない同修たちにも「形象」を提供して、感じてもらい、法を学ぶことの重要性を再認識してほしいと思いました。
一、 1999年末、私は陳情するために上京しました。しかし、列車の中で鉄道公安官に見つかり、現地の鉄道派出所に連行されました。その日の夜、派出所の当直室で、私は法を暗唱しました。当時、修煉して、まだ数カ月しか経っていないため、『轉法輪』の内容をあまり覚えておらず、「論語」しか暗唱できませんでした。そこで、私は繰り返して「論語」を心を静めて暗唱しました。どこか一文字でも間違えば、或いは一瞬集中力を失えば、最初からやり直しました。この過程では、妨害がひどく、突然眠気に襲われました。その眠気は、形がないものの、巨大な力で、ずっと私の意志を妨害して頭を混乱させ、集中できないように、法が暗唱できないようにしました。私はその力に徹底的に対抗しました。集中力を失うと、すぐに最初から暗唱し直し、頭をはっきりさせるよう努力しました。この過程で、私がどれだけ強い意志を貫き通したか、どれだけ暗唱し直したか、そして、どれだけの時間をかけてやったか分かりません。突然、私は静かで煩わしさがない深い状態に達しました、その瞬間、極限まで力を尽くして私を妨害しようとした強大な力が消えて、影も形もなくなりました。その時、私はまだ法を暗唱していました。同時に、1人の男の子の非常に透き通った、はっきりした声が聞こえ、彼は私の後について、一言一言「論語」を暗唱しました。私はリードして、彼に「論語」を覚えさせました。彼もほとんど間違えないように「論語」を覚えました。彼が全部正しく暗唱できるまで、私は一つ一つ訂正してあげました。それは、法に対抗していた無形で強大な生命が法によって正され、同化され、新しい生命に生まれ変わった瞬間だったと私は悟りました。
心を静めて法を学ぶ過程は、自分が対応する天体範囲内の衆生を正す(或いは救い済度する)過程であることを体得しました。
二、 2009年、私が留置場に不当に拘禁された時、毎日『轉法輪』を暗唱しました。しかし、70~80%の内容しか暗唱できませんでした。ある夜、夢を見ました。ある空間で、私は地面から空に向かって飛び上がりました。10メートルあまり上がった時、留置場を見下ろして見ると、常人の女性受刑者がそこに立って、私を見て非常に感服した表情で、親指を立て、「あなたの人間の一面は完璧です」と、無声の思惟伝達をしてくれました。その時、私は、「人間の一面が完璧になることはないでしょう。完璧なのは神の一面ではないのか」と思いました。それから、私は引き続き上へ飛び上がり、高くなればなるほど、宇宙はより神聖になり、私の気持ちもますます神聖になってきました。あの感覚は言葉ではとても表現できず、それは天人合一の神聖で浩然の気が満ちた感覚でした。高く飛べば飛ぶほどその神聖さが増し、私は限界まで飛び上がりました。私が空中のある場所に立ち止まって、見下ろして見れば、広大な大地の小さな範囲に、赤い共産邪霊が依然として残っていましたが、無限な天地と比べれば、ほんの僅かでしかありませんでした。この時、私は目が覚めました。「あなたの人間の一面は完璧だ」と言われたのは、恐らく、法を暗唱した時、私がとても集中している状態を言っているのではないかと思いました。その時、私は無心に法を暗唱していたからです。
心を静めて法を学ぶ過程は、正念を強め、自ら昇華していく過程でもあることを体得しました。
三、 2010年、私は留置場からある女子刑務所に移送され、迫害されました。刑務所の中でも、毎日『轉法輪』を暗唱しました。夜、消灯してから、いつも1~2講の法を暗唱して、それから寝ました。夜はあたり一面がすっかり静かになり、その時、法を暗唱するには全く妨害がありません。暗唱しているうちに、私の体にエネルギーが満ちて、まるでエネルギーのタンクのようになり、そのエネルギーのタンクは何度も爆発したような感じがしました。巨大なエネルギーは四方八方に向かって飛び散り、その爆発は遠くの遠くまで響き渡りました。密封状態だった私の体にあった厚くて陰性の物質が一瞬に解体されました。
邪悪の場所で心を静めて法を学ぶことは、素早く邪悪を解体する過程でもありました。