何ものにも壊されない強力な正念を持つ
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2016年9月16日】多くの同修が正念について交流しています。私が思うには、正念は法から生じるものですが、どこまで強大な正念を発することができるかに関しては自らの修煉によるものだと悟りました。個人の修煉と三つのことをする中で常にさまざまな妨害と試練がやってきます。けれども、我々の正念は全て難攻不落で強大な力を持っているわけではありません。時に動揺し、時に後ずさりをします。それでも、自らの全ての空間場を覆い、含まれないものはなく、漏れるものもないところまで正念を強めれば、我々の空間場の中にいるすべては正念によって制約されるでしょう。つまり、何ものにも壊されず、いかなる邪悪による幻像にも動揺されないほどの強くて堅い正念を持っていれば、我々はやるべきことをしっかり成し遂げることができるのです。

 昨年の7月、私は江沢民を告訴しました。その3カ月後、当地の警察署から10人余りの警官がドアを破って家に突入してきました。その時の私は自分の事など全く気にしておらず、ただ師父の写真と大法の書籍を没収されるのではないかということだけを心配していました。警官たちに連行されそうになりましたが、「あなたたちについて行くつもりは全くありません。私の本に触らないでください」と断りました。とは言ったものの、少なからず大法の書籍に手を出されることを心配していたので、この心配も修煉して取り除かなければならない執着心であり、つまり、漏れなのです。もしあの時、自らを常人の中から昇華させることができ、自分自身を神であると念を正し、大法弟子であるということを認識していれば、きっと最後まで大法の書籍と師父の写真を守り切れたはずです。しかし、結局、私は師父の写真を守れなかっただけでなく、大法の本まで奪われてしまいました。取り返したければ警察署まで来いと言われて、すぐに私を迫害しようとする邪悪の企みに気づきました。けれども、大法の本を失うわけにはいかないので、やはり行かなければなりません。

 書籍を取り返しに行くとき、何人かの同修に近距離での発正念をお願いしました。警察署に入り、直接所長の所まで行き、自分の修煉体験や大法が世界に広まっており、江沢民を告訴する形勢を伝えましたが、全て否定されました。しまいには「今後、修煉しないという保証書を書け」と言われ、「書いてもそれはあなたを騙していることにしかなりません」と断ったところ、「書かなければお前を拘束するぞ」と脅されました。しかし、私はそれに動じず、「それはあなたに決められることではありません」ときっぱり言い放つと、「それなら、お前が決めるのか」と笑われました。すべては師父と大法が決めることだと固く信じていたので、所長の事など全く気にしていませんでした。それから、「お前がそう言うなら家でやれ、外で言いふらすな、それと告訴状も書くな」と言われましたが、「それでは自分に申し訳ないです」とはっきり伝えました。今思えば、その時の自分は100パーセント師父と大法を信じることができたし、正念も強く、何も恐れていなかったので、所長の言葉につられることなく、邪悪に何もされなかったのです。。

 大法の書籍を持ち帰ると言い出したとき、「だめだ」と直ちに断わられてしまいました。その時の自分には本を取り返す気はあっても、正念がまだ足りず、「この人はこういう仕事をしているから、渡してくれないかもしれない」と心のどこかで思っていたのです。本を取り戻したいという心は強いのですが、正念がそこまで純粋で強力でないので、仕方なく、師父にお願いしました。すると、その時、「それでは、プライバシーにかかわるようなものは持ち帰ってよい」と所長が緩めてくれたのです。はじめに身分証がカバンに入っているとすでに伝えてありましたので、別の部屋に行き、カバンの中から『轉法輪』と煉功のカセットテープ、そして、身分証が見つかった途端、「カバンごと持ち去ろう」という念が浮かびました。カバンを持って部屋から出ようとしたところ、「身分証だけだ。それでは、ここから出すわけにはいかない」と隣の警官が口を開きました。その瞬間、心が動揺してしまい、自分が主役であり、大法弟子がいるところで邪悪の好き勝手はさせない、まして、師父がおられるから何も怖くないという正念がなくなりました。

 当時の私は強大な正念を持っていなかったため、「神世に在りて、法を実証す」[1]という師父の説法通りにできておらず、結局、『轉法輪』と煉功のカセットテープしか取り戻せませんでした。師を敬い、法を敬うことは大法弟子1人1人が持つべき正念です。私もこの理を分かってはいますが、正念が足りず、師父の写真と大法の書籍が邪悪に破られるのではないかという恐怖心がありました。そして、この一念の差で邪悪を恐れ、旧勢力の按排を認めてしまい、この正しくない一念により、今回の試練を乗り越えられなかっただけでなく、自分にも大法にも損失をもたらしたのです。

 あの時正念が、何ものにも動揺されず、自分の命をかけてまで師父の写真と大法の書籍を守るところまで強ければ、きっと誰も、何ものにも大法と師父に不敬をすることはできなかったでしょう。何ものにも壊されない堅い正念を持って、正しい行いをすれば、きっと漏れなく三つのことを完璧にこなし、善意をもってすべてを解決し、そして、衆生に罪を犯させないことができたと思います。

 旧勢力の妨害と破壊が成功するのは、多くの場合、我々が少なからずそれを認めてしまい、正念を用いてそれを否定し、認識し、排除し、解体させていないからです。旧勢力は我々の一つ一つの思考や観念にすら小細工を施しましたので、それぞれの思考が旧勢力によるものかどうかを真剣に見極め、発見した時はすぐに正念でそれを解体させなければなりません。

 強い正念をもって自分の成すべきことをし、旧勢力によるいかなる虚像や幻像に動じることも、恐れることもせず、法を実証し、宇宙の全ての邪悪な要素を正さなければなりません。大法は法を実証することを邪魔するすべての生命を許さないのです。すべての妨害を一掃しなければなりません。邪悪に対する恐怖心を取り除き、堂々と修め、大法弟子の威厳を現さなければなりません。大法弟子の正念が強力で純粋であれば、我々の神通力が宇宙の全ての邪悪を消し去ることができます。大法弟子は幸せで、栄誉ある称号なのです。師父は我々に法輪を与えてくださいました。「法輪が時計回りに回転すると自分を済度し、逆時計回りに回転すると、人を済度します」[2]。師父は旧勢力の按排や妨害を消し去る神通力も我々に与えてくださいました。これらのものを手にしているのに、邪悪の言いになりになる理由がどこにあるでしょうか。ですから、大法弟子である以上、すべての不正を正さなければなりません。

 注:
 [1]李洪志師父の詩:『洪吟二』「何を恐れる」
 [2]李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/7/18/331311.html)
 
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