使命を果たせなかった深い後悔
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文/修真

 【明慧日本2016年1月29日】1月2日の早朝、私ははっきりとした大変震撼した二つの夢を見ました。夢と言いましたが、実際、それは自分の元神が肉体を離れて体験したことだと思います。

 一つ目の夢

 夢の中で、私は突然体に不快感を覚え、目を閉じた後、元神が肉体から離れたと感じ、振り向くと自分の体がそこに横たわっているのを見て、「私は死んだのだろうか?」と自問しました。その時、二筋の光が現れ、ある意念が、眩しく見える白い光は天上に行き、黒い光は地獄に直通すると教えてくれました。

 大法弟子である私はたとえ死んでも地獄には行かないと考えた瞬間、私は白い光に吸い込まれ天上に上がっていきました。体は非常に軽やかに、体重の感覚は全くありませんでした。私の体は急速に上へ飛んでいきました。少し怖くなって、「私はまさか死んでないですよね? まだ使命を果たしていない! たとえ逝くにしても師父と一緒に行かなければ」と思いました。

 そう考えたとき、私は宇宙の深層に入り、一層一層と非常に速いスピードでどれくらい長く飛んだか分かりませんが、金色に輝く世界が見えました。ある意念が私に、そこは迫害により死亡し、すでに円満成就した大法弟子たちがいる世界だと教えてくれました。彼らはそこで人間社会の法が師父によって正されるのを待っていました。私は入ろうとしましたが、止められました。飛び続けていくと、最後に着いたのは暗くて物寂しい世界でした。見渡す限り、多くの人が地面に座り込み、茫然として大声で泣き叫び胸を強く叩いていました。その世界全体が悲しみ、絶望、後悔に満ちていました。私は「これはどういうことか?」と思いました。ある意念が、それは使命を果たすことができなかった大法弟子がいる世界で、彼らは最後の審判を待っているのだと教えてくれました。私はびっくりするとともに恐怖を感じました。私は本当に死んだのでしょうか? 使命を果たすことなく死んだのでしょうか?

 その時、すでに他界した祖母が慌ただしく走ってきて驚き、「あなたはどうしてここに来たの? 使命を果たせなかったの? あなたを頼りにしているのに! 何回もきちんと修煉しなさいと夢を託したではないの? どうして使命を果たさずに死んだの? なぜあなたはここに?」と言って、地面に座り、号泣しました。この時、私は初めて自分が死んだと知り、泣きながら師父の名を呼びました。遠くから、師父の法身が悲しそうに厳粛に私を見ておられたのが見えました。私は泣きながら跪いて、自分の間違いを認め、師父や周辺の人に私を人間社会に送り返してほしいとすがりました。しかしいくら泣いても、誰も助けてくれませんでした。絶望とともに、なぜ自分はよく修煉してこなかったかと後悔し、悔みや悲しむ気持ちを強く感じ、二度死んでもいいとまで思いました。

 その時、ある女性大法弟子が近寄ってきて、私が来た理由を尋ねました。私は自分もよく分からないと言いました。彼女は「私は病業を乗り越えることができず、ここに来てしまいました。肉体が無くなれば全てが終わりです」と言いました。私は彼女に「使命を果たすことができなければ、形神全滅になりますか? それはどのような懲罰ですか?」と尋ねました。彼女は「天機を漏らすことはできません。使命を果たすことができなければ、自分の世界の全ての衆生が消滅されるだけでなく、天上から下りてくる過程で縁を結んだ全ての衆生と世界は全部消滅されます」と答えました。 

 これを聞いて私は涙をこらえることができず、本当に自分の肉身に戻りたいと思いました。その時、彼女は「遠くに鏡があります。そこから自分の家族の様子が見えます」と教えてくれました。私は飛んでいき、鏡の中を覗き込みました。そこには、母(同修)が私の体を抱き抱えて、「使命をまだ果たしていないのに、肉体を離れてはいけない」と泣きながら私の名前を繰り返し呼びかけている様子が映っていました。私も一生懸命に母を呼びましたが、声はまったく向こうに届きませんでした。鏡の中に、私が知っている同修も映っていました。彼女は仕事をしながら真相を伝え、三退を勧めていました。彼女も同じく、私の声が聞こえないようでした。私は後悔のあまり、苦しくてたまりませんでした。

 その時、ある声が「数日間、彼女をここに留まらせなさい」と言いました。誰が誰の事を言っているか分かりませんでしたが、私はただ、ひたすら泣いていました。しばらくすると、「ご飯ですよ」という声が聞こえましたが、誰も動きませんでした。周辺を見ると、数えきれないほどの大法弟子がいました。後悔の涙を流している人もいれば、顔が大きく腫れあがるほど自分の顔を平手打ちしている人、顔が血だらけになるほど爪で顔を引っかいている人、頭を壁にぶつけている人、両手で自分の胸を強く叩いている人、そして自分の頭や脚を叩く人もいました。泣き叫ぶ声が世界中に充満し、どれを聞いても心が引き裂かれそうでした。しかも、ここにいる人はどれだけ自分を苦しめても死ぬことはできず、時々刻々苦痛と後悔に苦しめられ、「生きるより死んだ方がまし」「生かされても死にたい」という言葉で表現できない感覚を覚えました。

 周辺を見ていて強く後悔しました。なぜ私はよく修めなかったのでしょうか? なぜ執着心を放下しなかったのでしょうか? そのとき突然、家にまだ発表していない三退の名簿があること、江沢民への告訴状はまだ編集していないこと、一部のクラスメートや友人にまだ三退を伝えていないこと、新しい『論語』をまだきちんと暗誦出来ていないこと、多くの『洪吟』の詩をまだ覚えていないこと、静功はまだ1時間も煉ることができていないこと、動功を怠けて煉っていなかったこと、多くの発正念も抜けていたなどなどを思い出して、後悔の涙が流れました。私は跪いて、拳で自分を叩いたり、自分の顔を平手打ちしました。そのときの私はどれほど肉身に戻りたく、どれほど再び人間社会に戻ってきちんと修煉を続けたかったことでしょう! 私は「誰か、助けて下さい!」と泣き叫びましたが、返事はありませんでした。

 どれくらいの時間が経ったか分かりませんが、耳元で「もう時間です。彼女を送り返しなさい」という声が聞こえました。ちょうどその時、「起きて煉功しなさい」という母の声が聞こえて目が覚めました。「もう時間です。彼女を送り返しなさい」という声がまだ鮮明に耳元に残っていました。目が覚めた後、長い間心の落ち着きを取り戻すことができませんでした。1分前はひどい恐怖を感じていましたが、1分後は喜びを感じました。部屋の四隅を見まわし、自分を抓って、「あ、感覚がある、自分はまだ生きている。まだ修煉のチャンスがあり、使命を果たす機会がある」とわかり、嬉しかったのです。前後の感覚の対比があまりにも強烈で、震えました!

 これが夢だったとはあまりにもリアルでした。おそらく、本当に自分の元神が肉体から離れて、使命を果たすことができない時に行く世界の苦痛と悔いを体験させられたのだと思います。意気地ない自分にこのような形で棒喝して下さった師父に感謝致します。

 二つ目の夢

 第五式の功法を煉っている時、突然胃の痛みを感じてベッドに戻り、昼間に煉功を続けようと思いました。その時、もう一つの夢を見ました。顔がはっきり見えないある老人が私に、「修煉の道のりで乗り越えることができない関が何がありますか?」と聞きました。しばらく考えてから、私は「やはり婚姻の関だと思います」と答えました。老人は「なぜ乗り越えることを難しく感じるのですか?」と聞きました。私は「すでに32歳の私はいまだに未婚で、周辺の友人の無理解で心理的圧力を大きく感じています。私を知らない人々は、私に病気があるか、または金持ちに囲われているのではないかと言いふらし、異様な目で私をみたりして、本当に苦しく感じます」と言いました。 

 彼は「なぜ結婚しないのですか?」と聞きました。私は「葛藤を感じています。10歳のときに大法の本を読み、13歳で修煉を始めて以来、既に20年が経ちました。結婚してしまえば、長年保ってきた自分の純潔な身体が汚れてしまうのではないかと心配しています。また、長年修煉してきたものとして、色欲を断つべきですが、結婚すれば自分自身に修煉の障害物を作ってしまうことになるのではないかと考えていました。それに、子供まで生まれれば、子供への情が生じ、子供に精力を投じれば自身の修煉が妨げられてしまいます。しかし結婚しなければ人々から理解を得られず、本当ににっちもさっちもいかないのです。幸い、私は童顔なので22歳と思われていることが多かったのです」と答えました。

 老人は笑ってこう言いました。「唐の僧侶が歩んだ成仏の物語を知っているでしょう。彼は81もの難関を乗り越えてやっと円満成就しました。大法弟子は責務が大きく、得る次元もさらに高いので、あなた達が乗り越えるべき関は千万個を上回ります。人間が成仏するのは容易なことではなく、誰もが簡単に大法弟子になることはありえません。あなた達の『大法弟子』という称号は天上の神々までが羨ましがりながらも得ることができないものです。大法弟子になれることはどれだけ幸運なことでしょう。人間社会の理は逆になっています。神になろうとすれば必ず多くの魔難を経験しなければならないし、あなたたちは六道輪廻の中でずっと苦労を舐めてきました。最後になって、人間の皮を完全に捨てるには必ず苦痛が伴います。周辺によく言われようが、悪く言われようが、からかわれようが、その全てはあなたが人間の皮を捨てる助けとなるのではありませんか? 人間の理は反対になっていると先ほど言いました。人間なら、この歳になれば結婚し子供を産むべきですが、修煉者のあなたにとってこれは執着心を取り除く試練ではありませんか? 今は理解されなくても、あなたが円満成就すれば理解されるようになり、羨ましがられるようになり、同時に、あなたに苦痛を与えた人々も償わざるを得ないでしょう。結婚しても構いませんが、その場合こそ、あなたが色欲や子供への愛情によって妨害されるかどうかが試されるのです」

 私は妨害されない自信がないと言うと、老人は「それなら、きちんと修煉して下さい。こう考えても、結婚はいまだに大きな関ですか? 乗り越えることが難しいですか? 実際、私から見れば、あなたたちの修煉過程はたったの1日に過ぎません。この1日はすぐに過ぎてしまいます」と言いました。私は「なぜ私はこんなに長く感じるのでしょうか?」と聞くと、老人は「人間社会の時間は私の次元から見れば本当に一瞬に過ぎません。その中でどのような選択をするかはあなた次第です。よく修めなさい! よく修めなさい!」と言いました。ちょうどその時、6時5分前のアラームが鳴って、発正念の時間になりました。

 起床後、私は夢を両親に話しました。母は泣きながら、それは夢ではなく、慈悲なる師父によるご教化だと言いました。翌日、私は訪ねて来た同修にも夢のことを伝えました。彼女はそれを書き出して、精進せず、多くの人心を持つ同修たちに警鐘を鳴らし、反省させるきっかけにすべきだと言いました。

 同修の皆さん、私は夢を見て突然こう思いました。この世に未練を残すものが何かあるでしょうか? 放下できない執着心が何かあるでしょうか? 精進を阻む人心とは何でしょうか? 時間はもう多くありません。自分を大切にせず、使命を果たすことができなければ、私たちを待っているのは尽きることのない苦痛と後悔だけで、形神全滅です! 同修の皆さん、目覚めて下さい! 肉身を失くしてから後悔するのはもう遅いのです! その時になればもう挽回することはできません!

 文章は私の現時点の次元に限るものですので、正しくない所があれば同修の慈悲なる指摘をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/1/12/322161.html)
 
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