二言三言 選択
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文/一凡

 【明慧日本2015年11月15日】個人的な理解ですが、私たちの体の細胞も人間と神の状態が同時に存在します。その2つの状態は隔てられていても、着実に修めた身体の細胞は神通力と能力を備えており、発正念の時に念を動かせば働きます。普段の生活の中で、私たちの思想は私たちの着実に修めていない肉体の細胞に指示し、作用を起こします。

  私たちが関を乗り越えるとき、試練にあうとき、着実に修めた部分と修めていない部分は同時に役割を果たします。具体的に言いますと、修煉者の正念と常人の考えが同時に脳に反映されるのです。私たちが、ぐずぐずして決心がつかない場合、往々にして人間の思想は正念を抑え、主導権を握るようになります。世の環境は人間の思想を強化しようとしているため、このような状態の下で、私たちが自分を把握できなければ、うまく関を乗り越えられないことになります。そして後になって、常に後悔しています。私の体験では、正念がでてきたときは、すぐに正念で物事を選択し判断します。このような行動は結果も考えない衝動的な行動に見え、表面的な利益を損なう可能性があるかもしれませんが、修煉者として永遠に後悔しない行動でしょう。

  私の悟りでは、難と関を乗り越えるとき、私たちが人間の思想を選ぶか、正念を選ぶかどちらかです。私たちが正念を選ぶとき、それは人心を捨てることになり、執着を取り除くことになります。そして人間の執着は自然に空の状態になり、自分で人心を取り除いています。

  個人的な悟りですが、交流を旨とし、皆とともに向上しましょう。 

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/10/9/317133.html )
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/10/21/153321.html)
 
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